バングラデシュで、私たちが「ピクニックに行こう!」と言えば…আমাদের পাহাড়ে পিকনিক

この場所に「ありがとう」を込めて。
Natsumizo

先日、チッタゴン丘陵地帯の友人たちとピクニックに出かけました。

ピクニックメンバーの民族構成は......マルマ6人、チャクマ3人、ラカイン1人、ムロ1人、現地化したい日本人1人(私)の計12人。兎にも角にも「パハリ=山人」(チッタゴン丘陵地帯の少数民族)なメンツです。

こんな時、私たちは、最も人数の多い民族の言葉(この時はマルマ語)か、バングラデシュの国語であるベンガル語で会話をします。

こちらでは、みんな(特に男子が)地元をピクニックすることが本当に好きで、例えば3連休あったとしたら3日間ピクニック三昧、もしくは3日コースで計画を練ったりします。たまに、地元以外の観光地にバスで......ということもありますが。

「ピクニックに行こう!」と誘われるのは、私にとっても大きな喜びのひとつです。子ども時代から父の趣味でアウトドア好きに育ったことも、今に繋がっている気がして嬉しいです。

そんな私たちのピクニックコースとは......山を登るか、川・湖で泳ぐ(シャンプー持参で入浴も兼ねる)か、滝に打たれるか、村の民家を尋ねる、などが定番です。そのうち今回は、登山と最高のピクニックランチをご紹介します♡

Natsumizo

チッタゴン丘陵地帯3県の真ん中にあるランガマティ。ここでどこかに出かけたら、途中必ず「カプタイ湖」を見かけることになります。片手にプタイ湖、そして逆には緑の山々という景色の中、その間にあるカプタイロードをバイクやCNG(バングラデシュの定番移動手段である天然ガス自動車。写真では緑色のもの)で突き抜けるのが私は大好きで、これまで何度も通過してきたルートでも飽きずに魅了されます。

そんな美しきカプタイ湖ですが、実はかつてここにあったチャクマ王宮や、有名な僧侶の生まれた村、それに多くの人々の家を沈めて造られた人工湖なのです。

1962年(バングラデシュがまだパキスタンだった頃)、カプタイ湖は先住民族の同意を得ないまま、半強制的に造られました。主に街で利用するための電気を発電するカプタイダムのために。水没した土地は、チッタゴン丘陵地帯の耕作地約4割にもあたり、最も肥沃な土地であったと言われます。それと同時に、居場所を失った先住民族十万人ほどが隣国インドへ移り難民となりました。

ダム建設を機に、その労働力としてマジョリティであるベンガル人がこの土地へ入り込み始めました。様々な問題が積み重なって、1972年についにこの場所でマジョリティ(政府)とマイノリティ(先住民族側のグループ)の紛争が始まり、80年代には政府の入殖政策が行われ、バングラデシュの他の地域から貧困土地なし農民がここへ大量に連れてこられました。政府は入植者に、先住民が慣習で使っていた土地を与え、食料の配給をして住まわせることをしました。紛争状態が約20年も続いた末、1997年ピース アコード(和平協定)を結ぶに至りましたが、協定は守られないことが多く......、これは「チッタゴン丘陵問題」と名付けられ、未だその緊張感が続いています。

カプタイ湖ができる頃まで、この地における先住民族とベンガル人比率は9:1でしたが、今では4:6にひっくり返っています。

ただ美しいだけでなく、そのような悲しみも秘めたカプタイ湖ですが、私や、土地を侵された現地の人たちでさえこの湖を憎みきれず、時に癒されたり、水を渡ることを楽しんだり、カメラを向けたり、今では生活のための魚を獲ることもしています。感情は複雑ですが、カプタイは、そんな不思議な存在としてここにあります。

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カプタイロードを一時間ちょっと走り、待ち合わせ場所のチンムロンというマルマ民族の村へ向かったのですが、CNGを降りてあともう一歩!というところで、ボートに乗って向こう岸まで渡らなくてはなりません。

ほんの少しの距離なのに......とは思いますが、カプタイ湖を渡るため、また季節(雨期)によって大きな水溜まりが出現するのも常習的で、ボートの乗り継ぎがあることは現地の人にとっては当たり前のことなのです。

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ここまで来るのもやっと......だというのに、実はここからがピクニック本番です(笑)。

チンムロン村で待ち合わせした12人(この日が初対面の方も)で、山の頂点を目指してピクニックを開始しました。私たちの共通点は、パハール(山)を愛するパハリであること! 目標は、ゴールでおいしいごはんを食べること!

左の遠景の写真の中で、オレンジのスカートが私です。緑のTシャツの男の子は、暑さを凌ぐため(+おもしろキャラ担当だそうで)登山中に葉っぱで作った自然帽子をかぶり、背中にピクニックランチを料理するためのパティラ(鍋)を背負っています。

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登山道という登山道はなく、山奥に暮らす人々が通った跡のような小道を、一列で黙々と進みます。木陰でちょっと吹いた冷たい風に喜んだり、その他 山小屋で、お茶屋さんで、古いお寺で......とあいだに休憩を入れながらゴールを目指します。

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私の記事(リンク)で何度か名前を挙げてきた、チッタゴン丘陵地帯のトレードマークとも言える「ジュム ゴール」。

「焼畑の家」という意味で、山間にちょこっと見かけます。私はこれを見付けると、いつもほんわか幸せな気持ちになるのですが、この日はなんと、そんなジュムゴールに座って休み、またそのジュムゴールから一目でたくさんのジュムゴールを見られたのです(いくつか家屋も混ざっています)。私にとってそれらは、夜空の星を眺める時のようにときめくものです!!

そして、(日本語記事だからと思って安心して書くのですが)ここで持参した地酒も嗜みながら......エナジー補給!やはりお酒がタブーのイスラム教の国ではこれは大々的に書けないのですが(とはいえ、チッタゴン丘陵地帯や国境沿いの少数民族が暮らす地域ではタブーではありません)、私はここの少数民族とお酒は切り離せないものだと思っています。

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道中会う人々との会話も楽しく過ごすうちに、頂上へ着きました。

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頂上のゴールでひと休みした後、涼しい水辺を探しました。そこでお待ちかねの昼食の準備に入ります。

メンバーそれぞれがそこら辺から、火を起こすための枝や、お皿にするためのバナナの葉を集めてきたり、村から背負ってきたジャガイモを茹でる者、乾燥魚を炙る者、玉ねぎ・青唐辛子を刻む者、川で米を洗う者、音楽係として歌う者、4時間程かけて昇ってきた汗をさっそく流す者、しばらく水遊びする者に分かれ......みんな思い思いに楽しみながら、昼食というゴールを目指します。

今まで、この地域でのピクニックを何度か経験してきた私も、ゴール地点でご飯を作ることは初めてで、みんなの慣れた手つきに感動しました。街から持参せずとも自然の中で調達できる知恵、自然の恵みをよく知っていること、バナナの葉をお皿にする時一度炙ると葉が裂けなくなることなど(笑)、色々勉強になりました。

内容はシンプルなジャガイモだけのカレーでしたが、本っっっ当においしかった! お酒のおつまみに、シュッキー(乾燥魚)と玉ねぎ・青唐辛子を和えたものも♡

ちなみに、これまでのピクニックでは周辺の民家を訪ねてご馳走になる、という計画が多く、日本人の感覚では「え! それって迷惑じゃないの?」と思われてしまいそうですが、「ジュンモはみんな親戚なのか?」と思うくらい家々が垣根なく開かれていて、地元の若者がこうして巡って来ることも歓迎する姿勢があります。それは、彼らがこうした地元探索をただただしているわけでもなく、地元に返上する活動に結びつけることが多いので、そうした堅い信頼関係の証なのだとも思います。

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私たちがこの日も生き生きと楽しく、この場所でおいしくご飯をいただけたのは、この山の恵みのおかげ。そんな感謝の気持ちを込めて、彼らは彼らが食べる前、ピクニックをする場所へ、いつもこうしてご飯をお供えします。

この習慣を見て、私は昔祖母の家で見た記憶を思い出しました。夕ご飯前になると、おばあちゃんが仏様にきちんとごはんとおかずを盛ったお盆を供えていたことを......。

思い出とリンクしたのも含め、ここではこんな若い男の子たちでもそれを忘れずにするところが、私がこの場所や人々を好きな理由なのだなぁと改めて思いました。

ご飯を食べ終えたら、あたりはあっという間に暗くなり始めました。明かりのまったくない山道を急げ急げと進み、帰り道は近道コースで下り、最後は川を下ってボートで街まで帰りましたとさ。めでたしめでたし!

Ambassadorのプロフィール

Natsumizo

Natsumizo

1985年、宮城県女川町生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリー制作のためバングラデシュを訪れる。卒業後、Documentary Japanに務める。2014年、学生時代作品への心残りや日本よりも居心地の良さを感じていたバングラデシュに暮らし始めることにし、作品テーマや自分の役目(仕事)を再び探すことに...その中で出会ったこの国の少数民族に魅力とシンパシーを感じて、彼らと共に生活していきたいと思う。ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』(国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞および青年海外協力隊50周年賞受賞 http://youtu.be/BlxiN2zYmjE)、カメラ教室、クラウドファンディングや写真集『A window of Jumma』の制作などを行ってきたが、この地で映像作品制作を続け、この先は映画上映会(配給)や映画祭などの企画にも挑戦していきたいという夢を抱いている

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