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「学習支援の不登校」が生まれないために

2015年05月14日 23時43分 JST | 更新 2016年05月14日 18時12分 JST

子どもの貧困や貧困の連鎖が社会的課題としての認識が高まり、学習支援が支援として注目を集めています。

これは素晴らしいことではあるのですが、若者支援も、困窮者支援もやってきた私としては、「これ、大丈夫?」と少し心配になることもあります。

厚生労働省の生活困窮者自立支援制度の紹介によれば、

子どもの学習支援をはじめ、日常的な生活習慣、仲間と出会い活動ができる居場所づくり、進学に関する支援、高校進学者の中退防止に関する支援等、子どもと保護者の双方に必要な支援を行います。

ということになっています。

若者支援者として注目したいのは「居場所」というキーワードです。

どんなに大人たちが「貧困の連鎖、大変だ!」「子どもたちのために!」と気合を入れても、子どもたち、若者たちがその場を自分が居るべき場所、居たい場所だと感じ、通ってきて初めて支援が可能になるわけです。

この「居場所」については、不登校やひきこもりの居場所論を通じて何十年と議論されてきているので、私が改めてそれを語るまでもないと思います。

重要なのは、「子ども、若者が、自らの居場所として"認識する"」という主観性や、その認識を持つに至っている場や人との関係性の問題であり、「我が国の未来が云々」というような天下国家の話でも、「子どもの元気な声の響く地域に」というような地域活性の話でも、「子どもの人権」と言ったような理念の話でもないということです。(どれも大切な話ではありますが)

そこを押さえておかないと、子どもたち自身が制度や社会運動から置いていかれ、それこそ「学習支援の不登校」が生まれてしまうのではないかと危惧しています。

どうか、大人たちの事情や熱い想いはちょっと置いておいて、まずは子どもたち、若者たちと向き合ってもらえたらと思います。

私が理事を務めるNPO法人パノラマは神奈川県立高校で、ぴっかりカフェという取り組みをしています。
(ぴっかりカフェについては、「高校内カフェって知ってますか?:"ぴっかりカフェ"にみる貧困の連鎖を予防する3つの機能」をご覧頂ければと思います)

これは、私たちインクルージョンネットよこはまがパーソナル・サポート・サービスという生活困窮者自立支援制度の源流の一つであるモデル事業をしていた時に、「相談」と改まって待っていても高校生とはつながれないので、学校生活の中で自然に交流しながら彼らと関係性を作り、いろんなことを話していこう、という「交流相談」の取り組みを始めたものがスタートです。

ですが、スタッフの配置が実は難航しました。

というのも、高校生と関係性を作ったり、その中から支援につなげていくのはなかなか難しいのです。しかも、授業とか相談という場面設定を外したところで。

実際に行くことになったのはアイディアを考えた石井氏(ぴっかりカフェを運営するNPO法人パノラマの理事長)と私なのですが、2人ともひきこもりの居場所のスタッフをしていた経験があったのが、奏効したのではないかと思います。教師や支援者という設定がない場での関係性の作り方、一緒に日常を過ごす過ごし方、日常から必要なら相談・サポートする場面への持っていき方等が、体に染み付いていたのではないかと思います。

地域で支援が必要なのは、大人が思う「正しさ」に乗れない子どもたち、若者たちなんだと思うんです。経済問題だけではない。その「正しさ」に乗れなくて、苦しくて、それで学校や社会や地域に居場所を持たない存在だと思うので。

「サードプレイス理論」のオルデンバーグは

サードプレイスの機能のなかで最も崇高でありながら、もはやどこでもほとんど実現されなくなったのは、若者と大人を一緒にくつろがせ、楽しませる機能だ。...アメリカ社会において、若者がますます大人から隔離されるようになっているということだ

と言っています*。これは恐らく日本でも同じではないかと思います。

どうか、この新しい学習支援という取り組みから、本当に支援を必要としている子どもたち、若者たちが溢れていきませんように。

※本記事は鈴木晶子の若者困窮者支援日記 "「学習支援の不登校」が生まれないために"に加筆修正を加えたものです

*レイ・オルデンバーグ「サードプレイス:コミュニティの核になる「とびきり居心地のよい場所」(みすず書房)21ページより