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「英雄」たちの時代が終わって、歴史はどんどんつまらくなった

2015年04月14日 01時44分 JST | 更新 2015年04月14日 01時44分 JST
ADEK BERRY via Getty Images
Pictures and flowers are seen in front of a memorial area for Singapore's late former prime minister Lee Kuan Yew outside the parliament building where he lies in state ahead of his funeral in Singapore on March 28, 2015. Singapore's first prime minister Lee Kuan Yew, one of the towering figures of post-colonial Asian politics, died at the age of 91 on March 23. AFP PHOTO / ADEK BERRY (Photo credit should read ADEK BERRY/AFP/Getty Images)

リー・クアンユー元シンガポール首相が91歳で生涯を終えました。これで、アジアの「英雄の時代」が完全に幕を下ろしました。

明治維新によって近代国家への道を踏み出した日本に対して、アジアの国々は(タイを除けば)ずっと植民地か半植民地でした。第二次世界大戦が終わってようやく民族自決の権利が認められ、独立が可能になったのです。

毛沢東、蒋介石、ガンジー、スカルノ、金日成、ホー・チ・ミンなど、毀誉褒貶はあるでしょうが、この時期に「建国の英雄」たちが続々と現われました。中国や韓国・朝鮮は日本より長い歴史を持っていますが、近代国家になってからは70年しか経っていない"若い"国なのです――これが、日本と近隣諸国との「ナショナリズム」が食いちがう理由のひとつでしょう。

そのなかでも東南アジアは、政治的な理由から建国が遅れました。インドネシアがオランダから独立を果たしたのが1949年、シンガポールがマレーシアから分離したのが1965年、米軍がベトナムから撤退して南北が統一されたのが1976年です。こうした建国神話の主役のなかでもリー・クアンユーは際立って若く、シンガポール独立のときはまだ41歳でした。

31歳で人民行動党を創設したリーは、35歳でイギリス統治下の自治政府の初代首相となり、独立とともにマレーシアと合併します。しかし多数派のマレー人とゆたかな華人との対立が激しくなり、大規模な民族暴動が起きたことから、シンガポールはマレーシアから追放されてしまいます。「建国」は、リーが望んだものではありませんでした。

シンガポールはマレー半島の先端にある小さな島で、水やエネルギー、食糧などすべてをマレーシアに依存していました。これから国民が耐えなくてはならない多くの苦難を思って、「独立宣言」のときにリーが涙を流したことはよく知られています。

豆粒のような国が生き延びるために、リーは国民を厳しく叱咤しました。なにひとつ資源がないのですから、頼るべきは国民の創意工夫しかありません。こうして英語を公用語とし、教育を重視し、汚職や犯罪に厳罰を科す独特の国づくりが始まったのです。

シンガポール経済は軽工業と観光業からスタートし、その後、タックスヘイヴン政策によって香港と並ぶアジアの金融センターとして発展したことで、一人あたりGDPでは日本(3万8468ドル)を大きく上回る5万5182ドルと、アジアでもっともゆたかな国になりました(世界8位/2013年)。

リーの政治哲学は、賢人が大衆を率いる中国の伝統的な士大夫主義で、その成功が中国の改革開放政策のモデルとなりました。表現の自由が制限されているなどの批判もありますが、国連の「世界幸福度報告」でもアジア最高の30位で、日本(43位)よりずっと「幸福」な国です。

植民地主義は過去のものとなり、アジアの建国の時代も終わりました。私たちはもう二度とリーのような「英雄」を見ることはなく、歴史はどんどんつまらなくなっていきます――それはおそらく、よいことなのでしょうが。

(2015年4月13日「橘玲 公式サイト」より転載)