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相模原障害者殺傷事件から1年 植松被告個人の問題で事件を終わらせてはならない。教育や行政が変わらなければ差別や偏見はなくならない!

2017年07月26日 14時55分 JST | 更新 2017年07月26日 14時55分 JST

「障害児がこの学校に入学しないように教育委員会は体を張って阻止してほしい」

ある公立中学校の校長が、就学相談の担当者に要望したそうです。

植松聖被告が、「障害者は周りを不幸にする」と、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の入所者19人を殺害し27人を負傷させた事件から26日でちょうど一年。

植松被告がなぜ、「障害者は周りを不幸にする」という考えをもつようになったのか。

インターネット上等に、植松被告に同調する声があがるのはなぜか?

植松被告のような思考を作り上げた背景として、これまでの日本の「教育」や行政の在り方が影響した面はなかったのか?

障害のある子を持つ親の一人として、繰り返し考えてきました。

事件後、周囲に目をやると、障害のある人を地域で共に暮らす仲間として見守る温かなまなざしと、支援・配慮が届けられていることに、大きな安ど感を持ちました。

一方、植松被告の思考同様の偏見や差別をもつ人たちが、まだまだいる現実も痛感しました。

そうした現実の中、障害のある子どもの保護者間で「一番つらいよね」と言い合うのは、行政の差別・偏見に根差した態度、施策を感じるときです。

「行政でさえも、偏見と差別があるのに、地域で生きていけるはずがない・・・」と保護者が後ろ向きの思いを抱いてしまうことは、けっして珍しいことではありません。

ある保護者は、「役所に行くたびに、障害のある人が生きていくには、あきらめることを学んだ方がいい、と言われているようで辛い」と悲嘆しています。

障害児の保護者の中で、「障害のある人・子どもに対して差別を一番するのは、実は行政ではないか」との声は事件前からありました。

障害のある子の保護者の間では、植松被告は暴力で障害のある人の命を奪い、怪我をさせたけれど、行政は制度や言葉で差別をして追い詰めて、希望を見いだせなくさせて生きる意欲を奪っていく・・・

植松被告が、事件後に言い放った「障害者は周りを不幸にする」ということと、行政の言葉や施策のあり様に大きな違いを感じない、という声すらあがる時があります。

今回の事件で、被害者の名前の公表に同意していない保護者の立場に想いをはせて、同じ障害のある子を持つ親である友人たちと話をするたびに、切なさと悲しみに心が痛くなります。

障害があるとは言え自分の子どもはたしかに存在していた命であり、この世に生きたあかしとして、名前はかけがえのないものであるという思いはあるものの、頼みの綱であると思っていた行政からも「ご家族で頑張ってください」と突き放される体験等もして、悲しさや悔しさが入りまじる思いもしてきただろうと思うのです。

そうした積み重ねの先には、子どもを産んだ保護者の名前が知られることになれば、税金を使って長期間、施設で生活させていることを、社会から責められるかもしれない・・・不安は尽きないだろうし、葛藤の末にも公表に至れなかったのではないか…と考えてしまうのはまちがいでしょうか。

例えば、教育行政に目を向けてみます。冒頭の校長の発言は、氷山の一角です。

子どもたちを教育する立場にある学校現場には、植松被告と同様に、障害のある子は迷惑な存在であると考える先生たちがけっして少なくないのが現実です。

できれば、そばに寄ってきてほしくない。そばにいないでほしい。

障害のある子どもは、障害のある子どもで固まって学び、できるかぎり障害のない通常学級の領域に入ってきてほしくない、と考える先生の本音が様々な場面から透けて見えることがあります。

通常学級にいる子ども達は、そうした先生たちの思考を敏感に感じ取って育っていくのです。

日常の中に、障害のある子どもが「いて」「共に仲間として過ごす」ために、どのように支援や配慮をすればいいのか、みんなで考えていく体験を重ねるのではなく、障害があれば通常のペースを乱すのだから、「排除する」ということを学んでいくのではないでしょうか。

先生の中には、障害のある子の名前で呼ばず「特別支援学級の子」と呼びかける人もいます。

ある学校が防災教室を開催するにあたり、障害のある子が参加希望を出したところ、保護者は、「リーダー育成が目的なので、自分一人で全てできないお子さんには、対応できる人手がない」と参加を再考するように言われました。

特別支援学級の児童は「おもらしを一回でもしたらプールにはいれられない」と言われた事例もあります。

自立してない。人手がかかる。みんなと同じペースでできない。

参加すると「迷惑がかかる」と遠回しに保護者に言ってくることは学校現場では、めずらしいことではありません

教育行政が、植松被告やそこに共感する人たちの思想を作り上げた側面もあるのではないかと省みて、これまでの教育の在り方を見直すことが必須ではないでしょうか。

もちろん、障害のある子を差別していく先生の理由を探ることも大切です。

冒頭の校長のような発言をしてしまう背景には、先生自身が、障害のある人・子どもへの偏見や差別を目の当たりにして育ってきたり、障害について知らなかったりするがゆえの偏見をもちあわせている場合もあるでしょう。さらには、「人手」の問題もあると考えます。

障害者施設が、根本的に大きな問題として慢性的に不足する人手を必要としているのと同様に、学校現場もまた支援・配慮を必要とする障害のある人・子どもを支えるには、人手が不可欠です。

ところが実態は、国が通常学級、特別支援学級、特別支援学校、障害者施設等に対する職員の配置基準を、実態に合った配置基準にしていません。足らないのです。

人手を確保するには、職員の待遇の改善も必要です。

植松被告が受けてきた教育の日常には、障害のある同級生がそばにいなかったかもしれません。仮にそばにいても、人手がなく、手一杯になっている先生たち大人の態度、障害のある子をお荷物のように扱う背中を見てきたのかもしれません。

また、植松被告が障害者施設の職員となってからの日々を想像すると…

意思疎通が難しい人たちではなく、本来ならば、職員が入居者一人ひとりの思いを想像してくみ取る配慮が求められるのにもかかわらず、慢性的な人手不足の中で、そんな余裕もない多忙な日々。待遇にも納得がいかず肉体的にも精神的にも疲弊していき、時には愚痴を口にする職員の姿を目の当たりにしていたのかもしれません。

そうした日常の積み重ねが現実にあったとしたら、障害者は「周りを不幸にする」という誤った認識を持つようになった一因になり得るかもしれない…と思うのです。

もちろん、あくまでも推測にすぎません。

しかし、二度と、こうした事件を起こさないようにするためには、障害の有無でわける教育はもちろんのこと、行政の考え方、施策、職員配置基準、処遇を見直すことは必須だと思えてなりません。

植松被告個人の問題だけで、事件を終わらせてはならないのではないでしょうか。

障害のある人・子どもが、障害のない人たちと同様に暮らしていくために支援を願い出ると、「税金ですから、障害のある人のできないことをすべて税金で補えません」と、本人・家族を追い詰めていくことも少なからずあります。

行政が「税金」という言葉を使い、障害当事者や家族に肩身の狭い思いを強いて、福祉サービスを縮小していこうとしているかのような行為を見直していかなければ、共生社会の実現にむけた理解、周知は、何も進まない気がします。

障害のある人・子どもの暮らしを「人権」の視点で支えるべき首長の中にも、障害のある人・子どもに税金を使って人手を増やしサービスを向上することに、「住民の理解が得られるかわからない」といった発言をすることさえあります。

障害当事者や家族は、障害をもって生まれたことや障害のある子を産んだことが、自己責任であると責められているようで、税金を使うことでみなさんに迷惑をかけていく、という自責の念にかられ、出口のないトンネルの中で孤立してしまうこともあるのです。

行政は住民に「障害のある人・子どもは金食い虫」だと刷り込んでいるようにさえ思える、という声も聴こえてきます。

「税金を使うとか使わないとか、納税をするとかしないとか関係なく、障害の有無に関わらず、誰もがただただかけがえのない存在であることを、役所が率先して示していってほしい」との願いが届きます。

相模原のような事件はもとより、国民の中にある「差別・偏見」をなくし、共生社会を実現していくためには、どうしたらよいのでしょうか。

障害の有無や人種、性自認・性的指向、家庭環境等々、様々な「みんなとの違い」にかかわらず、誰もが大切な命であり、共に育ち、生きていく仲間であるという実感を、幼いころから幼稚園や保育園、学校での日常的な体験を通じて培っていく、そのような積み重ねが「共生社会」を担う価値観と社会的合意を形成していくのではないでしょうか。

さらには、行政が変わらなければならないと強く思います。

共生社会の実現を掲げ、推進していく以上、差別のない姿勢や施策を通して、命の重さに差がないことを率先して示していく。そのためには、当事者の声をよく聴いて、従来のあり方を根底から見直し、職員一人ひとりが差別・偏見をなくす決意をし、行政組織が一体となって改善していくことが必須であると思えてなりません。

教育現場にも行政にも、障害者差別の問題に積極的に取り組んでいらっしゃる方々が少数ながらもいらっしゃいます。それらの方々には是非リーダーとして職場の意識改革を進めて頂きたい、そのために私に出来ることは精一杯支援していきたいと思っています。

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