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泉愛子 Headshot

女性として、母として、助産師として学びへの挑戦

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私は兵庫県で働く19年目の助産師です。
助産師を取り巻く状況は大きく変わってきています。

少子化に伴い、分娩件数が減少し、産科を持たない総合病院が珍しくない中、大卒の助産師が増加しています。国内の助産師数は35185人(2012年リクルート調べ)1)で、前年より1500人ほど増加していますが、適正な業務ができる助産師数には3000人以上足りないことが指摘され、さらに助産師の偏在、潜在助産師の存在も問題となっています2,3)。養成学校が全国的に少ないのと、資格を取得しても激務と労働環境が原因で離職しています。

私は日々助産師として働きながら、助産師課程学生の指導にも携わってきました。そこから感じてきたことは、卒後新人助産師の実践力と現場が求める実践力とのギャップです。特に、提携病院先で経験する分娩介助実習をはじめとした学生実習では、その内容が各病院の裁量に任されており、卒業後に一定水準以上の技術習得ができて新人助産師として就職する状況とは大きくかけ離れています。

私は表題の通り、今回学びへの挑戦を決めました。働きながら通信制大学院で教育を学ぼうと考えました。そこに至るまでを振り返ってみたいと思います。

看護師にあこがれていた姉を見て育った私は、看護師への興味と父親の勧めから看護大学に進学しました。入学当初は、その大学に助産コースがなかったことから助産師になることは全く考えていませんでした。看護師・保健師免許の取得を目指して学生生活を送っていました。

しかし、看護の勉強を進めていくうちに、一般看護よりもより専門性の高い仕事がしたいと考えるようになりました。その当時の看護師専門資格といえば、助産師もしくは保健師であったこと、母性看護にとても興味を持っていたことから、大学卒業後に短大の助産専攻科に進みました。

助産師学生時代に分娩件数の多い愛知県の病院での実習で様々な分娩を目の当たりにしたことが印象的でした。現在はほぼ行われていない鉗子分娩、レイプ後の中学生の出産、中期中絶などでした。産科は生まれる命に「おめでとう」と言える唯一の診療科であると思っていたわたしにはかなり衝撃的でした。

助産師になってからは悩みの連続でした。地元を離れて大学、短大に通っていたため地元に戻りたかったこと、3次救急指定病院で産科救急も行っていたこと、プライマリーナーシング(1人の看護師が患者の入院から退院までを一貫して担当して看護責任を負う方式)を取り入れていたこと、産科単独の病棟を持っていたこと、こういったところに魅かれ、助産師1年目は神戸市内の病院に就職しました。

ここでは新人教育はプライマリー助産師と行動をともにしながら勤務し、今の私の助産師としての基礎となることを徹底的に教えていただきました。看護師としても助産師としても1年目であった私は覚えなくてはいけないことの多さ、業務の大変さに驚き、助産師の責任の重さに自分の技量がついていけないもどかしさ、くやしさを常に感じていました。

そこから自分が助産師には向いていなかったと考えるようになりました。プライマリー助産師の退職と私が尊敬していたベテラン助産師の退職も引き金になり、2年間勤務してから退職しました。

実家に戻りほどなくして、父親から自宅近くの保健センターで臨時の保健師を募集していると聞き、偶然にも母性看護経験のある保健師の募集だったことから、すぐに再就職が決まり、保健師として妊婦や乳幼児に関わる機会を持つことができました。

保健師としての仕事は楽しく、妊婦や乳幼児との関わりも持つことができる仕事にやりがいを感じていましたが、それと同時に母親学級に来ている妊婦さんたちとかわす話から「お産にかかわりたい」、保健師さんではなく助産師さんと呼ばれたいと助産師として復帰したい気持ちが強くなりました。そこで4か月間の保健師としての勤務から助産師として分娩に関わることができる病院に転職しました。

奈良県にあるその病院は、分娩件数1000件/年と多く、公立病院でありながらフリースタイルの分娩や新生児訪問などを取り入れており、分娩に目覚めた私にはうってつけでした。

特にここは私が助産師としての大きなスキルアップを果たせた病院で、とても印象深いです。自身で500件ほどの分娩件数を経験することができ、月に15回ほどの夜勤や、分娩以外にも婦人科疾患の手術、化学療法、緩和ケアと盛りだくさんのハードな職場でしたが、若いスタッフが多く働きやすい職場の雰囲気がとてもよかったので何とか乗り切ることができました。

結婚を機に地元に戻るかどうか悩みました。奈良県の病院はハードだが楽しい職場であったため離れたくなかったのですが、結婚相手が私と同じ地元であったこと、結婚・出産後も仕事を続けていきたいと強く思っていたことから2年半の奈良での勤務の後、地元の兵庫県の病院(現職場)に就職しました。

スタッフが多く、症例数も豊富な前職場とは違い、この病院は市街地から離れており、周囲に産科を大きく標榜している民間総合病院があるために分娩件数250件/年ほどと少ないところです。現職場で14年目になりますが、その間に妊娠・出産を経験し、職場が近いことが幸いし、育児をしながら助産師と看護師もこなしてきました。

慢性的に看護師・助産師が不足しているため、周囲も日々の業務をこなすだけで精いっぱいです。分娩よりも内科や眼科疾患で入院する患者の看護を病棟で行う日々が続く中、ふと助産師であるよりも看護師である自分に「これでいいのかな」と思うことが増えてきました。そして、現職場で母性看護、助産師課程の学生指導を約3年にわたって担当した経験が非常に楽しかったことを思い出しました。

学生の素直さと患者に対するひたむきな思いを感じ、実習に一生懸命に取り組む姿を見て、私自身が忘れていた感覚を呼び起こしてくれたような気持ちになりました。高い専門性を持つ助産師としての知識を増やし、技量を高め、こういった学生にもっとためになるようなステップアップがしたいと考えました。

助産師仲間から通信制大学院の存在を知り、星槎大学院にたどりつきました。働きながら大学院で学び、教育学修士を取り看護師養成施設の教員になれるカリキュラムを見て「ここしかない」と思いました。

女性の高学歴化と言われながら、女性の大学卒業後すぐに大学院に進学する割合はわずか6%4)で、先進国では日本は女性の研究職が一番少ないといわれています。今回の大学院進学は女性としての挑戦でもあります。

3人の育児をしながら(未就学児2人)の進学はハードルが高いと思われるかもしれませんが、大人になっても勉強し続けることが大事だと長女に体をはって教えたい気持ちが強く、母親としての挑戦でもあります。わたしは「時間は与えられるものではなく、自分自身でつくるもの」だと常に感じており、この思いをぜひ証明したいと考えています。

実は、助産師の卒後教育はわたしが助産師学校を卒業してから18年が経過した今でも一向に改善されていません。これは助産師の研究者が少ないからと思わざるをえません。星槎大学院に入学してから、助産師がわたし一人とだけということにもとても驚きました。だからこそこれは助産師としての挑戦でもあります。これからの助産師卒後教育に少しでもプラスとなるような研究をめざしてこの2年間を過ごしたいと思います。

【参考文献】
1) 助産師にまつわる数字あれこれナース専科就職ナビ
http://recruit.nurse-senka.com/html/midwife/data.html (2016.04.28閲覧)
2) 厚生労働省:平成22年度我が国の保健統計;15~49歳女子人口10万対就業産婦人科・産科医師数(2008年)
3) 日本看護協会出版会,平成23年看護関係統計資料集.
4) 内閣府男女共同参画局:男女共同参画白書(概要版)平成25年版.