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山本七平『現人神の創作者たち』を読む

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評論家の山本七平によって書かれた『現人神の創作者たち』は1983年に出版された本であり、率直に言って非常に読みにくい。江戸時代の儒学者の著作や、中国の儒教の経典からの引用が盛んになされているため、その方面の教養を欠く私にとって、それらを読むことは苦痛であった。恥ずかしながら、山崎闇斎や浅見絅斎といった江戸時代の儒学者には、まったくなじみがなかった。全体の論述も論理が錯綜してくり返しが多く、整理されているとは言い難い。

しかしそれ以上にこの書物を読みにくくさせているのは、その内容が引き起こす心理的な抵抗であろう。この本は、山本七平によって行われた日本という国家全体についての精神の分析である。江戸時代の初期までに偶然に準備されていた思想的な状況が、いかに近世に展開して日本人の思考や感情の動きについての一つの「型」を作りあげたのかが、解き明かされている。さらに、その型が「大政奉還」を可能にする幕末の社会状況を準備し、それが明治の近代化から太平洋戦争の敗戦・さらに現在に至る日本人の歩みを底流において規定していた。そうでありながら、その事実は徹底的に忘却されている。そして、山本のこの著作も現在、ほとんど忘却されている。

これは、精神分析が語るところの抵抗が強く働いているからだと考える。

序文で山本は、「戦前、人は何に呪縛されているかを知らなかった」「『何により自分はそういう発想をするのか』という自覚のないことが、私のいう呪縛である。呪縛にかかった者は、その理由がわからない」と語った。

そして、戦後にもそれは清算されなかった。

江戸幕府は「出来てしまった社会」であり、一定の思想のもとに構築された社会ではなかった。天皇家が存在していた状況で、それを優越する統治権を幕府が発揮できる根拠がいかに正当化されるのか、という問いへの回答が求められたはずである。ここで成立した事態は、疑似正統主義とも言うべきものであった。出来てしまった秩序をそのまま認め、その統治権がいかなる正統性に基づいているかを問題にしないか、出来てしまった後で何らかの借りものの正統性を付与することが行われたのである。そして、戦後の日本社会も、このように「出来てしまった社会」であるという。


日本社会の基本的態度は、その内容は何であれ、思想や信条の正統を尊重することなく、便宜主義的にのみそれを援用することである。江戸時代にそれは儒学(朱子学)であった。「便宜的援用は逆に権威化を要請する。その権威化は相手を絶対化すること、いわば中国を絶対化することによって、それを絶対化している自己を絶対化するという形にならざるを得ない。こうなると、自由なる討論などというものはあり得ず、権威化した自己に反対するものはすべて、何らかのレッテルをはって沈黙させねばならない」と山本は語った。そのレッテルの例として挙げられているのが、「アカ」であり「保守反動」であり「耶蘇」であった。そして、言葉は変わっても、この精神の動きの型は現在でも全く変わっていない。「呪縛」が強いのだろう。「明治」が「江戸」を消したという。さらに、「戦後」が「戦前」を消す二重の記憶の抹殺が行われ、思想的な清算は行われていない。

多くの国で出現した理想主義は、自分たちの社会の古典古代への復古主義の形を取った。かつての中国では堯・舜の政治を再現することが理想だった。しかし、日本の理想主義は別の形をとった。現在の嫌中などの言葉が飛び交う状況とは異なり、中国を絶対化し、中国のようになることを理想にしたのである。これを「慕夏(ぼか)思想」と呼び、南北朝時代には「天皇は中国人である」と主張した僧侶もいたほどである。

ところが、江戸時代の初期に正統であるはずの中国に異変が起きてしまった。漢民族の王朝である明が滅亡し、異民族王朝である清に征服されたのである。そして朱舜水のような亡命者が日本に来て、清の正統性を認めず、自分こそが正当な中国の権威を体現していると主張した。このような状況で成立したのが、山鹿素行の『中朝事実』であった。もはや現実の中国が正当性を失っている以上、日本こそが正当な中国であると認定され、日本的体制が絶対視される思想が生まれたのだった。ちなみに朝鮮はこの時点で異なる道を選んだ。つまり、それまで以上に中国的に、儒教体制の完成へと向かったのである。

幕府は自らの正統性を示すための御用学問として朱子学を採用した。しかし、韓国のように社会を儒教体制化する意思は全くなかった。そこで、朱子学を当時の社会体制とは無関係に「個人倫理」として再編集し、それが各人を拘束し、この状態を固定することを目指したのである。このような、日本における思想が社会体制と結びつかない傾向は現在まで持続している。

山本が次に注目するのは山崎闇斎とその弟子の浅見絅斎である。朱子学に対する日本的な一つの解釈が展開されたのだが、これを別に「崎門学」と呼ぶこともある。ここで朱子学は学問というよりも「朱子教的イデオロギー」に変質していった。例えば、元来は思想的な内容を持っていた「誠」「敬」という概念を、山崎闇斎は「敬義」という実践倫理に転換させた。そしてその「敬義」が絶対で内外一致、つまり自らの内なる「義」がそのまま外の秩序であらねばならぬとして、その秩序がまず弟子たちの中に実現することを求めた。弟子たちに山崎は非常に厳しかったそうである。以前の日本に往々にみられた、教祖的絶対化をしていくタイプの教師像のはじまりといえるかもしれない。晩年は神道に走った。
 
さて、王朝交代がくり返された中国において、時の政治体制の正統性をいかに保証するのかということは、儒教の展開上も重要な課題であり、さまざまな議論が行われた。しかし、山崎闇斎の弟子の浅見絅斎は朱子の議論にも矛盾を見て納得しなかった。帝王の統治の正統性を保証するために、革命や王朝交代を否定した結果、どのような思考の飛躍が行われたか。浅見によって朱子は、中国の現実に妥協したと理解されたのである。もし朱子が、日本のような「万世一系の帝系」があることを知っていたならば、これを人類史上における唯一の正統性を持つ帝王と定義するだろうと浅見は考えた。

 
なお、山本は忘れられた儒学者として、やはり山崎闇斎の弟子であった佐藤直方のことも紹介した。佐藤は中国で絶対なのは「天」であって「天子」ではないと考えた。そして、天子が天子たるものの規範に違反すれば、天がそれに罰を与えることを当然とみなした。佐藤はしたがって、現状の無条件な肯定ということを行わなかった。優れている中国を慕うのは当然で、神仏習合などはナンセンスだとし、神道を評価する姿勢を示さなかったために山崎闇斎からは破門された。佐藤は論理的で徹底して普遍主義の立場を取り、存命中には大きな影響力があったが、死後にまったく忘却された。

浅見や佐藤が活躍したのは、「忠臣蔵」の題材となった赤穂浪士の事件が起きた時代であった。佐藤は理路整然と討ち入りを否定したが、これが佐藤の影響力を減じたのではないかと山本は考察している。当時の一般人はみな興奮して「赤穂浪士支持・吉良否定」であった。理屈を言う佐藤は無視され、たとえ虚構でも吉良上野介を極悪人にしなければ収まらない空気があった。幕府もまた、その空気に乗って義士をほめたたえることを行った。大名を統制する幕府にとって、家臣がその大名にあくまで忠誠であれば、その家臣団を統制することも可能だからである。その後の赤穂浪士論の基準となったのは時の大学頭であった林信篤の説で、「幕府の法は義に反する」から、そして心情的に君主と一体化すれば「義」だから、たとえ法律を破り、それによって処刑されても倫理的には立派になると解釈されたのである。心情と法の二元論で、前者の後者への優越を主張している。これは、戦前の国定教科書にも引き継がれていた。しかし、この時に倒幕に向けての思想的な準備が進んでいたことになる。つまり、心情的に天皇と一体化することを当然に「義」とし、「敬義内外」一致でこれを否定する「法」を不義とし、幕府を否定する者がでてくれば、それを法によって処刑しても、倫理的には正しいとせねばならないからである。

水戸学などを経て、このような思想的な運動は倒幕を支えるイデオロギーとなった。日本という国が朱子の正統論通りの、正当な帝王を維持してきた国だとするのならば、幕府は非合法政権だからこれを倒さねばならないと理解されたのである。そして、これは外部から侵入してくる夷狄を追い払えという主張と結びついた尊王攘夷運動となり、これが、天下の公論となって明治維新が成し遂げられた。

維新の達成後もこの運動が継続されたならば、目指されるのは日本独特の正統主義の実現だったはずである。事実、西郷隆盛は故郷に戻り、古代の班田制の復活を目指すような統治を実行しようとした。しかし周知の通り、これは大変マイナーな動きに留まり、その代わりに実現したのは理想化の対象を中国から西欧に置き換えた欧化主義であった。岩倉具視や西郷隆盛は、そのことを嘆いた。
 
明治のはじめに、江戸は忘却されたのである。しかし、思考と反省を経た上での乗り越えではなかったために、その精神の型は呪縛として残った。山本は、戦前に主張された天皇機関説と、それに向けられた非常に強い弾劾について言及した。国の統治の原理を客観的・抽象的に分析し、その作用を把握しようとするのは、ヨーロッパの発想からは当然であった。しかし、儒教的な感覚からは、「とんでもないこと」となる。そしてこの呪縛のために、天皇機関説をなぜ「とんでもないこと」と自らが感じているのか、ほとんど全ての日本人が、その由来について知ることができなくなっていたのである。

戦後は、戦前を忘却してアメリカが持ち込んだ民主主義や平和主義を理想化した。そして、二重の忘却によって、精神に沁みこんだ型は強化されてしまった。つまり、どのようなものであっても思想は真剣に取り組まれることはなく、空疎な借り物の権威として援用され、それ故に絶対化されること。理想化した対象と心情的に結びつくことが絶対的に肯定され、その心情が法に優越すること。倫理や道徳は内面化される一方で社会制度からは疎外されて、個人を拘束する道具となること。現状が肯定されるので、空気が変われば理想化の対象を乗り換えることには抵抗が少ないこと。

このような精神の型に呪縛されていること自体に無自覚なままでは、日本人が現在の多くの社会問題に対応することは困難だろう。心理的な抵抗に打ち克って自分たちのこの傾向を知ることが、より良く生きることを目指して考えるための第一歩である。

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