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埴谷雄高からの転向

2015年11月23日 17時01分 JST

若い頃の一時期、私は激しく埴谷雄高の『死霊』に憧れた。そして、その存在のありように自分を同一化させたいと思った。その思考と言葉がもつ重みと力に、徹底的に感応すること、そこに示されていると感じた精神の高みを自分のものとすることを望んだ。

『死霊』を紹介する導入として、7章の「最後の審判」の一部を見てみたい。この小説は、基本的に登場人物たちが観念的な形而上学的な議論を延々と語る構成となっている。ここでは世界宗教の教祖たちに対しての、ある近代的日本人の精神が示す徹底的な拒絶と軽蔑、そして弾劾が示される。

イエスを責めるのは、「復活したのちにも飢えに飢えきったお前にまず最初の最初に食われた焼き魚」であり、最後の晩餐で食された「容赦なくこまかく微塵にひかれた小麦の粉」であり、「無残に砕き踏みつぶされた葡萄の粒」であった。そして、釈迦は「苦行によって鍛えられたお前の鋼鉄ほどにも固い歯と歯のあいだで俺自身ついに数えきれぬほど幾度も幾度も繰返して強く長く噛まれた生の俺、即ち、チーナカ豆」によって弾劾される。イエスの愛も、釈迦の慈悲も、食物とされた存在によって無効とされるかのようだ。

「自同律の不快」が埴谷雄高の思想を理解する時のキーワードの一つである。イエスや釈迦が達成したことも、存在についての根本的な革命を目指す埴谷雄高にとっては、不徹底なごまかしに過ぎない。私たちは身体を持ち、それを維持するために食物連鎖のつながりの中に組み込まれている。それゆえに、他の存在を食い物にする。純粋な、観念によってのみ構成されるような存在であることはできない。私たちは悲しいほどに自己保存欲求に拘束される。しかし埴谷は、それを「不快」であると言い捨てる。根本的で永久的な革命は、この水準で成し遂げられねばならないと考えた。それは、不可能な要請に思える。そして、「虚体」という言葉をほのめかす。

『死霊』の中で、優位な立場を与えられている宗教はジャイナ教である。この教団に対して、埴谷は「着ること飲むこと食うことはおろか呼吸すら禁止された餓死教団」というイメージを投げかけた。ジャイナ教の特徴は戒律の中に「無所有」をかかげていることである。ジャイナ教団は着衣の保持を認めずに裸で過ごす宗派と、粗末な衣料ならば認める宗派に分裂しているらしい。この教団の教祖大雄を埴谷は「全否定者」と呼び、『死霊』の「作中人物達の中心に坐っている」「彼等は彼(大雄のこと)の観念の部分をそれぞれ担って歩いているに過ぎない」とまでの位置づけを与えている。『死霊』は未完のまま作者の死によって終わったが、この作品の終わり近くには全肯定者である釈迦と大雄の対話が行われ、大雄が論争に勝った後に、砂のように崩れ去るシーンが構想されていたらしい。

埴谷のような大きな思考と観念を、自分の小さな思考ではかろうとすることには躊躇を感じる。しかし、今の私は埴谷に批判的である。この文章は、私の埴谷雄高からの転向を示すものだ。全否定を称揚することは、一つの重篤なナルシシズムの病を出現させてしまう。

 

『死霊』の序文には、西欧思想の巨大な伝統の蓄積に対する日本における思考の乏しさを恥じる表現が認められる。「私達は巨大な幅広い人類史のなかに投げこまれた一匹の哀れな鼠のごとくにデモクリトスからヘェゲルへ至るまでの厖大な積荷の間をちょこちょこ齧り歩いた」「私達はちゃちなソクラテスであると同時にちゃちなソフィストの徒であり、一瞬合理的で一瞬非合理で―要するに単純素朴なてんやわんやなのであって、一貫せる論理的思考の持続にはとうてい耐え得られぬというのが私達の精神の位置である」とされる。

その一方で日本を卑下する精神は、先に引用したように、イエスとそれにつながる伝統の権威を、イエスが食した魚らの弾劾によって否定する尊大さと共存しているのである。アニミズム的な立場からの一神教批判である。ここには、西欧の精神的伝統に対する日本的精神の分裂(スプリット)を認めることができる。

私が埴谷雄高のことを取り上げたいと思ったのは、その思想に現れているものの影響は、現代の日本でもとても大きいと感じているからだ。そもそも人間の精神というのは非常に横着なもので、精神性の優れた部分は伝わりにくく、劣っている部分は容易に広まる。前の段落で触れた分裂についてなら、埴谷の持つようなキリスト教の伝統への理解やそれへの尊敬の念は伝わりにくい。それと比べると、後者のような論法を駆使すること、つまり世界宗教が持つ論理性と伝統に真剣にコミットする姿勢を回避したまま、その宗教の関係者や教団の持つ身体的な自己保存欲求を暴くことで、その対象を見下す傲岸な姿勢は、非常に頻繁に認められる。

例えば、先日パリで起きたテロ事件と関連して、イスラム教とキリスト教の両者について、一神教そのものを否定するような日本人の論調を見出すこともあった。「聖戦」「十字軍」のような場面に現れる一神教の持つ負の側面を多神教的な感性から批判することには正当性がある。しかしそれが説得力を持つためには、日本人が自らのうちに抱えている好戦的な要素についての十分な反省を行っていることが必要だろう。

『死霊』に現れている精神は非常に論争的であり、その論法が成功した際には、先方を屈服させて恥じ入らせる効果をもたらす。イエスや釈迦ですら、先に述べたような形でその存在に必然的に内在する生の暴力性を暴かれ弾劾されるのである。これは、伝統的な宗教的な精神が原罪や業を自らのうちに自覚し、それを自分の人生の中に超越的な視点とともに引き受ける姿勢とは異なっている。どのように倫理的に成熟し優れた実践を成し遂げた人物であっても、食物となってくれた生命への痛みに思いを馳せることなく無頓着にそれを飲み込んだことを責められるのならば、それを逃れられる人はいないだろう。

これは抽象的で観念的な水準での、倫理的な論争における必勝法となるだろう。しかし代償は大きい。そのように他者を裁いた基準で自らを裁き続けることが、必然的に求められるからだ。全てを否定することを理想化するナルシシズムと、それがもたらす極端に厳しい超自我による圧政が、こころの中に生じることになる。そして可能な限り自分の存在が現実のなかに「場所を占めないこと」が理想化され、必然的に自分のなかの生が汚らわしいものとなる。『死霊』の精神は、「虚体」「自同律の不快」といった観念を弄することでその葛藤を超越することが可能であると主張しているかのように見える。この世に存在していなければ誰にも迷惑をかけていないので、社会の中のあらゆる存在を道義的に断罪できる特権が維持されるのだ。その代償として、現実の社会へのかかわりは失われる。

刑務所や精神科病院が、社会のなかの「あるけれどもない」場所として形而上学的に特権化されて扱われることになる。(実際の刑務所や精神科病院はそのような場所ではない)沈黙を貫くことと、極端な饒舌が交代して出現する。個人的な水準でこの精神性が出現すれば、対人恐怖やひきこもりのような現象を引き起こすだろう。

実際に、長年引きこもりを行っている事例から、このような厳しい超自我の存在を感じることがある。治療者の側が、社会の中で場を占めて適応して生きていること自体が、そして治療者として振る舞おうとすること自体が、倫理的な負い目と感じさせられるかのような感覚を持つことがある。この思考を推し進めるならば、当然、「人間にできる最も意識的な行為として、自殺すること、子供をつくらないことの二つがある」という結論にいたるだろう。実際に埴谷雄高の妻は、3回妊娠したがそのすべてで堕胎を強いられ、結局子宮を摘出せざるをえない状況になったという。

しかし埴谷が実際に達成したような水準での倫理的な主張は、まれにしか行われない。その一方で、「社会の中での自分の立場を、きちんと引き受けることを行わない」モラルの崩壊を温存させたまま、社会に適応できるような修正が行われた温和な形でのこの病理の出現は、現在の日本社会で非常に頻繁に目にすることができる。

それはつまり、実際に行動し発言している人にきちんと向き合うことを行わずに、匿名のままで評論家的・消費者的・官僚的・投資家的にのみかかわる態度のことだ。良い時にはただ乗りし、悪い時には攻撃して鬱憤を晴らすために利用しているだけなので、自らのリスクはゼロに等しい。組織や集団が閉鎖的になり非機能的になるのは、そこにこのような空気が蔓延している時である。問題意識を持って行動する人は、そのような周囲の空気によって傷つけられ、消費される(一方で、行動しようとする人の方が所属集団の現実にコミットしていない場合があるので、話が複雑になる)。

そしてそのような事態を間近で見たその集団の他の構成員は、自らがそのような立場に陥ることを恐れ、自分の立場が集団の中に現れないようにさらに注意深くふるまうようになる。慣例に従っていれば、問題に巻き込まれる可能性が低いと考えられるだろう。こうして、無責任で変わらない社会が完成する。

なぜ、このようなことになっただろうか。『死霊』を書いた埴谷雄高は、間違いなく日本の近代化の問題と向き合い、安易に日本的な精神を外国の思想に屈服させることなく、それを超越することを目指したはずである。

心理学的な見地から批判を行うのならば、母子関係にまつわる情緒的な関係から目を背けたまま、観念的・理論的な点でのみ思想を追究したからだと考える。埴谷は現実社会が要請する思想的な課題に対峙したようでありながら、実際に出現した状況は現実社会からの引きこもりと文学者サークル内での名声の獲得であり、母代理である妻への依存の深刻化であった。

日本社会が持つ母系的な性質についてはさまざまな論者が指摘している。その中でも特に江藤淳は、近代化という問題を通過することで複雑化し深刻化した日本的な母子・夫婦問題について論じた。1978年に出版された『成熟と喪失―〝母〟の崩壊-』では、文芸作品の中に現れた夫婦関係について、「「夫婦」という倫理的関係であるより先に「母子」という自然的関係を回復したい衝動で維持されてきたものであり、そこには濃密な「母」と「子」とのあいだの情緒が存在するか否かという以外の価値基準がないからである」「快・不快の感覚的判断以外に原則を持たない(小説の登場人物の名)の「自由」とは、そこに決して「他人」というものが出現しない「自由」である」ことが指摘される。

このような関係性のあり方の由来については、農耕的・定住者的な社会も一因だと考えられた。江藤は農民と土地との関係に、「いわば道具を用いて母性である大地を犯し、そこから強奪する」という近親相姦的な衝動すら見ようとする。それゆえに理想化されるのは、「農耕を開始して定住する以前の、犯されることなく抱擁し、強奪される前にかぎりなくあたえた大地の記憶であるかもしれない」と論じられたのである。

近代化以降の日本社会における未解決なままの最大の情緒的な問題は、「母」を犯してこれを破壊した者の、深く暗い罪の意識」であろう。そして、この感情に蓋をしたり、罪悪感を他者に投影してそちらを倫理的に攻撃するのみでは、母の喪失と崩壊を否認することになり、精神の成熟を得ることはできない。そこに現れるのは、「日本的ナルシシズム」である。残念ながら、埴谷雄高の思想的な営みにもそのような傾向が認められる。知性化による防衛であるとも言えるし、怒り罰を与える母に自分が同一化し父たちを断罪すると同時に、断罪される父にも同一化しているという、複雑な心理機制(原始的な、母子一体感の状況で頻繁に出現する投影同一視という機制である)を駆使しているとも理解できる。

2011年に東日本大震災と原子力発電所事故が起きた時に、私はひどい情緒の乱れを経験した。その時に刺激された情緒の中には、まさに自分たちの生活が母である日本の社会と国土を侵犯し、破壊してしまったという罪悪感も働いていただろう。それは、多くの日本人を動かしたのだと思う。しかしわずか4年8か月ほどで、その罪悪感は忘却・否認されようとしている。

放射性廃棄物を詰めたフレコンパックの山が与える視覚的印象は、私たちの幼児的な貪欲さが日本の国土を「犯してこれを破壊した」という負い目を刺激する。そこで私たちに必要なのは、すぐに声高に誰かを非難することではなく、自分のうちに起こる感情をそのままに受け取ることであろう。私たちは、住む土地を容易には離れられないのである。

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