場所に依存しない生き方をしたい〜台湾ワーホリから中国・深センでドローン事業を立ち上げた川ノ上和文さん〜

場所に依存しない生き方をしたい〜台湾ワーホリから中国・深センでドローン事業を立ち上げた川ノ上和文さん〜
川ノ上和文

※写真提供:株式会社エクサイジングジャパン 北田

xyZing.innovation(翼彩創新科技(深圳)有限公司)CEOの川ノ上和文さんが、寿命100時代のキャリアを高める"戦略的ワーホリ論"について語る連載の第2回。

今大注目のドローン産業を自らの手で切り拓く彼に、これまでのキャリアについて聞いてみると、意外なことに「自分は何をやっていきたいのか、何度も考えていた」のだとか。

深センでの起業のきっかけにもなった台湾ワーホリを決意するまでのストーリーからは、エクスプローラーとして世界を舞台に活躍する川ノ上さんの"強さの秘訣"がみえてきました。

東洋医学のための中国留学が一転、「適合性実験」の道へ

川ノ上和文

※上海の日系整体院

-中国や台湾をはじめアジア圏を飛び回る川ノ上さんですが、もともとアジア圏に関心を持ち始めたきっかけは何だったのでしょう?

川ノ上:一番初めに興味を持った国は中国で、きっかけは「東洋医学」でした。高校生の頃陸上部に入っていたのですが、怪我の度に通ったリハビリテーションで理学療法等の治療を受けながら、"人体を治療すること"にすごく興味を持ったんです。

高校卒業後は、スポーツ選手の身体管理に特化した「スポーツ医学」の先進国・アメリカへ行きたいと思い、英語圏への留学準備をする学校で英語を学びました。

卒業後は家庭事情もあり、1年間進学をせずアルバイトをしたのですが、その充電期間中に、東洋医学をもとにスポーツトレーナーとして活躍する方の記事を目にして、中国で東洋医学を学ぶのは面白いかもと思うようになりました。

ちょうどこの頃、初海外となる米・ニューヨークでも、東洋医学を学ぶきっかけになった出来事があります。それは、当時ニューヨークヤンキース所属で活躍していた松井秀喜選手へのインタビューをしたこと。

「夢」をテーマにした作文コンテストに入選して、現地で活躍する日本人へインタビューする企画に参加できることになり、メジャーリーグでの東洋医学の導入状況について生の声を聞けたことは、進路を決める上でのとても貴重な経験となりました。

その後、色々と調べた結果、北京にある中医薬大学が良さそうだったのですが、当時は中国語ができなかったので、まずは同じく北京にある語言大学への語学留学から始めることに。半年間の語学留学を終える頃には無事中医薬大学に合格したのですが、結局進学はしませんでした。

-どうして進学しなかったのですか?

川ノ上:一番大きかったのは、自分をもっと試してみたかったからです。鍼灸師資格が使える地域が中国に限定される上、卒業までに5年間もかかる。当時20歳でしたから、卒業する頃には25歳。若干20歳でこれから先の人生プランを決めてしまっていいものか...と、ものすごく考えました。

これって結構大きい決断じゃないですか。そうして考えた末に、今この道に進む覚悟はできないと思い、中医薬大学へは進学せず日本に帰国することにしたんです。もっと色々な経験をしてみたい、自分に対する"適合性実験"をやりたくなったんです。

その後は大阪に戻って英語・中国語が活かせる仕事を中心に、アルバイトや派遣社員、日雇いの仕事まで、それこそ"正社員以外"の雇用形態はほぼ全て経験したと思います。

様々な経験を通じて自分の可能性を探りたい

川ノ上和文

※中国語スクール接客中国語講座で講師として登壇

-正社員になることは、"あえて"選択しなかったのでしょうか?

川ノ上:はい。一つの仕事を長くやるより、自分の可能性を探るためにとにかく色々なことに挑戦したいと思っていたんです。そうして経験を積んだ後で、最終的に"ライフワーク"と呼べるものを考えたかった。

20代初めの時点で一生の仕事を決めてしまいたくなかった私にとって、正社員という雇用形態は窮屈なものに思えました。給与はじめ様々な待遇と引き換えに、ある種、"就社"のような関係になるわけですよね。

異動や残業等もありますし、就業場所や時間を自由にコントロールできなくなるのも嫌だなと思ったので、時間単位で働くことが明確な派遣社員等が私には合っていたのだと思います。もちろんボーナスはないですけどね(笑)。

大阪に1年ほどいた後は東京に出てきて、自分の持つ中国語や英語のスキルを活かして翻訳や貿易実務、物流実務、そして上海の日系整体院店長業務等、本当にたくさんの仕事を経験しました。「自分は何をやって行きたいんだろう、何にワクワクするんだろう」と考える日々の中で気づいていったのは、海外に出て場所に依存しない生き方をしたいということ。そして、いつかは自分で事業を持ちたいということでした。

-海外に出たいという思いもあったのですね。

川ノ上:はい、その気持ちはずっとありました。私は2010年にビジネス・ブレークスルー大学(略称:BBT大学)1期生として入学したのですが、その理由は、"仕組み"をつくるビジネスや経営について学んでみたくなったから、そして海外ビザ申請に必要になることが多い大卒資格を取っておきたかったから。

大卒資格は就労ビザ取得の必須条件のようなところがありますし、それがないことだけで自分の可能性が狭まっては困ると思ったんです。4年間キャンパスに通う物理的制約は惜しいなと考えていたので、オンラインで学べるBBT大学はまさに理想的でした。

結果的にビザ要件や自分が注力したいことが明確になっていったので、時間と資金を作るためにBBT大学は中退しました。学歴は未だに高卒です(笑)。大学はまた学びたくなった時に再度門を叩くかもしれません。

中退こそしましたが振り返ってみると、BBT大学での経験は今につながる大切なきっかけになっています。学内外で様々なイベント企画をしたり、参加をしたりしていて、その中には海外で働くことについて考えるイベントもありました。

台湾へのワーホリを決める前に、半年間ほど北京にある留学エージェント会社でインターンをしたのですが、そのきっかけをくれたのもBBT大学のイベントで知り合った方でした。

私のこれまでの経験や今後も海外に出たいと考えていることを伝えると、とても気に入ってくれて。中国側の社長さんを紹介してくれたんです。後にその社長さんとは、東京で中国語スクールを一緒に立ち上げることにもなるのですが、こうした様々な人との出会いやつながり、そして対話はたくさんの刺激を与えてくれ、自分のキャリア・人生について客観的、主観的に考える貴重な時間となりました。EndFragment

自らの強みが生きる舞台へ

川ノ上和文

※台湾語クラス

-自分の可能性をアクティブに探ってきた川ノ上さんですが、いつ頃から台湾ワーホリを視野に入れていたのですか?

川ノ上:ワーホリを考え始めたのは28歳の頃、元インターン先の中国人社長が北京で運営する中国語スクールの東京進出を手伝うようになって1年ほど経ってからでした。

日本人向けの"新しい"中国語教育プログラムを立ち上げるにあたり「どんな情報があれば日本人が中国語を学びたいと思うだろう」と考えた時、あることに気づいたんです。それは中国語を使う日本人のロールモデルが英語に比べ圧倒的に少ないこと。マスメディアで中国語を話す日本人を見かける機会って、そう多くない。パッと名前が出てくる人は卓球の福原愛さんくらいですよね。

それなら実際に中国語を使って活躍する人のストーリーを集めて、スクールのホームページで紹介するのはどうかと。語学習得の先に広がる可能性に触れてもらうことで、これから学ぶ人たちの参考になればと思ったんです。実際に私の北京留学時代には、中国語を学びに来た中央アジアやアフリカ出身の留学生と交流しながら、国際言語としての中国語の重要性を感じていましたので。

色んな方に話を聴きながら準備を進めていたのですが、だんだんと自分がもう一度中国に挑戦したくなってきてしまって(笑)。それに「自分ならもっとパンチの効いたストーリーを作れそうだな」と。そうしてもう一度海外に行くための方法を探して行く中で、台湾でのワーホリという選択肢が浮かび上がってきたんです。

-台湾を選んだ理由は?

3つあります。1つ目は、相対価値として私の北京語スキルが強みになる場所だと考えたから。香港・韓国・台湾、アジア圏でワーホリ可能な3カ国の中で選択肢として残ったのが台湾でした。試しに1週間ほど生活者視点で観光しに行ってみたのですが、とても住みやすそうでしたし、何よりここでは"日本人であることが活きるな"と思ったんです。

2つ目は、華僑文化に関心があったから。世界に広がる華僑ネットワーク、その多くの人々のオリジンは広東省か福建省にあります。そしてそれぞれ広東語と閩南(ビンナン)語(福建南部の方言)が使われているため、北京語に加えて、この2つが少しでもできたら華僑の世界につながるきっかけが作れるかなと考えたんです。

広東語は香港や広州等で使われていて、教育体系も一応ありますが、一方の閩南語は伝承言語で教育体系がほとんどありません。そこで目をつけたのが北京語とも全く異なる「台湾語」でした。実は台湾語は閩南語からの派生言語と言われていて台湾にはその教育体系もある。ぜひ一度学んでみたかったんです。

そして3つ目は、台湾が抱えるイノベーションへの焦燥感に迫りたかったから。台湾では優秀な人材の海外流出が課題となっていて、いかに国内に新規産業を生み出し、人材留保を行い、経済成長につなげていくかが議論されていることを知りました。

深センという人材を集め急速に成長する都市を横目に、台湾でどのようなイノベーションの種が眠っているのか、探索してみたいと考えていました。この考えが結果的に台湾でドローンに出会うきっかけを作ってくれました。

このような視点を持ち、下見から2ヶ月ほどの準備期間を経て、2015年3月に台湾でのワーホリが始まりました。

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いよいよスタートした台湾でのワーホリ。次回は、海外生活に欠かせない「言語」について伺います。川ノ上さん流の言語習得法にはある秘密があって...?

Ambassadorのプロフィール

川ノ上 和文/Kazufumi Kawanoue

xyZing.innovation(翼彩創新科技(深圳)有限公司)CEO

大阪出身、中国・深セン在住。xyZing.innovation(エクサイジング イノベーション )CEO/総経理。深セを軸としたアジアxMICE(Meetings,Incentives, Conferences,Events)の事業開発をてがける。高校卒業後、東洋医学に関心を持ち北京留学。その後留学支援会社での講座企画、上海での日系整体院勤務、東京での中国語教育事業立上げ、台湾ワーキングホリデーを利用した市場調査業務に従事。新興国や途上国における都市成長やテクノロジーの社会浸透、人間の思考や創造力の開発に関心が高い。現在、ドローン活用の思考枠を拡げるための場として深センでアジアドローンフォーラムの開催準備中。

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