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レイプが正当化されるようなことがあってはならない

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BRAZIL RAPE
ASSOCIATED PRESS
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「世界中で、女性や少女に対する暴力は最も深刻で、また最も許容されている人権侵害として残っているのです」 ――プムジレ・ムランボ-ヌクカ国連事務次長兼UNウィメン事務局長

ブラジル・リオデジャネイロのファヴェーラ(スラム)で、16歳の少女が33人の男に集団レイプされる事件が起きた。33人の中で、1人でも止めようとする人間はいなかった。16歳の少女の体と、彼女の人権はこれ以上ないくらいに踏みにじられてしまった。このレイプの様子は撮影されており、彼女の性器から出血していたり、後ろで男たちが笑っている様子も動画として残った。レイプに加わった男の1人がこの動画をTwitterに投稿し、この動画は500人以上から「Like」(いいね)をもらっている。彼女は意識がないいうちに、30人以上の男にレイプされたのだ。

この凶悪極まりない事件は、SNSの上で単なるジョークに形を変えてしまった。「この子をメチャクチャにしたんだ、分かるか?」と書いているコメントもある。この少女の祖母はブラジルのラジオ局CBNに、「彼女はファヴェーラに行くことが多かったが、この時はなんの連絡もなしに数日間帰ってこなかった」と話した。また祖母は、この少女が4年間ドラッグ依存の状態にあり、16歳ですでに3歳の男の子の母親であったことも明かした。

そしてすぐに、この少女の私生活はこの事件に対する口実になってしまい、このような暴力的な行いを正当化するような、レイプ文化の歯車を回し続けている。特に男性の中には、このような犯罪を忘れ、被害者のことばかりに焦点を当ててしまう人もいる。そして、下にあるような冷酷な質問が投稿されることも珍しくない。

「彼女がそれを望んでいたとしたら?」
「でも彼女は男たちと面識があったんでしょ?」
「じゃあどうして外に出たの?」
「レイプされて当然だったんじゃないの?」

病院から出てくるときに明らかに震えていた少女は、「目が覚めたら、33人の男たちが私の周りを囲んでいました」と地元紙「オ・グロボ」に話した。

レイプが正当化されるようなことがあってはならない。

少女はオ・グロボ紙に、金曜日の夜は交際している男性の家で過ごす予定だったのだが、目を覚ましたのは全てが終わった後の日曜日っだったと話した。現在もこの事件に関しては捜査が続いている

レイプが正当化されるようなことがあってはならない。

さらに、このように被害者を直接攻めるような風潮があることは非常に悲しく、問題で、不快だ。こういうことを行うのは、権力と服従によって他者との関係が築かれている社会で暮らしている、比較的健康な男性が多い。こうした文化のタイプがこのような犯罪を起こさせ、被害者の正当性を認めないようになってしまうのだ。

レイプは男性が女性に対して「誰の立場が上か」を示すための最も冷酷な手段だ。レイプはセックスではなく、感情のやり取りでもなく、愛情でもない。レイプは他人に対して、誰が権力を持っているかをはっきりと見せつけるものなのだ。レイプは暴力であり、束縛であり、侵害であり、拷問であり、軽蔑であり、残虐で非道な行為であり、それ自体が様々な意味を持つのだ。

実は考えられているよりも、私たちはレイプについて教えられている。私たちは小さなときから、自分自身を守るように教えられる。それは私たちが人生の中で何回かは攻撃され、暴力を振るわれる可能性がある女性だからだ(実際、5人の1人近くの女性が、生涯の中で1度は性的暴行の被害にあうというデータがある)。しかし男性は「ファルスの教え」(男根至上主義)に取りつかれ、女性の足を開き、自由に体を使ってよいという考えが中心になっている。

このバランスの取れていない環境の中で、子供たちは大人になっていくのだ。

レイプする男性というのは、全くの見知らぬ人ではない。女性は自分に付属しているだけの存在だと考えている男性は、思っているよりも身近にたくさんいる。ブラジルでは11分に1人、女性が暴行を受けている。そして決して忘れてはならないのは、2009年まではレイプはただ名誉を傷つけるだけの犯罪と考えられていたことだ。2016年の今でさえ、ブラジルではレイプは最も通報回数が少なく、水面下で起きている犯罪の一つなのだ。

ブラジルでは毎年5万件のレイプ事件が報告されているが、この5万件という数字は実際に起こっているレイプ事件のわずか10%ほどだと考えられている。暴行を受けた女性は多くの場合、報復を受けるのを恐れたり、事件が公になるのが恥ずかしい、裁判を起こせば別の暴力を受けることになるのでは、などの理由で告訴を取り下げてしまう。

女性たちの沈黙がこだましている。

何度も繰り返すが、女性が物のように扱われる今回のような事件は絶対に起こってはならない。女性は自分自身の体に対して自治権を欲している。私たちにはその権利があるからだ(驚きだわ!)。私たちには、ノーと言う権利、通報する権利、使い捨てにされる道具にはならなくても良い権利、平和に通りを歩く権利、尊敬される権利、指を差す権利、話す権利があるのだ。

しかし、権力のある場所から降りることは簡単で、また自分勝手だ。私たちはレイプ犯を「普通の男性」と考えている。確かに、本当に彼らは普通の男性だからだという時はある。レイプ犯の大部分は私たちの非常に身近な人たち、例えば、父親、彼氏、祖父、兄弟、近所の人、叔父などなのだ。社会はこういったレイプ犯を正当化して許し、それと同じくらい被害者を非難してしまう。

私たちは力を合わせた時、そして怒っている時の方がより美しい。

人々の頭の中にある、こうした悪質なサイクルを打ち切ることが必要だ。このような考えは文化的な問題で非常に奥深く根差しており、非常に抑圧的だ。他人の体を30人以上で蹂躙し、そのことを勝手に公表するとはどのような自由なのだろうか? 相手を支配したり、暴力の対象にしたり、相手の権利を封じ込めたり、権力を行使する恋愛というのはどこに存在するのだろうか? どうしたらこれらのことから、ポジティブに楽しくなれるのだろうか?

男性の中には、このような事件に対して団結を示し、他の男性から反感を受ける人もいる。しかしこういう人たちが、女性を物として扱うようなコメントを投稿する友人を褒めたり、自身の悪意に満ちた「男らしさ」を認識していなかったら何の意味もない。現に、30人の男たちの中には疑問を持つ者はいなかった。誰一人として、この凶行を止める者はいなかったのだ。

私たちは全ての機会を他人を服従させ、侵害し、侮辱し、女性によって勝ち取られた権利を叩き潰すために使う社会の中で暮らしている。もっと分かりやすく言うと、私たちは女性しか信頼することができない。同じ女性にしか、この気持ちは分かってもらえない。

腕を組んで見ているだけでは、他の誰かに問題を解決してもらうのを期待することは無駄だ。まして、アレクサンドル・フロータ(ブラジルのテレビ司会者)のような人物を招いて教育についての話をさせるような行政にはもっと期待できない。

プムジレ・ムランボ-ヌクカ国連事務次長兼UNウィメン事務局長が発表した声明は、極めて明快だ。女性に対する暴力は、まだ世界では最も許容される人権侵害なのだ。

今回のような事件は私たち全員に関係するものだ。自分たちが何者か、そしてこれからどれだけ長い道が待ち受けているかを思い出させてくれる。私たちは黙ったままでいることはできない。私たちは自分自身のために声を上げることのできない人の分も、声を上げていく。私たちは意思表示をするたび、涙を流すたびに生まれ変わっていくのだ。
 
私たちは力を合わせた時、そして怒っている時の方がより美しい。




この記事はハフポストブラジル版に掲載されたものを英語に翻訳したものです。意味を明確にするために、編集を加えた部分があります。

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リオデジャネイロの集団性的暴行事件に抗議する女性たち
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