この夏、歌うべき「詩」がある。「はだしのゲン」作者が遺した詩を広島・原爆ドーム前で大合唱したい

「その詩を見たときには、すでに7割方メロディーができていました。思わずボイスレコーダーを置いてピアノに向かい、浮かんだメロディーを歌いました。感情があふれて、涙を流しながら――」

「その詩を見たときには、すでに7割方メロディーができていました。思わずボイスレコーダーを置いてピアノに向かい、浮かんだメロディーを歌いました。感情があふれて、涙を流しながら――」

(昨年のとうろう流しの様子/「広島 愛の川」プロジェクトHPより)

戦後70年となる今年は、広島・長崎の被爆から70年の節目の年でもある。8月6日、広島・原爆ドーム前の川のほとりで、例年の「とうろう流し」の前に、みんなである歌を歌うことが決まった。広島原爆をテーマにした漫画「はだしのゲン」の作者、故・中沢啓治さんが生前に書き残した一遍の詩に、ある若手作曲家が曲をつけたものだ。

作曲家は、AKB48やJUJU、CHEMISTRYら数々のアーティストに曲を提供している東京都三鷹市の山本加津彦さん(36)。中沢さんの遺志を次世代につなごうと、8月6日に「広島 愛の川」を大合唱し、映像で残すプロジェクトが立ち上がった。ミュージックビデオの制作や配信、DVD制作などのため、クラウドファンディングサイト「A-port」で資金を集めている。

(山本加津彦さん)

ビデオの監督を務めるのは、映画「BADBOYS」や、Mr.Children、スガシカオなどのミュージックビデオなどを手がける広島市出身の映画監督・映像作家の窪田崇さん。気鋭の作曲家と監督がタッグを組み、平和への思いを形にするプロジェクトだ。制作した映像をホームページで配信するほか、世界23言語に翻訳されている「はだしのゲン」のように、DVDにして世界各国の合唱団などに寄贈する。

中沢さんは7、8年ほど前、広島市内の病院に入院。近くの広島平和記念公園をよく散歩し、修学旅行生や子どもたちに話しかけていたという。ある日、街を流れる川を眺めた後、病室でペンをとり、唯一の詩を書き上げたという。

中沢さんは2012年12月にこの世を去った。その後、妻・ミサヨさんが自宅の本棚でこの詩を見つけた。詩の一部が新聞に掲載され、山本さんはたまたま目にした。「曲を作ってみたい」と思ったときには、もうメロディーが浮かんできていた。

山本さんは大阪府泉大津市出身。「僕は戦争や原爆を体験していないし、広島出身でもない。身内に体験者がいるわけでもない。やはり僕が曲を作るべきではない。作りたいと名乗り出るのもおこがましい」。そんな葛藤もあったが、新聞に掲載された一部だけでなく、どうしても詩の全容が知りたかった。いてもたってもいられず、新聞社に問い合わせた。すると、山本さんのもとに中沢さんの妻・ミサヨさんから、手書きの詩のコピーが送られてきた。

(中沢啓治さん直筆の詩/「広島 愛の川」プロジェクトHPより)

愛を浮かべて 川流れ

水の都の広島で

語ろうよ 川に向(むか)って

怒り 悲しみ 優しさを

ああ 川は 広島の川は

世界の海へ 流れ行く

(「広島 愛の川」1番のみ)

「歌にしてくれと言わんばかりのこの詩が、手書き原稿のまま残っているなんて......」

中沢さんの言葉が、筆致が、山本さんの心に響いた。

中沢さんは原爆で父と姉、弟を亡くし、その後、妹も失った。「はだしのゲン」では戦争や原爆を通じて目の当たりにした現実を、反戦の思いを込めてリアルに描いた。しかし、中沢さんが広島の街を流れる川を見て紡いだ言葉は、愛にあふれていた。

「『怒り』『悲しみ』ときて、『優しさ』。復讐心ではなく、次の世代には人間のいいところを残してあげたいと、そういう思いを詩に残してくださった。中沢さんをはじめ、多くの方が家族を失いながらも、我慢して我慢して、子どもたちの代だけは笑顔に、幸せになってほしいとつないでくれたものが確かにある。あの世代の方々が一生懸命つないでくれたものを、次の世代につないでいくのが、曲の役目なんじゃないか」

山本さんは広島に赴き、ミサヨさんに会った。「曲を作らせてください」と言い出すのをとまどっているうちに、ミサヨさんが背中を押してくれた。「あなたみたいな若い人が作らなきゃ。作ってみなさい。頑張りなさい」

そして、「広島 愛の川」が歌になった。

出来上がった曲は、中沢さん夫妻が大好きな歌手・加藤登紀子さんに歌ってもらえることになった。山本さんが知人を通じて加藤さんに打診したところ、快諾してくれた。昨年CDとして発売されたほか、合唱曲としてホームページでも公開した。いまではイベントなど様々な場面で歌われている。山本さんはこの曲が縁で広島を訪れることが多くなったが、「この曲ではお金はいただけない」と、出演料などは断っている。

加藤登紀子さんは広島でこの歌を歌った後、山本さんにこう言ったという。

「あなた、よくあの詩を私のもとまで持ってきてくれたわね。今までいろんな曲を歌ったけど、広島にこんなに向き合えたのは初めて。ありがとう」

戦後70年を振り返るのではなく、これからの未来をつくる子どもたちに中沢さんの思いを伝えたい。そんな思いから、8月6日は広島の子どもたちに歌ってもらう予定だ。演奏には広島で原爆に遭ったピアノ「被爆ピアノ」も使い、さらに中沢さんの言葉を改めて心に刻むような演出も考えている。今を輝く気鋭の若手作曲家と映像作家による「被爆70年の記録」は、次世代にどのように受け継がれるのだろうか。

現在、クラウドファンディングサイト「A-port」で支援を募っている。3千円以上の支援で、「広島 愛の川」プロジェクトのホームページに名前とメッセージを掲載することができ、5千円以上の支援では当日の様子を記録したDVDが特典として贈られる。

注目記事