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原子力発電所事故と怒り

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 被災地のメンタルヘルスの悪化が話題となることがある。

 私は先日、漫画『美味しんぼ』の鼻血騒動に思わず乗ってしまったが、議論の推移を見守っていて、とても不思議に思ったことがあった。「なぜ、放射線による直接的な健康被害の有無にこだわるのだろうか?」という疑問である。放射線の直接的な影響についての評価には不明な点が残るが、精神的な影響を介した広範な健康への被害については、明らかに存在していると考えられるからだ。

 原発事故と関連して生じた精神的な苦悩、様々な葛藤によって引き起こされたコミュニティーの分断、長引く避難生活は現地の人々の心身に重大な影響を与えている。そして、それが自律神経系や免疫機能・体内のホルモン環境などに影響を与え、その結果として多彩な身体的な訴えが生じたとしても、そこには何も不思議はない。移住によって健康的な生活習慣が失われたことの影響も大きい。

 ここに、精神科医の仕事のジレンマが存在する。外側から見た精神的なケアについてのニーズneedsと、本人たちがそれを望むかというウォンツwantsのかい離が大きいのだ。古典的なトラウマの研究者は、次のように記載した。

 「心的外傷を受けた人はしばしばいかなる援助をも求める気にならないもので、心理療法などももちろんである」

つまり、精神的なトラウマでこころが傷ついている人に対して、「あなたのこころが傷ついている」というメッセージを送ること自体が、相手のこころを傷つけてしまう恐れが高く、最悪の場合にそれは侮辱と受け止められる。

 私が2年前に南相馬市に移住した直後に、周囲の人々の働きかけで仮設住宅にお邪魔をしてうつ病についての話をさせていただく機会があった。その場にいた方々は控えめな方々だったのだろう。やんわりと「先生の話を聞いても私たちのこころは楽にならない」と話をされ、「睡眠薬を飲んだせいでイビキがうるさいと、仮設住宅のとなりの住人から責められた」というエピソードも聞かせていただいた。だから、被災地における「こころのケア」は、看板だけ出しておいて閑古鳥が鳴いていても、求めてくる人を待っている姿勢を示すことができれば十分であると考える専門家もいる。

 強いトラウマに曝された時に、私たちは自分の生活を成り立たせていた既存の枠組みへの信頼が破壊され、自分のこころが構造を失ってバラバラになってしまう恐怖を感じる可能性がある。今まで信頼してきた生活の前提が否定された時に人は、根源的な不安を感じるだろう。

 その時に、自分の中にある強い怒りと恨みの感情のみが、自分に属する十分な強度を持った心的要素に感じられるかもしれない。一部の人にとっては、この強い怒りこそが自分のこころを現実に繋ぎ止める救いとなり、怒りや恨みの感情を中心に自分のこころを再構築することで、それを解体の危機から救う。そして、怒りを向けるのが適当だと考えられる社会的な存在を実社会の中に見出すことが可能な場合には、この反応は合理的でもある。正義の裁きを要求することには、正当な価値があるからだ。

 しかし、怒りを向けるべき社会的な対象が、巧妙に隠ぺいされてしまうとしたらどうだろうか。怒りと攻撃を向けた瞬間に、その当事者の無辜であることが語られ、攻撃した私の攻撃性の罪が明らかにされるような言語空間に巻き込まれた時に、私たちは混乱するだろう。

 「怒り」や「恨み」を中心にこころを再構成することを、道義的に非難することは簡単である。また、「健康や人間関係を損なうから」といった功利的な観点から批判することも可能だろう。しかしそれは、あまりに浅い。

 出口を失った怒りは、内向するのかもしれない。

 時折、そのような魂に向き合っていると感じたことがあった。表面は、むしろ礼儀正しく控えめである。しかし、うちに抱える怒りは凄まじく、身の程をわきまえない部外者がうかつに近寄ることすら許そうとしない。

 癒しを求めること、和解すること、怒りを放棄することは、赦してはならないものを赦すことを意味し、自らの誇りを全否定することと理解している気高い魂。

 私はしばらくの時間、なすすべもなく立ちすくむことしかできなかった。

 無意識的な領域に抑圧されそうになった、この怒りや恨みが取り扱われることを求めているのかもしれない。これへの対応は大変に難しい。

 だから、極端な方法でも、この怒りへの共感を示したマンガが、多くの人のこころを揺さぶったのだろう。

 私は、正当とみなされる怒りや疑問が、しかるべく表現と立場を日本社会の中で与えられて十分に展開されてそれが成熟していくことを求めたい。それが、被災地の人々のこころをなぐさめ、孤立した怒りがひたすらに強度を高めて危険な暴発を起こすようなことへの抑止力となるだろう。

 逆に、国の経済を優先するという事情のために、このような感情がただ切り捨てられるのだとしたら、それは大変な不正であり非礼である。

ジュディス・L・ハーマン著 中井久夫訳:心的外傷と回復.みすず書房,東京,1999

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