半数の中学が下着の色まで校則で指定!...アクティブラーニングと真逆?

文京区立中学校全10校のうち6校が校則で下着の色を「白もしくは肌色」と規定しています。どういう教育的効果を狙っているのでしょうか?教育的意図が見えません。

「衛生を考え、必ず下着(白)を着用する。色つきや柄物の下着は着用しない」

ある文京区立中学校の生徒手帳に書かれた「服装」の決まりで、このように「白の下着」の着用が校則として規定されています。

他の学校はどうかと言うと...

男子のワイシャツや女子の夏用の白いセーラーの下につける下着に無地の白や肌色の着用を義務付けている1校を入れると、文京区立中学校全10校のうち6校が校則で下着の色を「白もしくは肌色」と規定しています。

夏に制服の下に透けて見えないようにということであれば、一定の理解はできるものの、それでもわざわざ校則で義務付けるべきものなのか?疑問です。

しかもです、まったく透けることのない、チェックでもしない限りわからない場面でも、校則で「白無地の下着着用」を義務付ける意味がさっぱりわかりません。

冒頭の下着などは、ワイシャツ等の下に限定しておらずパンツなども含む規定に読み取れます。

どういう教育的効果を狙っているのでしょうか? 教育的意図がまったく見えません

今回、文京区内の区立中学10校の校則を調査し読んでみて、一律的で目的不明な前時代的とも言えるような指導が多く、子ども自らが主体的に考えて行動していく"アクティブラーニング"とは対極とも思える校則が多いことに「これでいいのか?」と考えさせられる時間になりました。

また、ある中学校の保護者向けの中学校生活を説明する資料の中に、以下のような一文がありました。

「生活指導は"とりしまり"ではなく、形の矯正であり、心の方向づけであることをご理解いただき、ご協力をお願い致します」

「形の矯正」というと、歯並びの矯正をイメージしますが、子ども達の服装や振る舞いなどを、こうあるべきとして一律に何をどう矯正していきたいのか、その目的は何なのか?私には見えません。

「心の方向づけ」にしても、子どもたちがこれから様々な壁にぶつかったり、苦難な問題に直面したりといった局面で、それを乗り越える力や、心が折れた時でも自らを立て直せる力となるような、「生きる力」を支える心のものさしとなるものであるのならわかるのですが、下着を白に限定する等の教育が子ども達にどのような「心の方向」を与えるのか?、私には皆目見えてきません。

「生徒心得」という生徒手帳に書かれたもので、特に気にかかったものを書き出してみます。

これらをご覧になって皆さんはどうお感じになるでしょうか?

  • 授業中は姿勢を正しくし、真剣かつ積極的に参加する。私語は慎む。
  • 先生、友だち、お客さんと出会った時には元気よくさわやかに挨拶をする中学生らしい礼儀作法を身につけよう。
  • セーター・ベストはVネックで素材はウール
  • 身だしなみ 眉に手を加えない
  • 中学生らしい清潔な髪形とする。流行を追った髪形は認めない
  • 授業時にはセーター・ベストの上に必ずブレザーを着用すること
  • 特殊な型(ボタンダウン、開襟など)のシャツは着用しない
  • 頭髪は中学生らしいものとする
  • トラブル防止のために塾等で学校の噂を他校の生徒に話さないこと。
  • 防寒のためタイツは黒、無地、80デニール以上とする。
  • 弁当: 土曜など弁当が必要な場合は、登校途中に買って行くことは禁止
  • 夜間はみだりに外出しない。またひとり歩きは絶対にしないようにする。
  • 友人宅には泊まらない
  • 休み時間中、多学年の階に特別な理由がない時は、行ってはいけない

他にもいまだに、男子は前髪は目、横は耳、後ろは襟にかからない程度の長さ、女子は肩にかかる髪は結ぶ、と校則で決められ、ゴムも黒・茶・紺に限定され、指定されていない学校はありませんでした。

いかがでしょうか? ツッコミどころ満載だと感じませんか?

夜間というのは何時からをさすのか? ひとり歩きを絶対に禁じるというのは、現代社会の都心に暮らす中学生にとって、本当に現実的なことなのでしょうか?

ある中学校は「大人としての基礎を集団活動から学びます」としていますが、校則から見えてくるのは、子ども達に自ら考えさせ、判断させ、そして、表現・実行させる機会を奪い、思考停止させてしまう結果になっているように思えます。

生徒の立場で想像すると、非常に窮屈さ、息苦しさを感じるのは私だけでしょうか。

中学校進学に際して、学校に馴染めず、不登校や登校を渋る子どもが増えており「中一プロブレム」と呼ばれ課題とされています。

その原因として、勉強が難しくなり、定期試験が始まることへのストレスや、様々な小学校から集まった新しいクラスメートや、部活動の先輩など、新たな人間関係の広がりに伴うストレス等々、子供が環境の変化に馴染めないことが指摘されています。

私は、これらに加えて、校則の納得感の無い細かな決めつけが、学校生活を窮屈で息苦しいものにしている側面もけして小さくないのではないかと感じます。

小学校までは、着ていく服や履いていく靴、ランドセルの色など自分で好きに選べていたにも関わらず、下着の色まで決められ、柄ものを着用すれば校則違反として指導対象になってしまうなどの窮屈なルールによる息苦しさ、時には指導の理不尽さに戸惑い心を痛め、学校へ行きたくないと感じてしまう心のSOSに悩み苦しむ子どもがいても不思議ではないように思えます。

白に限定された下着を購入することは、むしろ柄物や色物を買うことより金額が張ってしまいかねない「今」の時代です。

こうした校則が、そもそもいつの時代に作られたのか?その後、見直しをしてきているのか? 疑問が生じます。

子どもたち自身、こうした校則をどう感じているのでしょうか?

在校生たちからは「別に気にしていない」「無視したってどうってことない」という声も聴かれ、形骸化しているのが実態なのかと思える一方で、洗濯が遅れて白い下着がないときに「校則違反でしかられちゃう」と生真面目に登校を渋る子どもの悩みもあると聴きます。

先日、茨城県つくば市立「春日学園」を視察させていただきました。小中一貫教育の9年生の義務教育学校です。

教職員全員が目指す子ども像として「しなやかな知性、ゆたかな感性、たくましい心身」という明確な目的を共有しており、例えばICT教育の「C」に「協働力Community」「言語力Communication」「思考・判断力Cognition」「知識・理解力Comprehension」という四つの意味を持たせ、授業に様々な工夫を実践している学校です。

特に「論理的に考えるための思考スキル」を習得できるように力を注いでいる学校であり、いわゆる校則は設定されていません

「子ども達自身が"輝く学園"とはどのような姿なのか、その姿を達成するために自分たちに何ができるのか、を考えながら学園を進歩させていってほしいと願っています」とのことです。

「授業には真剣かつ積極的に参加すること」と、「形の矯正」を強いる中学校とどうしても比べてしまい、様々な疑問が浮かんでしまいます。

  • そもそも生徒自身が真剣に積極的に参加できる授業をしてるの?
  • 生徒自身にとってどんな授業が望まれてるのかを考えてるの?
  • 子どもたちひとりひとりにとって、中学生らしい礼儀作法ってなに?
  • 髪形は、肩にかかったら結ぶことなど校則で縛る必要があるの?
  • 授業中は暑くても上着は脱いじゃいけないの? 授業に集中するためには自分で体温調節をして、暑かったら脱ぐ、寒かったら着る、という自己管理ができることの方が大切なんじゃないの?

・・・

「主体的に問題を発見し解を見出していく能動的学修(文科省が推進するアクティブ・ラーニング)への転換が必要」

として国が目指すアクティブラーニングを、子ども達の日常で実践していく本気さがあるのであれば、生徒手帳に書かれていることを子どもたち自らが自らに問い、多様な仲間たち、すべての生徒が尊重される居場所がある、生徒が輝く学校として、どういうルールが必要なのか、生徒たち自身が考えて実行いくことが重要であり、そのような教育機会を提供することが今の国が目指す教育の本質なのではないかと思います。

ちなみに、生徒手帳は公費で子どもたちに支給されています。それだけに教育委員会としても、学校に一任するだけでなく、子どもたち自身の生涯を支えていく「生きる力」に繋がる生徒手帳とはどういうものなのか? しっかりと議論してもらいたいと思います。

最後に。

春日学園の片岡校長が、「こんな見方ができないか? もっとこういう見方ができないか? 常に多面的に捉える力を子どもたちにつけていきたい」「そのためには、まず教員が、これまでのやり方では通用しないということを知り、挑戦し実践することが重要」とお話されていたことが、これからの学校教育のあり方を考える際に、まず一番に実行しなければならない意識改革であると強く感じました。

注目記事