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個人の声を拾い上げるプラットフォームでありたい。でも、「個人」ってだれ?―ハフポストブログレビュー

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天皇陛下がお気持ちを表明されたことから始まった8月2週。リオオリンピックでは盛り上がりをみせ、引き続きゴジラの東京崩壊が人々を魅了し、最後はSMAPの解散報道がありました。それまで当たり前だと思っていた現実が次々と塗り替えられていくような週でした。

今週は、「個人」という言葉をテーマに注目すべきブログをご紹介したいと思います。そもそもブログは、個人の声を文章化したものです(本当は必ずしも文章である必要すらありません)。何十億人の中の一人の声がなぜここまで私たちの心を揺さぶり、さらに多くの人に共有したいと思わせるのでしょうか。

今上天皇も「個人」


今上天皇はお気持ち表明の中で、「個人」という言葉を使われています。

本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

国際政治学者の三浦瑠麗さんは、「今上陛下のご意思表明を受けて<1>の中で、「そこに現れていたのは、まずはいささか強く発音された「個人」としての思いです」と述べています。自ら今上陛下が「個人」という言葉を使用されたことにより、画面の向こうにいる私たちは少し身近な存在として受け止めることができたと感じました。

「個人」は、自分がどのような経済状況でも、高貴な身分でなくとも位置付けられる立場です。三浦さんも「個人としてまず今上が示されたのは思いやり」だったとし、想像を絶する公務負担の中で「個人」として最終的に表された気持ちの尊さを説明しています。

一つの敵に向かう無数の個人


精神科医の熊代亨さんは「シン・ゴジラを、『子どもに見て欲しい』と思った。<2>というブログタイトルでもわかるように、この映画を「本当に素晴らしい作品だった」と絶賛しています。ネット上では、多くの人がこの映画作品について個人的見解を述べていますが、熊代さんの「たくさんの登場人物がことごとく主人公に見えた」嬉しさが心に残りました。

お茶を入れるおばさん、ゴミを回収するおじさん、工業プラントを動かしている従業員、避難する人々、そういう人達もみんなゴジラと戦っているように私には見えた。
バラバラの個人がバラバラに頑張っているようで、この作品ではぜんぜんバラバラじゃない。

なぜだか「個人」という言葉には、他者とのつながりを遮断したイメージを持たせます。しかし、実は自分たちの日常生活を見ればわかるように、そのような遮断された関係性は、つながりの強弱はあれ、ほとんど存在しません。バラバラに行動する個人が、実は大きな絵でみると一つのゴジラという目標に向かって突き進むリアルな姿が、熊代さんの心を打ったのかもしれません。

個人を支える個人たち


「生存者バイアス」という言葉をご存知でしょうか。「社会の底辺から階層を上ると、努力しない底辺が許せなくなる<3>で、トイアンナさんはこの言葉を「苦労して立身出世した人が、自分の目線だけで成功体験を語ること」と説明しています。彼女自身も「最初に育った環境は笑えるくらいひどかった」らしく、努力してその環境から抜け出すと、「努力せず底辺にいるこいつらなんて許せない」という強い感情が芽生えます。しかし、精神疾患を患ったことにより、昔のいじめっ子だった同級生への恨みが次第に減っていきます。

最後に彼女は「自分の運命は努力で変えられると思うなら、その感覚は生存者バイアスの始まりである」と述べ、「結果にはいつも、周囲の人や運が必要で、それを持っていない人もたくさんいるのだ」と締めくくります。

オリンピックの個人種目で金メダルをとる選手のインタビューで語られるのは、多くの場合、栄光を勝ち取った喜びと周囲への感謝の言葉です。選手の努力が、選手の存在が金メダルへの道を切り開いたのは間違いありません。しかし、その陰で支え続けた周囲の存在が大きかったのも事実です。表に立つ個人を支える人々の存在の重要性に気づくことさえできれば、社会は少しだけ良い方向に進むかもしれません。

ゴシップ記事が傷つける有名な個人と無名な個人


「痩せすぎ、太りすぎ、年相応の外見、黒髪の方が似合う、太もものセルライト、美容整形のスキャンダル、薄毛になってきた頭、妊娠したのか、ひどい靴、醜い脚、ブスな笑顔、汚い手、変なドレス、下品な笑い方......など」女性は10代、もしくはそれ以下の年齢から外見に関する周囲のプレッシャーと戦っています。女優のレニー・ゼルヴィガーさんは自身の整形に関するゴシップ記事をきっかけに、「ゴシップ誌の皆さんへ『私は整形していません。どうしたら...』<4>というタイトルのブログを書きました。

ゼルヴィガーさんは「外見に関する社会的圧力」のゴシップ記事が肥大化し、「報道の一部分に発展してしまった」ことを問題としています。彼女は、「なぜ私たちは、外見やキャラクターを攻撃されて、その人が貶められる瞬間を目のあたりにすることを求めるのでしょうか。その結果、若い世代に悪影響を与え、フィクションを信じる人々にとって深刻な結果を招く危険性があります」と述べています。

ゴシップ誌は、事実でない彼女の目の整形記事を書くことで、彼女のみを傷つけているわけではありません。将来、幸せな人生を歩みたいと希望を抱いている少女にプレッシャーの暴力を振るうことになるのです。その少女が大人になった時、目が充分に大きくないから価値がないと感じてしまうことがあり得るのです。ゼルヴィガーさんのブログは、「ゴシップ誌の皆さんへ〜」というタイトルでしたが、それを消費する私たちにも投げかけられた記事でもありました。

20年以上SMAPの大ファンである個人に自分を見つける


SMAPの大ファンであるsumaッピさんは、自身のブログ記事「無力感...脱力感......不自然...違和感...<5>で解散報道がされたショックを綴っています。その文章のほとんどは?と・・・で締めくくられ、彼女が20年以上ファンだったというSMAPへの戸惑いが深く伝わってきます。

SMAPの28年を

私達の……ファンの………20数年を…………

FAXで終わらすの?
文字だけじゃ...温度が伝わってこない.........

こっちの覚悟も決まらない............

私は、SMAPの大ファンではありません。ニュースを聞いた時もsumaッピさんのようにショックは大きいものではありませんでした。淡々と語られたニュースの言葉に、事実を噛み締めるだけでした。しかし、このブログを読んだ時、ファンの戸惑いと怒りが自分の中に入り、それはいつしか自分の感情へと変化していきました。こんなにファンを戸惑わせていいの?もう少し伝え方はあったんじゃないの?他人事だったSMAP解散報道に怒りさえこみ上げてきて、自分事となった瞬間でした。

個人の声は不思議です。何かを強く訴えたとしても「所詮、個人の声だ」と言ってしまえば、おしまいです。しかし先ほどのSMAPファンのブログのように他人だと思っていた個人に、自分の感情、思いや考えを見出すことも多々あります。それがブログを読む面白さだと言っても過言ではないでしょう。個人とは自分の一部なのではないでしょうか、と個人的見解を述べたところで今回は締めくくりたいと思います。

2016年8月2週の5本

  1. 1.「今上陛下のご意思表明を受けて(三浦瑠麗/ハフィントンポスト日本版)
  2. 2.「シン・ゴジラを、「子どもに見て欲しい」と思った。(熊代亨/ハフィントンポスト日本版)
  3. 3.「社会の底辺から階層を上ると、努力しない底辺が許せなくなる(トイアンナ/トイアンナのぐだぐだ)
  4. 4.「ゴシップ誌の皆さんへ「私は整形していません。どうしたら...」(Renee Zellweger/ハフィントンポスト日本版)
  5. 5.「無力感...脱力感......不自然...違和感...(sumaッピ/スーパースターSMAP☆五つの星屑☆)