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其処當あかり Headshot

二次被害はまだ終わらない

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先日、勢いで書いたこの記事。

高畑裕太が「容疑者」となってからふつふつとわきあがる心の奥の何か

思っていた以上に、本当に驚くべき勢いでたくさんの人に読んでいただきました。ありがとうございます。

「あなたが幸せになりますように」とコメントしてくださった方、あなたも幸せになりますように。

「書いてくださってありがとうございます」

「被害者の気持ちを初めて知ることができました」

このようなお言葉をいくつかいただいた。

性犯罪被害は後を絶たないが、被害の声を表に出す人はとても少ない。早く忘れたいし、話したところで「お前だって悪いんじゃない?」とセカンドレイプ甚だしい言葉を投げかけられるのが怖いからだろう。

私がこうやってこうしてここに書けているのは、ライターネームという隠れ蓑と、夫と友人のおかげだと思う。

夫も友人も、本当に私を支え続けてくれた。くれている。未だに。

どんな酷いことを言われようと、酷い目に遭おうと、心が限界突破をして迷惑をかけようと、「あなたは悪くない」「あなたが生きていてくれてよかった」と言い続けてくれている。そのおかげで、私は今立てている。書けている。息ができている。

どうせ話そうが話すまいが忘れられないものは忘れられない。苦しいものは苦しい。だから、私は文章にしようと思う。資料を読み返すと苦しいので、思い出せる範囲で、だけの話になるけれど。

それで「ありがとう」と言ってもらえて、嬉しいから。苦しいが少しでも嬉しいに変わるのは、嬉しい。

私の裁判が終わってもう数年。

「いい加減もう何もないんじゃないか」と思われているかもしれないけれど、二次被害はまだまだ終わっていない。

一度付いた心の傷はそう簡単には癒えない。そしてこの傷は他人にとって厄介なものだ。

簡単に言えば「精神病患者」。この言葉だけ聞くと、関わりたくないと感じる人がほとんどではないだろうか。こうして綴るブログを読みたいと思ってくれる人がいたとしても、こんな厄介な奴に会いたいと思う人はいないだろう。

差別や偏見はいけません、と言いながら、世間はそういう風にできている。

今の私は精神安定剤などがなくても日常生活は支障なく送れている。

けれど、夜、眠ることだけがまともにできない。眠れたとしてもひどい悪夢に襲われ、絶望した気分で朝を迎える。

「思いっきり運動して疲れたら眠れるよ」というアドバイスをよくされる。けれど、体が疲弊しきっているのに眠れないあの拷問のような時間を知らないから言えるのだろうな、と思う。

そのため、入眠剤だけは未だに手放せないでいる。薬をもらうため、定期的に心療内科に行っている。この出費も、安くはない。

薬をもらうためには病名を付けなければいけない。なので、私は未だに何か病名が付いている。精神病患者だ。

このことで、私は普通の医療保険・生命保険に入ることができない。

二十代前半、「まだ医療保険なんて入らなくても大丈夫!」と思っていた元気な独身時代、私は被害に遭った。それから何年か心療内科に通った。大量の薬に1時間のカウンセリング。そうしなければ心が保てなかった。

裁判も終わってしばらく経ってから、本格的な通院は中断した。カウンセリングはやめ、薬の処方箋をもらうだけにするようになった。その薬も徐々に減って、最終的に入眠剤だけになった。私は自分の精神状態が落ち着いてきたことに安堵し、もう問題が片付き始めているのではと思った。

そんな私が夫と結婚して、「ほけんのまどぐち」というところに保険の相談に行った。二十代のうちに保険に入っておいた方が保険料が安くていいよね?ということで。将来について話し合うことは、幸せだった。

夫は健康診断オールAの超健康体なので、どんな保険も選び放題だった。

対して私は「入れる保険がありません」と言われた。

心療内科に通院した経歴があると、通院が終了してから5年以上経過しないと加入できないという条件が、ほとんどの保険に付けられていたからだ。

私は入眠剤の処方箋をもらうためだけとはいえ、心療内科に通っていた。

そのため、入れる保険がなかった。

ものすごい絶望感だった。被害者という精神病患者と健常者を仕切る壁の分厚さに、呆然とした。

「三十代になってからであれば、条件が緩和した保険がいくつかあるので、三十代になってからそちらへの加入を」と勧められたが、もう私はすっかり保険に入る気を失っていた。病気になって高い治療費が必要になったら死のうと決めた。

そう言うと夫が悲しんだので、保険に入るために入眠剤断ちをしようとした。そうすると、まともに眠れなかった。

幻覚だ、妄想だとわかっているのだけれど、眠ろうとするとベッドの下から手が次々と出てきて私の足首をつかむ。うつ伏せになると背中に何本も包丁のようなものを突き立てられる。上を向けば、大きな影が私に覆いかぶさってくる。現実ではないとわかっていても、怖かった。

朝日が昇り始めたころ、やっと眠れたと思えば悪夢に苦しんで3時間ほどで起きる。そうして、日中もまともな精神状態ではいられなくなった。夫には多大な迷惑をかけた。

今をまともに生きられないなら、もう保険なんて諦めようと思った。保険が必ず必要になるとも限らないし、と。それがもう数年前の話。

今では三十路を超えたので、高い保険料を払えばその「条件を緩和した保険」とやらに入れるらしいけれど、私はもう覚悟を決めてしまっている。

私は治療に多額のお金をかけなければならなくなったら貯金を費やす前に死のう、と心に決めている。貯金がいくばくか残っていれば、夫の心も少しは救われるんじゃないだろうか、なんて。

自死という手段がその悲しみや辛さを回避するもっとも正しい手段なのか、私はわからない。この世界の価値はお金だけじゃないから。夫は私に、私との生活に価値を感じてくれているから。

けれどもし、私がいなくなった時に、お金もなかったら。夫は落ち込む時間もなく働かなければいけない。

猫みたいに、夫の前から姿を消してどこか遠い場所で見つからないように息を止めれば、少しはましなんじゃないか、なんて考える。

まだ患ってもいない病気のことで悩むことは杞憂かもしれないけれど、保険に入れないという現実が、私に大きくのしかかった。

被害に遭ったということが、心に傷を負ったということが、そうでない人とここまで大きな線で区切られるだなんて思わなかった。

まぁ、確かに、普通じゃないしね。普通の人は、洋服の柄を見てパニックなんて起こさないし、後ろから呼びかけられただけで叫んだり、しないしね。

こうした悩みも、あの事件がなければ抱かなかったのだろう。

そして、健康体であろう加害者は難なく保険に入れるんだろうと思う。前科なんて、保険に関係ないだろう。知らないけれど。調べる気にもならないけれど。

夜は何の恐怖も感じずにぐっすりと眠れているんだろう。反省してついたという脂肪は今頃どうなっているんだろう。ダイエットして筋肉質体型に戻っているんだろうか。

加害者が反省してないことなんて、わかっている。警察からの事情聴取からは逃げ回っていたし、裁判をしている期間中も私の知らないところで酒を飲んで腹踊りしていたらしい。腹踊りするぐらいなら切腹しろよ、と当時は思っていた。過激だろうか。

前科を隠して結婚して、健やかに幸せに生きていくことも不可能ではないだろう。

こうなっては、前科者と精神病患者と、どちらの方が悪いのかわからなくなる。私は自分に貼られたそのレッテルが、罪のように思えて仕方がない。私はそんなに悪いことをしたんだろうか。

けれど、あの事件がなければ夫と出会わなかっただろう。

けれど、あの事件がなければ違う幸せが待っていたのではないだろうか。

もう何が正しいのかわからなくなる。私が実刑を受けているような気持ちだ。

もし、「あなたは悪くない」と毎日のように言ってくれる人に出会えなければ、「私はどうせ加害者なんだ」という気持ちから別の罪を犯していたかもしれない。私はそんなに善人ではないから。

そういう人に出会えたというだけでも、今私を取り巻いているこの世界に感謝している。

それと、前回のブログで読者数が一気に増えてとても嬉しいのだけれど、毎回こういうハラスメントの話をしているわけではありません。多分、あと1、2回で一旦終わります。

野菜ジュースの話とか、夫が朝ごはん作ってくれて嬉しいとか、そういう普通の話をたくさんします。

つまらなかったらごめんなさい。と、先に謝っておきます。

▼追記

次の記事。お時間よろしければこちらも読んでいただけると幸いです。

感情的被害は主観的な物で誰に決められるものでもない

(2016年8月29日「底辺ネットライターが思うこと」より転載)