ブログ

ハフポストの言論空間を作るブロガーより、新しい視点とリアルタイムの分析をお届けします

Angel Gurría Headshot

グローバル化:小手先の対処ではなく、抜本的な再編を

投稿日: 更新:
印刷

ジュゼッペ・トンマージ・ディ・ランペドゥーサの小説『山猫』に登場するタンクレディ・ファルコネリの有名な台詞がある。

「現状を維持したいなら、変えなければならない」。

このシチリア貴族にとってガリバルディのイタリア統一運動から特権を守る方法は一つしかない。実際には何も変えないために上辺だけを変えるのである。

グローバル化への反発が世界的に広がる中、最近グローバル化を「修正」しようという声がOECDを含め多方面から出ている。もっとも、そうした呼びかけは不信感を持って迎えられている。「グローバルエリート」はタンクレディと同じ策、つまり一部の人たちにとって上手く行っている秩序が動揺するのを避けるために上辺だけ変えている、という疑いである。

我々は、疑い深くなっている人々を非難することはできない。従来からグローバル化を下支えする開かれた市場や自由化を擁護してきた組織や機関にとって、古い壊れたエンジンを修理するように物事を「修正」し、つまり言い方を少し変え、政策に多少手を加えて、現在の保護主義、孤立主義、ポピュリズムをやり過ごし、今まで通りのやり方に戻ることは魅力的に映るかもしれない。

しかし、実際のところ、このやり方では上手くいかない。その場しのぎでは市民の不満に対処しきれない。後戻りはできない。余りにも多くの人々にとって余りにも多くのことが上手くいっていない。前進するには、グローバル化に小手先で対処するのではなく、グローバル化を抜本的に再編するしかないのだ。

各国政府が、我々の経済、社会、政治システムが上手く機能するように抜本的な変革を個別的にも集団的にも行わない限り、我々の取り組みは全て更なる危機の芽を育てるだけである。開放性と多角的協力がこの何十年かもたらしてきた平和と進歩が逆転することになる。

社会の根幹に取り組むことが、長年の懸案となっている。所得・資産・機会の不平等の高まり、金融と実体経済の断絶の拡大、労働者・企業・地域間の生産性格差の拡大、多くの市場における勝者がほぼ独り占めする力学、税制の累進性の限定的な効果、既得権益層による政治や制度の腐敗・壟断、意思決定における透明性や一般市民参加の欠如、教育の健全性、そして将来世代に伝える価値などである。

OECDは、最初から包摂的、持続可能で公平性を組み入れた成長という、これまでとは違うタイプの成長を実現するための土台作りを行ってきた。従来の考え方を乗り越え、GDPや集計値を超えて人々の暮らし良さに着目した経済的課題に対する新たなアプローチを促進する取り組みを行ってきた。

しかしこれでは不十分である。自国の制度に対する市民の信頼を取り戻すための新たな世代を超えた社会契約がなければならない。この社会契約を確保するために、各国は全ての市民に成功する力を与える政策を整備しなければならない。

対策は国内から始まるが、いかなる解決策も最終的に各国別には成立しない。脆弱性や不確実性の意識を掻き立てるのと同じグローバルな力学が、我々の課題に答えを与えてくれる。

例えば、OECD諸国の高齢化については、移民が問題の解決につながる。国際的な貿易や投資についても、持続可能な開発目標に向けて資源を動員することができる。租税回避地の根絶や気候変動への対策が前例のないほど進展しているのも、国際社会が結束して取り組んでいるからである。

今日においても、科学面の国際的な学術協力はデジタル技術革命を活用しており、それを不安視する人も多いが、生産、消費、働き方、我々の社会の機能全体を良い方向へと変えることができる。

「グローバル化か非グローバル化か」という問題はすでに過去のものである。

今日の問題は、どのような形のグローバル化になるかということである。それは、我々がこれまでに経験したものとは限らない。人々の暮らし良さを再び中核に据え、我々の経済、社会、制度、文化の相互連携を進めることによってもたらされる恩恵が、より平等に共有されるようにしなければならない。そのためには、政治と政策が統合の強まりに追いつかなければならない。

政治のグローバル化がいつまでも経済のグローバル化の後塵を拝しているようではいけない。我々はゲームのルールとガバナンスのメカニズムを改良し、国際的な協調行動を改善する必要がある。競争条件を平等にし、最良の政策実践を推進する国際基準を確立する必要がある。さらに、地方レベルから世界へと、透明性、民主主義、市民の関与を高める必要もある。

今週、OECD加盟35カ国の閣僚がパリに参集し、これらの問題について討議する。

我々はまた、70年前のこの時期、マーシャルプランを提唱し、最終的にOECD自身の創設に繋がった歴史的な演説の教訓も振り返ってみたい。

その1947年6月5日、当時のジョージ・C・マーシャル米国務長官は、「我が国政府が将来行うどのような援助も単なる鎮痛剤ではなく治療薬であるべきだ」と述べた。我々も同じ基礎的な瞬間に直面しつつある。鎮痛剤ではなく、決定的な治療薬を必要とする瞬間である。

このような時代には、同じ大胆さ、イノベーション、そして何よりも長年待ち望まれていたあらゆる人々にとって公平で繁栄した未来を再創造するための行動が求められる。