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衆院での安全保障法制論議の総括

2015年07月17日 15時46分 JST | 更新 2016年07月16日 18時12分 JST

【結論】

またしても安全保障関連法案の国会審議が情緒論に埋め尽くされてしまった。参院での審議では、ぜひこの点を克服してもらいたい。以下、若干長くなりますが、衆院での審議を終えた現時点での私の所感を皆さんと共有させていただきたい。

【主要論点】

(1)法案の土台となった昨年7月の閣議決定は憲法違反か?

(2)閣議決定で行われた政府解釈の変更は立憲主義を否定するものか?

この二つの問いを巡って議論の7-8割が費やされてしまった。私は、いずれの問いに対しても懐疑的だ。つまり、昨年の閣議決定が一見明白に違憲とも言えないし、政府解釈を変更することが立憲主義に反するとも思えない。理由は後述する。

(3)現実の安全保障環境に照らして、法案は妥当なものか?

本来はこの点を徹底的に精査するのが国会審議の要諦である。しかし、この議論は110時間に及ぶ特別委員会での議論の2-3割に過ぎなかった。民主党が対案を出せなかったことや、維新の党の対案が出て来るのが1ヶ月遅かったことが、この最も肝心な議論を深めることができなかった最大の問題だ。

なお、私は、この点で、政府提出法案は、曖昧な点も多く、領域警備など肝心な法制が欠落しており、答弁も甚だ不安定で説得力に欠け、遂に国民の理解を得ることができなかったと考えている。ここは、参議院審議の段階で、野党がしっかりした対案を最初から提出し政府案との並行審議に持ち込んで、委員会での議論を深めるとともに、政府案の修正や補充や一部撤回を迫り、現実の安保環境に相応しいより良い法制を整備するべく真剣に取り組む必要がある。

【対案】

民主党は、「近くは現実的に、遠くは抑制的に、人道支援は積極的に」という理念の下、以下のような対案を準備している。

●領域警備法案

●現行の周辺事態法における「周辺」概念を残し、周辺有事に際し「非戦闘地域」での活動を前提に我が国領海や公海上での後方支援活動を拡大し、当該活動の支援対象は、米軍および米軍と共に活動している他国軍隊とする改正案

●予め条約および協定を締結している外国軍隊(当面は、安保条約の米国およびACSA協定を結んでいる豪州)と共同行動している場合に互いに装備を防護するため、「武器等防護」を規定する自衛隊法95条の改正案

●PKO協力法に基づく活動の拡大と駆けつけ警護を可能にする改正案

●他国の海外での戦闘への後方支援は恒久法ではなく、その都度情勢や必要性、自衛隊の能力や装備などを勘案して特別措置法で対応すべき…以上。

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憲法9条2項と自衛権、自衛手段、自衛の方法

さて、冒頭の憲法に関わる根本問題に答えるためには、憲法9条の規範内容を理解しなければならない。憲法9条には「自衛権」という文言はない。しかし、砂川事件最高裁判決が示したように「我が国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であって、憲法は何らこれを禁止するものではない」。ゆえに、自衛のための手段としての自衛隊は合憲とされてきた。

しかし、憲法9条2項の「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」という規定から、(警察予備隊や保安隊当時ならいざ知らず)なぜ5兆円規模の予算を費やし営々と築かれてきた世界屈指の兵力を誇る自衛隊が「合憲」なのか説明するのは、至難の技だろう。したがって、自衛隊創設時から憲法学者の大半は自衛隊違憲論を唱えたのだ。(奇妙なことに、その憲法学者の大半が現在では、当時よりさらに強大化した自衛隊の存在を合憲としている。)

自衛隊は合憲で、限定的な集団的自衛権は違憲は、ご都合主義ではないか?

これに対して、内閣法制局は、現実の国際情勢に鑑み、我が国を防衛する必要最小限度の実力を有するに止まる自衛隊は(どんなに巨大化しても、周辺の安保環境に釣り合う限り)憲法9条2項にいう「戦力」には当たらないから合憲だと解釈してきたのだ。このアクロバティックな解釈を維持することが、いま盛んに持て囃される「立憲主義」だというのである。なんともご都合主義ではないか。いや、ご都合主義が悪いと言っているのではない。現実の要請に応えて規範の範囲内で解釈を施していくのが憲法というものなのだ。法的安定性とともに現実的妥当性が重視されるのは、憲法条文と現実の乖離から憲法を空洞化させないためのギリギリの努力とも言える。

そして、今回の解釈変更である。「国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に」限り、個別的自衛権に加えて限定的な集団的自衛権を行使しようとするものだ。そうしなければ、安全保障環境の悪化や軍事技術の急速な進歩に対応できず、我が国の平和と安全が守れないというのがその理由だ。

この解釈変更と、憲法9条2項の下で世界有数の精強性を誇る自衛隊が容認されることと、どちらが論理的に無理がない(あるいは無理が大きい)だろうか?いずれも現実の外部環境に釣り合うように憲法を解釈した結果なのだが、私には前者の方が論理的飛躍の度合いは小さいと感じられる。後者は自衛の「手段」に関わる問題、前者はその手段を用いてどのように国家国民を守るかという「方法」に関わる問題だ。我が国の平和と安全を守ろうという観点から、個別的自衛権と限定的な集団的自衛権との間の差異はそれほど大きいとは思えない私には、後者は認めておいて、前者を憲法違反と断ずる「立憲主義」はいかにもご都合主義に感じられてならないのだ。もちろん、双方の問題をスッキリさせるため、憲法改正するのが王道だ。

それでも武力行使には明確な「歯止め」が必要

現実的に考えて残された問題は、自衛権行使をめぐる「歯止め」だろう。国力を顧みることなく無謀に戦線を拡大し、70年前に悲惨な敗戦を経験した我が国であればこそ、この歯止めの議論はきわめて重要だ。

ところで、皮肉なことに、後者の自衛手段については法的歯止めはない。防衛費をGDP比1%未満に抑えることも、大陸間弾道弾や原子力空母を保有しないことも、すべて政策的な制約に過ぎない。だとすれば、個別的自衛権に加えて限定的に行使する集団的自衛権の範囲も政策的に決めればいいような気もするが、ここは政府として40年来「行使できず」と繰り返し言明してきた手前、これを緩和するにあたって何らかの法的歯止めがある方がベターだろう。それが、新三要件というわけだが、「新三要件に合致すれば、ホルムズ海峡まで出張って行って武力行使も出来る(戦時の機雷掃海は国際法上は武力行使)」と言われると、「歯止めにも何もなっていない!」と批判せざるを得ない。

政府案に有効な歯止めをかける維新の党「独自案」

その意味で、維新の党が提出した独自案は検討に値する。それによると、我が国に対する直接の武力攻撃が発生するに至らない場合であっても、「条約に基づき我が国周辺の地域において我が国の防衛のために活動している外国の軍隊に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険があると認められるに至った事態」においてのみ自衛権が行使され得るというもの。自衛権行使の契機を「条約」「周辺」「我が国防衛のために活動している外国の軍隊」と二重三重に歯止めをかけている点は評価できる。

ただし、未だ我が国に直接の武力攻撃が発生していない段階で我が国が武力行使するわけで、これを集団的自衛権でないと強弁するからおかしなことになるのであって、「集団的自衛権の行使を限定的に容認するが、政府案より明確な歯止めが効いており、これならホルムズ海峡での武力行使など我が国に直接の戦火が及ばないような場合には容認されない」と説明すれば、国民の多くが納得してくれるのではないかと思う。その点で、政府案は、集団的自衛権を行使する地理的範囲も無限定で地球の裏側でも武力行使を許し、支援相手国も条約上の同盟国のみならず世界中の国々がその対象となる(法理上は北朝鮮もパートナーたり得る!)など、全く歯止めが効いていない。これでは、国民も容易には納得しまい。

審議を通じて余りにもお粗末だった政府答弁

その他、活動が拡大するのに派遣される自衛官のリスクは増大しないと強弁したり、存立危機事態を認定する契機が他国に対する武力攻撃の発生か発生する明白な危険があればいいのかをめぐって不安定な答弁が繰り返されたり、後方支援恒久法やPKO法改正を議論する前提となるイラク人道復興支援活動の防衛省の報告書が黒塗りで国会に提出されるなど、政府の説明や姿勢に不誠実、不明確な点が随所に見られたことも審議の混乱に拍車をかけてしまった。

以上、衆院での審議を総括させてもらった。いずれにせよ、少なくとも上記の論点を克服できるような実りある審議を参議院では期待したい。与党も野党も「60日ルール」に胡座をかいて参議院の自殺につながるような審議拒否は断じて許されない。参院の同僚議員の皆さんの「良識の府」としての矜持に期待したい。

衆議院議員 長島昭久