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其処當あかり Headshot

被害を受けてから全てを許すまでにはたくさんのプロセスと障害がある

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私はこれまで被害に関してのあらゆること文章にしたため、最後を「加害者を許すことで心を解放した」という形で結んだ。

感情的被害は主観的な物で誰に決められるものでもない

「良い話」にしたかったわけでも何でもなく、それが事実だからそう語った。もしまだ許せていなかったら、真実そのものを書いてもっとおどろおどろしい形で話を結んでいただろう。

けれど、たくさんメールをいただいた中でひとつ、とても気になるメールがあった。

それはとても酷い犯罪被害を受けてからまだ日が浅い方からのメールで、その方からのメールにはこう書かれていた。

「加害者と、そして自分を恨む気持ちを乗り越えられません。いつか許すことができるのでしょうか」

文面から、加害者への怒り、不安、私への優しさが伝わってきた。私は彼女と何度かメールのやり取りをした。

彼女に「無理に許さなくてもいい」ということを知ってもらいたかった。

彼女は一歩踏み出せたようで、私はとても嬉しく、彼女のこれからの人生が安心に満ちた物ならいいと思った。

彼女の怒りや不安は被害者なら当然感じる物だろう。私だって簡単に加害者を許したわけじゃなかった。自分を憎んでいた時期だってあった。

加害者だけでなく、自分の存在そのものが許せなかった時期が。

少しずつ、一歩ずつ、段階を経て今の健やかな私がいる。(こんなおどろおどろしい文章を書き散らしておいて健やか?と思われるかもしれないけれど、私の人生においてはかなり健やかだ)

私は被害に遭った後、ものすごく人に恵まれた。

だからこそ、裁判後数年で許すというところまで辿り着けた。許すことで自分の心を解放して、夫と新しい未来を見据えていきたいと思えた。

私は本当に運良く巡り合えてそう思えただけで、そうではない人もたくさんいるだろう。

被害に遭って間もない人。

ずっと被害を責められ続ける環境にいる人。

加害者が自分よりも幸せに生活しているのがわかってしまう場所にいる人。

そんな立場にいれば、許そうとする方が心が苦しくなるだろう。

許そうとすることで心が苦しくなるのなら、許さなくていい。

一生憎んでいても、恨んでいてもいい。その方が心がラクになるのなら、その方がいい。たくさんたくさん思いっきり憎んでいい。

憎む先に何が待っているかわからない。何も待っていないかもしれない。ただただ絶望が広がっているだけかもしれない。心が加害者に占領されたままで全てが終わるかもしれない。必ずハッピーエンドが待っているわけではない。

それは、この世界に生きている人たち全てが平等だ。清く正しく生きていても、明日、残酷な終わりを迎えるかもしれない。

ただ「もう終わったことなんだから、憎んではいけない」と思うと、憎んでいる自分の心が汚らわしく罪深いものに思えて、自己嫌悪に陥ってしまう。他人から「もう終わったことなんだし」なんてことを言われたらなおさらだ。加害者だけではなく、自分を憎み始める。私もそうだった。

「私がもし男だったら」「私がいなければ」「私がもしあの時あの選択をしなければ」

考えれば考えるほど自分という人間が禍々しい存在に思えた。

そう思ってしまうのであれば、加害者を許す必要なんてない。

憎んで、呪いの言葉を吐いて、めいっぱい相手を憎もう。

それで必ずしも心が解放される日が来るとは限らない。けれど、一生解放されない自分への恨みへ心を向けるよりは、ずっと健やかだろう。

私は恨んで恨んで恨んで恨み続けて、呪いの言葉を吐き続けて、その果てで許そうと思えた。夫との生活を続けて数年経ったある朝、今の日常が日常であって過去はもう追いかけてこないと本能が理解した。目覚めた瞬間のことだった。

私がここに至るまで夫がかけ続けてくれたこの言葉がこれだ。この言葉を、苦しんでいる被害者全員に届けたい。

「加害者が全部悪い」

当然のことを言っているようにしか思えないかもしれない。

けれど、当然のことのようで、こう言い続けるのは意外と難しい。

被害者の話を聞いているうちに「そこのところは君が悪かったんじゃない?」と言いたくなる人がほとんどだ。

「スカートが短かったから被害に遭ったんじゃない?」だの、「思わせぶりな態度を取ったからストーカーされたんじゃない?」だの、「おしゃれするから悪いんじゃないですか?」だの、次から次へとよく出てくるものだと思う。

冷静になった今となっては「よくそんなことが思いつきますね。ご経験でも?」とでも嫌味を返してやりたいところだ。

色んなことを言われると、何が正しいのかわからなくなってくる。本当に自分が悪かったのではないかと思い始める。そして気が狂う。

だから、「加害者が全部悪い」と思い続けることは難しく、言い続けてくれる人がいることはとても心強い。

「でも、私が男だったら」「男だったら別の人がやられていた」

「私がいなければ」「他の人にやっていただろう」

「もしあの時あの選択をしなければ」「優しさからその選択をしたんだから、それを踏みにじった加害者が悪い」

私が言ってほしかった否定の言葉だった。その後も、何を言っても「加害者が悪い」という結論を導き出してくれる夫に、落ち込んでいたはずの私は途中から笑っていた。

悪いことをした奴が悪い。

どうしてこんな当然のことを人は大人になって忘れてしまうのだろう。

万引きしやすいところに商品が置いてあっても万引きしてはいけない。触りやすいところに好みの女の人がいたって気安く触ってはいけない。そんな当然のことがわからない奴が悪い。

某アニメのちびっこ名探偵だって言っている。

「殺していい人間なんてこの世の中にはいないんだ」

どんなに憎んでいても人を殺してはいけない。「殺されて当然」な人間でも殺してはいけない。

加害に及ぶ動機があることを理由に犯罪を正当化にしてはいけない。そこに情状酌量の余地があったとしても、そこから完全なる正当化を目論んではいけない。被害という結果が確かにそこにあるのだから。

もし今、何かの被害に遭って、「自分が悪かったのではないか」と苦しんでいる人がこのブログを読んでくれていたら、思い出してほしい。

加害者が全部悪いと。誰に何を言われても、全て加害者が悪いと。

「憎んで当然のことをされた」と思って、めいっぱい憎む。自分が正しいと思う。加害者が全部悪い。そう心に叩き込んで、めいっぱい憎む。

そして自分を憎むことだけはやめてほしい。加害者だけを憎んでほしい。誰に何を言われても。

もし被害のせいで誰かに迷惑をかけてしまっても、それは加害者が引き起こした被害のせいだ。全部加害者が悪い。迷惑をかけたことだけきちんと謝って、対処して、その分めいっぱい加害者を恨もう。

けれど、法的に許されない復讐をして加害者にならないでほしい。自分が許されなくなる環境を作らないでほしい。

自分の非を考えるのは、加害者を許した後でいい。許した後で、本当に自分が悪かったと「自分で」思えるところがあるなら、それをやめればいい。誰かに言われたってやめなくていい。

短いスカートを穿いたっていい。ミニスカートはかわいい。かわいい洋服を着る権利を奪われる必要なんかない。

趣味をバカにしていじめられたって、やめる必要はない。面白いと思う物を楽しむ権利を何で奪われなければならない。

悪いのは被害者じゃない。加害者だ。

被害者を責めて加害者に寛容になれば、加害者を増やすだけの結果になる。加害者が増えれば、いつか自分が、自分の家族が被害に遭うかもしれない。それでもいいのだろうか。

私は夫が何らかの犯罪被害に遭ったら絶対に相手を許さないし、そもそも被害に遭って欲しくない。だから加害者を否定する。犯罪を憎む。

ただ、セカンドレイプ発言をしてしまう人も気持ちもわからないわけではない。

加害者の心に少しでも同調してしまうと、セカンドレイプ発言をしてしまうのだろう。

例えば男性に多い。ミニスカート姿の女性が「痴漢に遭った」と話しているのを聞いて、「そんなにスカートが短いんじゃ触られても仕方がない」と言ってしまう人。

心のどこかでミニスカート姿の女性に魅力を感じ、「触りたい」と考えてしまったことがあるがために、加害者に感情移入してしまう。自分が加害者になってしまっていてもおかしくないという動揺から、自己防衛してしまうのだろう。

そう言う人にとってそれは自己防衛であり、セカンドレイプではない。

しかし、受けた側からしたらそれはセカンドレイプだ。それをわかってほしい。

加害者に同調するのも同情するのも自由だ。だけど、それを口に出さないでほしい。自分の意思をしっかりと持って、加害者側に踏み出さなければいいだけの話。

加害者の身内で、加害者を守りたい、無罪にしたいと考えている人は、被害者本人になんだかんだと言うよりも、弁護士に話した方が合理的だと言いたい。被害者に言えば、加害者を憎む気持ちがどんどん深まっていく。

責めた結果、被害者が自殺でもしてしまったら、被害者遺族から更なる罪に問われるだろう。加害者だけでなく、加害者を守ろうとした人も。

被害者の数も加害者の数も増える。なんて悲しい結果だろう。その動機が愛情だったとしても、許されることではない。

被害者を責めたくなった時は、本当にそれでいいのか一度考えてみてほしい。被害者を責めても加害者は減らない。

どんな状況下においても加害者を責めるのが当然になれば、加害者は少しは減るだろう。

そうすれば、自分が、自分の家族が被害に遭う可能性が減る。それはとても良いことではないだろうか。