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熊代亨

精神科医、ブロガー

1975年生まれ。信州大学医学部卒業。地域精神医療に従事する傍ら、現代の社会適応や心理的充足について、ブログ上で発信を続けている。“精神科臨床の「診察室の風景」と、ネットコミュニケーションやオフ会からみえる「診察室の外の風景」との辻褄合わせ”に拘っている。著書に『「若作りうつ」社会』(講談社)、『ロスジェネ心理学』(花伝社)など。
足成

ネットで「承認欲求」が使われるようになっていった歴史

この記事では、インターネットやメディア上で承認欲求という言葉が使われるようになっていった経緯について、個人的にまとめてみる。現在、承認欲求という言葉はネットスラングのように用いられている。と同時に、著明な学者さんが「承認」という言葉を使ったり、承認欲求をメインテーマにした本が売られたりもしている。だが、こうした風景が昔からあったわけではない。
2014年02月23日 17時10分 JST
足成

私達はどのように承認欲求と向き合うべきか

ここまで、承認欲求について連載してきた。それらを踏まえ、どのように承認欲求と向き合うべきかについて私見をまとめ、結びとする。最初に述べたように、認められたい・褒められたい・いっぱし扱いされたいといった社会的欲求は、ヒトに生得的に具わったものと思われ、ほとんどの人間に具わっているものと思われる。だから、承認欲求という言葉で表される心理的性向そのものを否定するのは色々な意味で筋が悪い。
2014年02月18日 02時12分 JST
足成

承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について

先日の記事では、承認欲求が社会化されていくプロセス、熟練度がアップしていくプロセスについてまとめた。今回は、承認欲求、とりわけ思春期前半の逸脱しやすい承認欲求が罵倒されたり排除されたりしやすい社会情況と、その問題について振れてみる。昨今、思春期前半の承認欲求が馬鹿にされたり、批判に曝されたりする機会が増えたように思う。
2014年02月15日 17時33分 JST
足成

承認欲求の社会化レベルが問われている

前回示したように、承認欲求そのものを叩くことに意義は無い。だが、承認欲求の充たし方、承認欲求にモチベートされて行う行動には、是非や可否が伴う。つまり、承認欲求をモチベーションにすること自体はオーケーとしても、社会的に妥当な充たし方かどうか、年齢相応の水準で充たしたがっているかどうかは常に問題になる。 承認欲求の社会化レベルが問われているのである。
2014年01月13日 17時25分 JST
Juliet White via Getty Images

相手の目を見ないのは、言葉に耳を傾けていない以上の情報喪失

「目は口ほどにモノを言う」という諺もあるけれど、目は口以上にたくさんの情報をアウトプットし、耳以上にたくさんの情報をインプットしている。言葉では何十秒もかかる意思疎通が、目では一瞬で済むこともあるし、口でウソをついているのとは違った情報が目から漏れ出ることもある。
2014年01月12日 16時04分 JST
足成

承認欲求そのものを叩いている人は「残念」

「承認欲求や自己愛は人間の基本的な心理的欲求」であり、それそのものをバッシングするのは人間の基本的性質をバッシングするに等しい。ところが今日のインターネットでは、承認欲求という言葉が罵倒語としてしばしば用いられている。どうして、承認欲求(笑)として叩かれてしまうのか?
2014年01月10日 23時17分 JST
Win McNamee via Getty Images

「きっと何者にもなれない時代」の平凡と「あらかじめ何者かが強制された時代」の平凡

以前、深夜アニメで「きっと何者にもなれないお前達に告げる」という台詞が出てきて、ちょっとした人気を博していた。「きっと何者にもなれないお前達」という台詞がインパクトをもって受け止められたということは、多くの視聴者が「何者かになりたい」自意識を抱えていたのだろう。それとも「何者かにならなければならない」けれども「何者にもなれそうにない」と思っていたか。
2014年01月03日 00時36分 JST
Datacraft Co Ltd via Getty Images

もし「第三のブログ」があるとしたら

2013年の秋から12月にかけて、はてなブロゴスフィア、特にはてなブログ周辺では「サードブロガー」という新語を巡って様々な言葉が飛び交っていた。あまり巻き込まれたくない話題だったので静観していたけれど、そろそろ話題として落ち着いたようにみえるので、自分の所感をまとめる。
2013年12月30日 00時32分 JST
Getty Images

十年越しの「データベース消費」と私

あんなに親しんでいたキャラクターの「データベース消費」が自分の趣味日常から剥離し、いつの間にか違ったやりかたでディスプレイの向こうを眺めている自分自身に気づいた時、十年という歳月を痛感せずにいられなくなったのだ。
2013年12月06日 00時46分 JST
THE HUFFINGTON POST

地方オタクの歳の取り方と、首都圏の人脈について

地方で若いオタクをやっている人は、今所属しているオタクコミュニティが長続きしそうなものなのか、それとも間もなく失われていく蜃気楼のようなものなのか、立ち止まって考えてみて欲しいとも思う。年若いうちにそれを想像するのは、難しいことかもしれないけれども。
2013年11月15日 16時20分 JST
THE HUFFINGTON POST

本棚は教養の生態系

三年ほど昔、はてな匿名ダイアリーに『強くなりたい新大学生が本当に読むべき本100冊』という記事がアップロードされていて、たくさんの人からボコボコに非難されていたのを見かけた。
2013年11月13日 16時12分 JST
THE HUFFINGTON POST

私にはイオンが眩しすぎる

地方都市に住み、毎週のようにショッピングモールに通っていると、イオニストとまではいかなくても、それ無しの生活など想像できなくなってくる。"イオンが撤退してしまったら、生活の質はどれぐらい低下するんだろう"そんな事も考える。それぐらい便利なのだ。
2013年11月06日 02時44分 JST

インターネットにはリラックスが欠乏している

インターネットが普及し、色んなものに簡単にアクセスできるようになった。しかし、インターネットでは入手困難なものもある。その最たるものが、リラックスだと思う。
2013年11月03日 17時05分 JST

ネット掲示板とスーパーマーケットの掲示板は結構似ている

"ここはネガティブな事、高飛車な事を書いて構わないんだ"といったん認知された匿名の場は、そのような書き込みを誘発し、場そのものが自己膨張していくのだろう。スーパーの掲示板も、それ自体が誹謗や上から目線の重力場を生み出し、きたないコメントを自己集積しているっぽい。  
2013年10月10日 23時23分 JST

「君は正しかったんだよ」と言って貰いたがっている人について

かくあるべし、かくあるべし、かくあるべし、という内なる声に疲れた人達が求めているのは「あなたの正しさは間違っています」ではないようにみえる。「あなたの認知は理不尽です」でもないようにみえる。「あなたはよく頑張った、だからもういいんだよ」ではないか。自分自身の正しさに対する赦しの言葉ではないか。
2013年09月30日 17時28分 JST

みんなちがってみんないい――「集団」になれても「団体」になれない私達

弱い立場の人ほど社会関係資本に乏しく、強い立場の人ほど社会関係資本にも富んでいることまで加味して考えるなら、既得権益側にとってじつに都合の良い社会である。「わたしがわたしであるために」「ぼくがぼくであるために」に夢中な人達は、所詮、「ネタ」への集合と離散を繰り返しながらリソースを吐き出すことしかできない砂粒でしかなく、権力を持つ側にとっての脅威たりえない。
2013年09月25日 00時00分 JST