日本人だけれど、チャクマのおばちゃんと呼ばれたい! 

新生児のための伝統行事「コジョイ パニ」が行われました。
Natsumizo

私の好きな曲にドリカムの『大阪LOVER』があります。この歌の「覚悟はもうしてるって "大阪のおばちゃん" と呼ばれたいんよ 家族と離れてたって あなたとここで生きていきたいんよ」という一節は特に共感します。

バングラデシュで少数民族の人々と触れ合うようになってからというもの、みんなが私のことを「ナツミ ディ(姉ちゃん)」や「マシ(おばちゃん)」、「私のメイェ(娘)だ」と呼んでくれる度、喜びを感じます。

上の写真左下に小さく写る赤ちゃん。この子は、昨年10月にランガマティ県ランガパニ村のチャクマ民族友人夫妻に生まれ、私が名付け親となった「ユニコ」(過去記事リンク)です。

あれから2ヶ月経ったある日、新生児のための伝統行事「コジョイ パニ」が行われました。日本でもお宮参りやお食い初めといった行事があるように、この地域にも独特な恒例行事があるようです。今回は、そんな初めて付き添った「コジョイ パニ」についてご紹介します。

新生児の行事「コジョイ パニ」

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昨年、「ユニコ」と命名させてもらった日、ユニコのお父さんから「ナツが次来たらコジョイ パニするから」と言われました。初めて聞いたコジョイ パニという言葉と存在。赤ちゃんの健康や長寿、神のご加護や将来の飛躍を願って行うものだそうです。「そんな一大イベントを、私の来訪に合わせてもいいの?」と戸惑いつつ、ついにこの時期がやってきました。

ランガマティ県にも無事入域でき、明日はコジョイ パニだ! と思っていた矢先、問題が発生しました! (日本語記事なので書いてしまってもいいでしょう......)なんと、夫婦喧嘩が勃発したのです!

前夜、急に父親が「明日はコジョイ パニしない!」と言い出し、母親は涙目で嘆き悲しんでいました。

事情はこうです。前日日中、母親が当日の心配をするがあまり、仕事中の父親に何度も電話をかけていたことにとうとう怒ってしまったのです......。私も父親の仕事現場に一緒にいたので、その忙しさは分かる。でもやっぱり、お母さん側の気苦労も分かる......。しかも口喧嘩で終わるだけならまだしも、「コジョイ パニ中止はないだろ!」と思い、私もつい怒って「明日あなたたちがやらなくても、私がやる! 絶対明日やるから!!」と宣言して、前夜は別れたのでした。

コジョイ パニ、「やる」とは言ったけれど、何をどうしたら...?

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そんな大口を叩いたものの、何を準備したら良いのかなど私には分かりません。朝8時くらいから料理を始めるとは聞いたけれど、実際何を買って行けばいいのかも分からず途方に暮れていたら、チャクマの男友達が「僕は行けないけれど......」と1000タカ(1500円くらい。コジョイ パニ費用の半分に相当)を私に握らせてくれて、またもうひとりのチャクマの十代の女の子が「ナツミ ディ(姉ちゃん)、私も朝一緒に買い出し行くよ!9時から学校だけど」と、手伝ってくれることになりました。

そうして迎えた当日朝、市場に行き、生きている鶏一羽、明け方に解体されたばかりの豚の肉塊を一片買いました。次は野菜を、と思ったところで、お父さんのほうから電話があり、「ナツ、あとはもう買わなくていいよ。家にあるぶんの野菜でやるから......」と。お父さん、ちゃんとやることに気を取り直してくれたのです。

ランガパニ村の家に着くと、支度の手伝いをする近所のおばちゃんたちが準備を始めていました。「ナツはユニコを抱っこしていて」と言われたので、初めてのコジョイ パニの支度を見ながら待つこととなりました。

家を張り巡る白い糸

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近所のおばちゃんたちが料理を進めながら、お父さんは家を一周くるっと巻くように白く細い糸を張っていました。

その後、前日からお母さんが頼んでいたバンテ(お坊さん)がやって来て、お供えの前に座りました。バンテは、先ほどの白く細い糸の端をもち、それをクルクルと巻き取りながら、お経を読み上げ、ユニコのための祈祷が始められました。

祈祷

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祈祷が始まって、料理をしていたおばちゃんたちも手をいったん止め、みんなでバンテと向かい合う形に座り、手を合わせました。もちろん、主役であるユニコはお母さんの膝の上にいます。気持ちよさげに眠っていましたが。

お祈りの時(これがチッタゴン丘陵地帯特有なのか、仏教特有なのか、私には分からないのですが)、ここではこうして容器にお金を添えて、水をゆっくり指にあてながらぽたぽた垂れ流す......そんな行程をよく見かけます。

ユニコの両親は、準備をするあいだもまだ少しぶつぶつと言い合っていましたが、こうして共同作業もでき、大切なコジョイ パニを決行してくれて本当に良かったです。祈祷の終盤で、バンテが私たち全員に突然、葉っぱを使って「水」を何度かふりかけてきました! こうしてコジョイ パニの儀式は終了したのです。

コジョイパニの正体

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ベンガル語でもチャクマ語でも、水は「パニ」と言います。だからといって、コジョイ パニの意味は長らく謎だったのですが、最後の最後で「コジョイって......?」と傍のおばちゃんに聞いてみると、写真にある、木片にも見える、茶色い皮のようなものをがさごそ取り出し見せてくれました。

おばちゃんはそれを千切って水に浸け、「これがコジョイ パニ」と見せてくれました。コジョイ パニは、行事の名称であり、さっき振りかけられた水の名前でもあったのです。一緒に浮かんでいるオレンジ色の欠片も、御利益あるとされている植物のひとつだそう。

作り方を見せてくれた後、おばちゃんはお坊さんの真似までして、私ひとりに対してコジョイ パニを笑いながら振りかけきたのでした。

お守りの糸

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ちなみに、先ほど登場した白い糸が、ユニコや私の手首にも巻かれています。このあたりでは、バンテが祈祷した後、その糸をもらい、みんなこうしてお守りにするのです。

ご馳走を振る舞う

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バンテ(お坊さん)たちへご馳走を捧げ、彼らが去った後は、ご近所さんや友人などの招待客へご馳走を振舞いました。人が入って来てはユニコの顔を見て、親たちと少し話し、食事をして、帰っていく......その連続の時間がしばらく続き、ユニコのコジョイ パニはこれにて全て終了。

バングラデシュのお正月(4月のビジュやサングライなど ※過去記事リンク)もそうですが、現代日本と比べて、家族の垣根を越えて行事が行われるところは、私がこの場所を好きな理由のひとつです。というより、同じ村や同じ民族であれば、それはもう彼らにとっては「家族」なのかも! だからかもしれませんが、みんな誰かを私に紹介してくれる時も、友人や先輩・後輩のことを「お兄ちゃん」とか「妹だ」といって紹介してきます。

一方で、この行事をきちんとやっておかないと、その後お母さんは、近所の家でコジョイ パニがあった時にも行けないのだとか......。こういった人と人との繋がりが強い地域では、赤ちゃんは個人の子どもではなく「みんな」のものとして捉えられているのでしょう。そんなことを聞くと、村社会もなかなか大変だと感じますが、それも絆の強さと表裏一体と言えるかもしれませんね。

Ambassadorのプロフィール

Natsumizo

Natsumizo

1985年、宮城県女川町生まれ、青森県育ち。日本大学藝術学部映画学科在学時に、ドキュメンタリー制作のためバングラデシュを訪れる。卒業後、Documentary Japanに務める。2014年、学生時代作品への心残りや日本よりも居心地の良さを感じていたバングラデシュに暮らし始めることにし、作品テーマや自分の役目(仕事)を再び探すことに...その中で出会ったこの国の少数民族に魅力とシンパシーを感じて、彼らと共に生活していきたいと思う。ドキュメンタリー作品『One Village Rangapani』(国際平和映像祭2015 地球の歩き方賞および青年海外協力隊50周年賞受賞 http://youtu.be/BlxiN2zYmjE)、カメラ教室、クラウドファンディングや写真集『A window of Jumma』の制作などを行ってきたが、この地で映像作品制作を続け、この先は映画上映会(配給)や映画祭などの企画にも挑戦していきたいという夢を抱いている。

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