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家族からフェードアウトして、ひとりになってみること

2017年06月18日 23時14分 JST | 更新 2017年06月18日 23時14分 JST

日本で23歳の大学院生というのは、それなりに「大人」として扱われるし、大学でも学部生と違って「研究者見習い」として責任を持っている立場でもあるけれども、経済状況は学部生と大して変わらず、モラトリアムの中にいるような、それでいて「社会人」として自活している同世代と同じように「大人」にならなければと自分で自分にハッパをかけるような、ふわふわとした立場だ。

とにかく経済的な基盤がなく生活のルーティーンもあまりないので(生活を送る上での最低限の家事をしている程度だ)、現実的に所帯を持ったり子どもを持ったりという選択をすることは難しい。何よりも学業に集中したいので、とりあえずひとりでいるのが一番気が楽なのかもしれないとも思う。

それが、23歳の大学院生をしている私の現実である。

ただ、これから先どうなるかはわからない。が、目の前のことで精一杯であまり考えてもいない。

「とりあえずひとりになる」という選択をしたのは、両親とうまくいかなかったということが一番大きい。

今年に入ってからの話なのでつい最近の話だが、母親に警察を呼ばれるということがあった。

私は大学に入ってから一人暮らしをしている。その頃しばらく論文執筆で忙しく、もともと快く思っていない母親からの電話をどうしても取りたくなかったので、半年ほど電話をしていなかった。帰省もほとんどしておらず、メールだけで連絡をとっていた。

それで母親が取り乱したのか、「今すぐ電話に出なさい」「電話に出なければ警察を呼びます」というメールが母親から立て続けに届き、母は本当に警察を呼んだ。一人暮らしをしている私のアパートに駆けつけた警察官の話を伺うに、「安否確認」という名目だったらしい。

その後すぐ、両親のご機嫌伺いが必要だと察して帰省したところ、父も母もやたらとフレンドリーに私に接してきた。警察騒ぎの時の母親のヒステリーは一体どこにいってしまったのだろう、と思うほどに。

予想通りだった。要は、彼らにとって私は「親思いの気立ての良い娘」であればよく、「仲の良い家族」でいつづけられればいいのだなと思った。警察を呼ぶという非常識なことをしておきながら、笑止千万だと思った。

私は、しばらくお世話になっていたカウンセラーや母親とのトラブルについてよく話を聞いてもらっていた友人たちに相談し、両親とは縁を切らないまでも、適度に機嫌をとりながら必要以上に関わらないようにすることを決めた。

警察を呼ぶという母親の非常識な行動を目の当たりにし、もう限界だった。

家族とは徐々に距離を置いて、経済的に自立できたら今のこの家族からフェードアウトしてしまおう、と決めた。

今思えば、小学生の頃からとりわけ母親には苦々しい気持ちを抱いていた。

中学受験を控えて塾に通っていた頃、読書好きだったのでよく小説を読んでいた。当時流行っていたハリー・ポッターシリーズが好きで、寝る前によく読んでいたのだが、「本ばかり読んで勉強しない」と怒った母親が突然私の部屋に入ってきて、読んでいた本をビリビリに破るということがあった。

塾での成績にもそれほど問題があったわけではなかったが、母親からはいつも「どうせ受からないんだから」と言われていた。なるべく気にせずマイペースに勉強し、私は無事に第一志望校の中高一貫校に合格した。

中学に入ると、周りが優秀だったのと、部活ばかりしていたのとで成績は必然的に下がった。

それでも私自身はあまり気にしておらず、それほど勉強していなかったのだが、そういう私に対して母親はよくヒステリーを起こしていた。両親とも、試験前にのんびりしている私を見て「試験前なのに悲壮感がないね〜」と、よく嫌味を言っていた。それが嫌で、学年が上がるにつれ家では勉強せず、学校や塾の自習室で粘るようになっていった。

部活は音楽系の部活に入っていたが、父親から「うちの家系で文化部なんてありえない」と言われていたことは今でも根に持っている(たしかに、両親も兄弟も親戚も体育会系の人ばかりで、学生時代にスポーツでかなりの成績を残している人がいるくらいなのだが)。

それでも母親は私に「希望する道に進んで欲しい」と思っていたらしく、そのようなことはよく言われていた。

高校生になってからそれなりに進路について考えるようになり、部活を続けながらもなんとなく受験を意識して勉強するようになった。志望大学は地元から新幹線の距離にある地域の大学に決めていた。

志望大学はやや高望みの感はあったけれども、高校2年の終わり頃には十分目指せるレベルに達していた。学校の先生や予備校の先生からも、しっかりがんばれば問題ないだろうと言われていた。模試の成績もよっぽど失敗しなければ概ねA判定かB判定だった。

ところが母親からは中学受験の時同様、「どうせ受からない」と言われ続けていた。今になって考えれば母親の言っていることに全く根拠はなく、無視するくらいでちょうどいいのだが、10代の私は「受からない」という母親の言葉とA判定の結果が出ている模試の結果との間で困惑することしかできなかった。

それでも、なんとか第一志望校に合格し、地元を離れて都会の大学に進学することになった。

親の目から離れた大学生活は本当に気楽で、いろんなことにチャレンジした。奨学金をもらって留学することもできた。優秀で頭の切れる友人もたくさんでき、そんな友人たちと一緒に過ごすのが楽しかった。

それでも、小学生の頃から母親に言われ続けていた「どうせあなたにはできない」という言葉が常に頭の片隅にあり、何をやっても達成感を得られなかった。いや、当初は、達成感を得ていないということすらも気づいていなかった(その話を大学入学当初から付き合いのある友人にしたら、「え! あんなにいろいろやってたのに!」とずいぶん驚かれてしまった)。

物理的に親から離れることはできても、気持ちの面で束縛されているということを、留学も経験した大学生活後半あたりからひしひしと感じるようになった。

大学卒業後の進路について考えるようになった頃、母親からは就職しろ、できれば地元で公務員になれ、公務員試験の予備校の費用はいくらでも出すと言われていた。父からは特に何も言われなかった。

どう考えても私の性格上、地方公務員は向いていないのだが、母は私に目の届くところにいてほしいのだなということを改めて感じた。それができないならせめて就職してほしくないのだろう、母にとって理解不可能なことは私にしてほしくないのだろう、ということが改めてよくわかった。

そんな母親の理想に沿う気力は残っていなかった。就職してまるっきり環境が変わってしまうのも怖かった。仮に就職活動に成功して有名企業に入ることができたとして(それが成功というのかどうかも考えものだが)、そんなことで母親を喜ばせるのも嫌だった。

だから、もともと考えていた大学院進学という道を選ぶことにした。

同じ大学の大学院での進学を希望していたので、進学しても引っ越す必要はなく、だいたいこれまで通りの生活が続くだろうと見当をつけていた。就職活動はせず、卒論を書きながら大学院入試に向けて勉強する日々が続いた。

院試の直前、帰省した時に、母親からは「院試に落ちて地元で就職すればいいのに」とまで言われたが、無事にこの試験も合格することができた。こうして私は大学院生になり、本格的に人間を相手にする学問に携わるようになった。

書き起こしてみて思わず笑ってしまうほど、母親の私に対する言動がひどく、その行動は私を支配して手元に置こうとしているようにしか思えないのだが、彼女なりの事情があるのだろうということについてはよくわかっているつもりだ。

結婚して退職し、しばらく専業主婦をして子どもが小学生・中学生になった時にパートタイムでの仕事を始めるという典型的なM字型雇用の凹みの部分を形作るような生き方をしてきた母は、長い間、家庭の中で「妻」「母親」として相対的にしか自分自身を捉えることができなかったのだろう。そのために、子どもである私という存在を支配してでも手元に置くことが必要なのかもしれない。

ただ、それが愛情なのだとしても、私はそれを受け入れることができない。

「院試に落ちて地元で就職すればいいのに」と言われたというエピソードを周囲の人に話すと、「それは近くにいてほしいっていう愛情だよ」と言われることがある。わからなくもない。だが、私が前向きに将来を目指す上での一つの関門である「院試」を「失敗してほしい」とまで言う人からの愛情を、ありがとうございますと受け取りたいとは思えない。

家族の話は美談にされやすい。「あなたの母親の言動や行動は愛情ゆえだ」という発言は、家族というものを美化しようという無意識的な作用が働いているものだと思えてならない。

「合格するわけがない」「大した研究ができるわけでもないのになぜ大学院など行くのか」「院試、落ちればいいのに」と両親から言われて一度傷ついた私は、愛情という言葉でそれを美化しようとする人の言葉に、もう一度傷つく。

みんなが生きづらさを抱えながら、家族として一緒に生活し続けることは厳しいこともある。一緒にいてつらいなら、愛情が湧いてこないなら、「捨てる」という過激な動詞を使うかどうかは別として、離れるという選択をしてもいいと思う。

それは、私が家族とのトラブルで真剣に悩んでいた時、電話で時間をかけて話を聞いてくれた友達や、自身の経験に照らして現実的なアドバイスをくれた友達から教わったことでもある。受け入れられないものは親だろうと何だろうと受け入れなくていい、感謝できないものに感謝する必要はないのだ、ということ。

私とはまた違った家族の問題を抱えている友人がいて、その友人も学生時代には親の援助を受けつつ実家を離れて一人暮らしをしていたのだが、親からの援助について「こうなってしまったのは親のせいでもあるから、賠償金だと思ってもらっている」と言っていた。その話を聞いた当時はなかなかに受け入れがたい考え方だなと思ってしまったが、今はそれも合理的で悪くない考え方だなと思う。

かくいう私も、学生を続けるにあたって親からの援助を受けている。奨学金を取ることなども考えたが、多少不服でも長い目で見ればすねをかじってしまうのが合理的だという判断だった。それに、もし進学せずに就職していたら、家族には勤め先を告げず完全に縁を切ってしまっていたと思う。それよりはとりあえずつながりは持ち続ける方が、お互い気持ちいいだろう。でもきっぱりと距離は取るということにしてバランスを取っている。「いずれはフェードアウト」くらいでちょうどいい。

時々、研究室で「家族がいなければ幸せになれないなんて、そんなことはないだろう」と他の学生と話すことがある。そういう話題になると、じゃあ私にとっての幸せって何なのだろう、と考えたりもする。自分の子ども時代に幸せな親子関係でいられなかった分、所帯を持つなら幸せでありたいと思うが、どういう形なら幸せになれるのかよくわからない。

とりあえず、誰かと暮らす、家族を持つという実践は先延ばしにしようと思う。自分の過去が未来のロールモデルにならないのなら、目の前のことを少しずつこなしながら、手探りで幸せの形を見つけるしかなさそうだ。

大学院生として23歳の日々を駆け抜けているのは、私にはそういう時間が必要だからなのだと、自分に言い聞かせつつ。

家族から距離を取りフェードアウトして、とりあえずひとりになってみる。

そう決めて大学院で人間を相手にする研究をしながら見えてきた世界は、思っていた以上に広かった。

今は、この広くて複雑な世界を研究を通してほんの少しずつ、解きほぐしていけたらいいなと思っている。

先日、母親から荷物が送られてきた。

食料や生活用品に混じってあれほど送ってくるなと言ったはずの服が送られてきていて、疎ましさと少々の愛おしさを感じつつ、最近は父と二人で旅行に行くこともあるという母の今後が、幸せなものであってくれたら、と少しだけ思う。子どもである私の人生とは、また別の文脈で。


hitori


ハフポスト日本版では、自立した個人の生きかたを特集する企画『#だからひとりが好き』を始めました。

学校や職場などでみんなと一緒でなければいけないという同調圧力に悩んだり、過度にみんなとつながろうとして疲弊したり...。繋がることが奨励され、ひとりで過ごす人は「ぼっち」「非リア」などという言葉とともに、否定的なイメージで語られる風潮もあります。

企画ではみんなと過ごすことと同様に、ひとりで過ごす大切さ(と楽しさ)を伝えていきます。

読者との双方向コミュニケーションを通して「ひとりを肯定する社会」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

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