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人とのご縁に支えられ、ゼロからの事業立ち上げ〜インドネシアのエステサロンTokyoBelle代表 室野秀さん

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インドネシアで脱毛・痩身・マツゲエクステ・フェイシャルのトータルエステを行うTokyoBelleを起業された室野秀さん。24歳で日本の会社を退職し、単身でインドネシアへ渡られました。

「インドネシアの女性の『美』に貢献することで、笑顔になる女性をひとりでも増やす」という思いを持って活動されています。そんな室野さんに、エステサロン立ち上げ時のストーリーについて語っていただきました。

とにかく自分で経営をしてみたかった


大学卒業後は2年間、日本で働かれていたのですよね

リクルートの札幌支店で働いていました。仕事は楽しくて仲間も最高、就業条件も高待遇で、何も不満はありませんでした。

でも、心のどこかで「自分にはもっと可能性があるのではないか」「なりたい自分の将来像になれるのだろうか」という気持ちを抱く日々。

そう思うに至ったのは、当時ホットペッパーの営業で経営者の方ばかりにお会いしていたからでしょうね。彼らと会話をするうちに、経営視点で物事を考えることが当たり前になっていきました。そしていつしか、実際に自分も事業をやってみたいと考えるようになったのです。

悩む日々に終止符を打ったのは、ゴルフの帰り道に会社の先輩がかけてくれた言葉。

札幌の時計台の下で先輩に悩み相談をした時、止めるどころか「そんなに迷っているなら辞めた方がいい。明日編集長に言ってみなよ」と背中を押されて。翌日、編集長に話をして本当に辞めることになりました。

そして、会社を辞める直前にたまたま先輩から誘われて行ったことがきっかけで、インドネシアに興味を持ったのです。バリ島へ行ったのですが、そこで出会った現地で働く日本人の方々が本当に楽しそうで。

かなり感化された私は、帰国後に退職した後、そのままインドネシアへと向かいました。
 
 

一番困った時に手を差し伸べてくれたのは、インドネシア人だった


インドネシアでどのようにして事業を始められたのでしょうか?

行けば何かあると思っていたのですが、当時はジャカルタにまだ起業家がほとんどいなく、全く相手にされませんでした。やる事業も決めておらず、日本から持ってきたお金は現金で180万円ほど。

そんな私を唯一の知り合いである社長さんが心配して、まずは暮らすところを見つけようと1日中家探しに付き合ってくれたのですが、駐在の方だったので価格が高い所ばかり。

一番安く見つかったのが月6.5万の物件で、賃貸料を1年一括払いで約70万支払ったら、残りはもう110万円。半年過ぎたあたりからお金が無くなっていきました。

どんどん家に引きこもり、どうやって生き延びようか考える毎日。そんな時に出会ったのが、現在のビジネスパートナーである華僑の方でした。

お金も食べるものもなくなり、家賃も払えなくなった私に対して「家に来ていいよ」と言ってくれて、身の回りの面倒を見てくれたのです。

「人種なんて関係ない。今お金が無くても大丈夫だから、一緒に頑張ろう」という一言が心にしみましたね。彼らには全力で恩返しをしたいと思っています。

その方との出会いをもっと詳しく教えて下さい
 

やることがなかった私は、よく自宅近くのモールを行き来していたんです。

そして、パソコンが苦手なのでパソコン教室に通おうかと思い、値段だけ聞きに行くと、英語もインドネシア語もできない私は話が理解できない。

そこでお店の人がパソコン教室に隣接するIT会社から日本語を話せる人を呼んできてくれて。

インドネシアに来てから約2カ月ずっとひとりだった私は、久しぶりに日本語が話せることが嬉しくて、彼をお茶に誘いました。そして、「何かをしたくてインドネシアに来たけれどニートみたいになってしまっている」と心中を語ったのです。

その時の私の格好はTシャツに短パン、サンダル姿というラフな格好で、何者かわからず怪しかったでしょう。でも、別れ際に連絡先を聞いたら彼が名刺をくれました。

そこに書かれていた肩書きは「社長」。なんと彼は、現地の華僑の中でも有名な起業家だったのです。

このご縁をきっかけに、その後も色々と協力してくれて、出会って1年後にはサロン一店舗目をオープンすることができました。私がこの国でビジネスができているのは、彼とのご縁があったからとしか言いようがないですね。
 
 

インドネシアでも、「日本のおもてなし」を

 
脱毛サロンという事業内容は、どのように決められたのでしょうか?

インドネシアの暑い気候だと体毛の成長が早く、露出も多いのでケアに気を遣うという話を駐在員の方から聞いたことがきっかけです。

それにも関わらず、国内に脱毛サロンはひとつもなく、シンガポールにまで脱毛しに行く人もいると聞き、「だったら国内で脱毛サロンを始めよう」と思い立ちました。

また、「脱毛」というサービスだけではなく、インドネシアでは日本のサロンでは当たり前に行われているような接客スタイルが取られていないことに気づいたので、おもてなしの心を持ってお客様に接するように始動しています。

それがこちらでは珍しいらしく、コメントカードにはいつも店舗の綺麗さやスタッフの接客についてのお褒めの言葉が多いですね。

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何かを得たいのなら、その分何かを捨てなければならない


今後の事業展開について教えてください。

ジャカルタには行けないけれど美には興味のある人たちにも施術を受けてもらえるように、地方展開していきたいと思っています。

信頼しているスタッフはたくさんいるので、地方に行っても良いというスタッフがいたらぜひ出てもらいたいですね。

最後に読者の方にメッセージをお願いします。

海外で働くという選択肢をとることで、サラリーマンという立場を失い、最初は非常に苦労もしましたが、今振り返ってみると、何かを得たいのならその分何かを捨てなければならないのだと思います。

お金も学力も語学力もない私でしたが、海外で出会った人たちとのご縁のおかげで今があります。今は何もできていない人でも、「何かしてやる!」という強い気持ちさえあればきっと大丈夫。

「私でもできた」ということを、実体験を通じて次世代の人たちに伝えられるように、インドネシアでもっと頑張っていきます。
 
 
  
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ライター
室野 秀/Murono Shu

TokyoBelle代表

明治学院法学部法律学科出身。人材派遣、ホットペッパー、ポンパレの営業を経てコネなし・金なし・経験なしに加え・言葉が話せないという状態で会社を辞め、海外ニート生活開始。途中お金が底をつきるというある意味想定内のこともおこるが、奇跡的に素敵すぎる方々に出会い、現在奮闘中。
 

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