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私のカミングアウト体験談――カミングアウトを受けた話

2016年02月08日 19時10分 JST | 更新 2016年09月17日 14時17分 JST

好きな人に告白したら、「自分はセクシャルマイノリティだ」とカミングアウトされました。

私自身が告白した・された経験を振り返って、最も斜め上を行く返答でした。

私のカミングアウト体験談は、カミングアウトを「した」話ではなく、カミングアウトを「受けた」話です。LGBT当事者がカミングアウトを「した」体験談はネット上のいろんなところで読むことができますが、マジョリティがカミングアウトを「受けた」体験談は余り見かけないのではないでしょうか。

そこで私は、自分がカミングアウトを受け、カミングアウトをしてくれた人と関係性を保ち続けることができたという体験談を書きたいと思います。

【彼】

その相手は大学の授業で出会った、同じ学部の男の先輩です。授業で彼の発表を聞いて、本当にスマートな人だと思っていました(実際彼は、頭の切れる優秀な人です)。少しずつ仲良くなり、いつしかいっしょに出かけたり、個人的な話もしたりするようになり、いつしか私は彼に片思いしていました。

彼とは気が合うのでしょう、今でもそうですが、売り言葉に買い言葉のようなくだらないやり合いをするのが本当に楽しくて、時には相談にも乗ってもらったりもして、片思いの相手であると同時に、良き先輩であり、友人でした。

そんな彼と長く接するなかで何も違和感を持たなかったわけではなく、この人に私が思っている「普通」の原則は当てはまらないと感じていた程度で、深く気にしてはいませんでした。

そして、私が告白するという段階に至りました。それで、彼のカミングアウト。ゲイである、と明確には言われなかったけれども、自分の性的指向は男性に向いているということを言われました。

本当に動揺しました。

しかも、「セクシャリティは曖昧なままにしておきたいけれど、とにかく異性愛者ではない」とのことで、その意味が全く飲み込めず、余計に混乱していました。

正直なところ、あまりに動揺しすぎてその日彼が何を言っていたか、私が何を言ったか、余り覚えていません。それまでの彼との関係性が居心地良かったので、何も変わらずいたいということを私が言っていたこと、そしてその後、混乱状態を引きずったまま、友達に泣きながら電話したことはよく覚えています。

失恋したのかどうかもよくわからなかったのが混乱に拍車をかけましたし、やはり彼のカミングアウトをその時は受け止めきれなかったのだと思います。

【私のとった行動】

私のようにカミングアウトを受けて混乱する人は、決して少なくないと思います。その時、カミングアウトを受けた人はどのような行動をとるのでしょう。私は、どうすればよいかわからず、気づいたら勉強していました。

彼も私もジェンダーに興味があるという話を以前から共有していたので(もっともその時点で彼がセクマイであることに気づいても良さそうなものですが)、「それならジェンダー関係の文献を読めばいいじゃない」という発想でした。 彼からも、「本を読んで勉強しろ」と日頃からよく言われていましたし(全くもって余計なお世話ですが)。

幸い、ジェンダー関係の本・論文にはアクセスしやすい環境で、読むものには困りませんでした。カミングアウトに関するものを中心に、セクシャルマイノリティに関する本や論文、LGBT当事者団体のウェブサイトなど、とにかく目に付いたものを読みました。

その間も、私が全く苦しんでいなかったわけではなく、セクシャルマイノリティに関する知識が増えれば増えるほど、彼のことをどう捉え、自分の気持ちをどこへ持っていけば良いのかわからず途方にくれ、苦しい日々はしばらく続きました。

そのような状態の私を見かねた友人たちが相談に乗ってくれたり、いたわってくれたりしたこと、カミングアウトされたんだけど...と話したら彼らなりの意見をくれたことに、本当に救われました(もちろん、彼との共通の知り合いには、一切彼のカミングアウトについては話していませんが)。また、たまたま飲み会の席で隣になった人がセクシャルマイノリティの専門家だったということもありました。これに関しては、運命を感じずにはいられません。

【初めて知ったこと、わかったこと】

そのような過程を経てわかったことの中には、「セクシャリティはグラデーションであり、曖昧である」ということがまず一つありました。これは、飲み会の席でたまたま隣になったセクマイの専門家から伺ったことでもあります。

もちろん、自分のセクシャリティをラベリングして、名前をつけたほうがいいと思う人もいます。しかし、「自分のセクシャリティは曖昧だけれども、とにかく異性愛者ではない」と思っている人もいるのです。それがわかって、カミングアウトしてくれた彼は彼でしかないということを受け止めることができました。

また、これからそういう人に出会った時、彼のことを受け止めたいと思ったのと同じようにその人のことを受け止めたいと思いましたし、セクシャリティという点ではマジョリティに属しながら暮らしている自分自身や周囲の人たちについても、そのままを受け止めたいと思いました。

また、「セクシャリティは社会的なものである」ということがわかったのは、私にとって大きな収穫でした。

もちろんセクシャリティは個人的なものでもあって、特にセクシャルマイノリティ当事者にとっては、誰にひけらかしてもよいというものではありません。しかし、人間関係を構築していく上で、セクシャリティという前提は必ず必要になると私は考えています。

特に若い世代はどうしても恋愛というものに感情を左右されがちで、恋愛の話をしようと思うと、どうしてもセクシャリティという前置きが必要です。普段、異性愛者はいちいち前置きをせずに、いや、無意識・無言のうちに「お互いに異性愛者である」という前提を作って、話を進めているのではないでしょうか、

私は彼のことを(何らかの疑念はあったかもしれませんが)とりあえず「男性の異性愛者」と捉えてそれまで接していました。しかし、彼のカミングアウトによってその前提が私の中で崩れてしまい、もう一度前提を作り直さなければならなかったのです。その作業は、少なからず労力を伴うものでした。

つまりカミングアウトの直後しばらく、私がなぜつらかったのかというと、「彼のことが何者なのかわからなくなってしまった」からなのだと思います。

カミングアウトをした後、関係が悪くなったという話はよくあります。

それはカミングアウトを受ける側が少なからずショックを受けるからであり、そのショックの結果、カミングアウトをした人を拒絶してしまう例は必ずあると思います(もちろん、セクシャルマイノリティに関する知識不足や偏見ゆえの拒絶もあるかもしれないけれど)。

私もカミングアウトを受けてショックでしたし、それが片思いの相手だっただけに苦しみました。でも、私は彼のことを拒絶したくなかったし、これからも親しい間柄でありたかったから、自分がカミングアウトを受けて苦しんでいる姿を彼に見せて、不安を与えることはしたくないと思っていました。

しかし私は、自分が彼と接する上での「前提を作り直す作業をしている」ということに気づけたおかげで、カミングアウトを受けて何が苦しかったのかが分かり、自分は確かに苦しんでいるけれど、彼との親しい間柄が壊れることは決して望んでいないということを、再確認できたのです。

【もう一度、二人でカミングアウトの話をしたこと】

このような思考の過程を経て、「もうこれでいいや」と自分の気持ちもだいぶ落ち着いた頃、私は彼を大学の食堂に呼び出し、普段通りに食事をとりながらおしゃべりをすることにしました。

その日に、私は彼に「あなたのカミングアウトによって、私があなたと接する時の『あなたが男性の異性愛者である』という大前提が崩れてしまって、それをもう一度作り直さなければならなかったから、それが苦しかった」と素直に話すことができました。「カミングアウトを受ける側の気持ちもわかって!」と、それまで通りというか、私にとってはいつもの調子で言いたいことが言えました。

彼はというと、「カミングアウトはセクマイにとって常に由々しき問題だけれど、その視点はなかった」とのことです。言葉の節々から察するに、彼としてはとりあえずカミングアウトをしたので、それで全て完結していたつもりだったようでした。私の気持ちをどこまでわかってくれたのかは定かではありませんが、私が苦しんだ理由を共有することができました。

あのカミングアウトは、彼がカミングアウトした日だけで終わったわけではないということ、私も彼のカミングアウトという物語で確かに重大な役割を担っていたということを二人で確認できたのです。

また、彼とよりオープンに話せるようになった気がします。まさか、授業中はいかにも優秀な学生と見える振る舞いをする彼と、「かっこいい男の子」の話ができるようになるとは、出会った頃には思いもしませんでした。人生とは本当にわからないものです。

また、「カミングアウトを受ける側のことって、議論する上であまり念頭に置かれていないよね」ということも彼と共有しました。これは私自身が今後探求してみたいテーマとなりそうです。彼は「がんばってね〜」と呑気に言っていましたが、カミングアウトを受けた後の心の揺れはマジョリティである私たちにとっても由々しき問題なのであって、彼の呑気さに多少イライラしたりもしましたが......「いつものことだなぁ」と思います。このテーマに行き詰まったら、彼に意見を求めたいと思っています。

【親しい間柄で居続けるということ】

恋愛感情の伴う異性の友人同士という、ともすれば簡単に壊れてしまう人間関係の間でカミングアウトを受けて、彼との関係を保つことができて本当によかったと心から思います。

親子間や先生と生徒の関係という固定的な関係性の中では、多少のことがあってもその関係は崩れようがありません。ただ、友人関係という、いつ単なる知り合い同士に戻ってしまってもおかしくない関係性の間では、カミングアウトという、プライベートでもあり、人間関係を構築するという観点から見ると社会的でもある告白によって、その関係性が崩れかねないということは、残念ながら否定できません。

しかし、その人間関係の崩壊は、信頼関係を互いに構築することで回避できるのではないでしょうか。

ありのままのその人を受け止められるような、そしてそれが苦しみを伴うとしても、そうする努力を厭わないような信頼関係が築けているのなら、カミングアウトを経て、より信頼の厚い関係になることができるのではないかと思うようになりました。

彼のカミングアウトの後、彼はよく「カミングアウトする相手は選んでいるから」と、私に言うようになりました。私は彼の信頼に応える形で、彼のカミングアウトを受け止める努力をするようになったということなのだと思います。

私自身、「カミングアウトしてくれてありがとう」という気持ちは、素直に湧いてきました。そう思えるだけの信頼関係を、知らず知らずのうちに、彼との間に築いていたのでしょう。

カミングアウトを受けるという体験を経て、「カミングアウトをする側だけでなく、カミングアウトを受ける側もまた、そのカミングアウトの当事者である」という事実を痛感しました。私が彼に「カミングアウトを受ける側の気持ちもわかって!」と言ったように、カミングアウトは一方通行で、一瞬で終わるものではなくて、する側・受ける側の間で新たな関係を作り出すための、大事な通過点なのだと思います。

つまり、カミングアウトは、「したら終わり、言ったらそれで終わり」という類のものではないと思うのです。それはむしろ一つの物語のようなもので、カミングアウトの前にもカミングアウトをする人と受ける人の間に親しい関係を作っていくというプロローグがあって、それがカミングアウトという転換点になる出来事によって、その後の新しい物語を共に作っていくという、そういうものではないでしょうか。

私も、確かに彼のカミングアウトという物語に主人公として組み込まれていて、その後の私たちの関係性は少しずつ変化しつつあるのを実感しています。

だから、カミングアウトをした結果、受けた方が上手に受け止められずそこで人間関係が終わってしまう、という風に、転換点で尻切れとんぼになってしまう物語があって欲しくないと、そう思います。

カミングアウトをする側・受ける側の葛藤を両者で共有し、新たな人間関係のステップへと踏み出す――理想はカミングアウトなんてしなくても、?