「愛の二流市民」になる覚悟ー36歳の既婚者と恋をした 【これでいいの20代?】

心の中のシャボン玉がはじけた。
鈴木綾

私の本当の名前は鈴木綾ではない。

かっこいいペンネームを考えようと思ったけど、ごく普通のありふれた名前にした。

22歳の上京、シェアハウス暮らし、彼氏との関係、働く女性の話、この連載小説で紹介する話はすべて実話に基づいている。

もしかしたら、あなたも同じような経験を目の当たりにしたかもしれない。

ありふれた女の子の、ちょっと変わった人生経験を書いてみた。

◇◇◇

イギリス風バーで閉店まで喋った私たちは2時頃にバーから追い出された。

雨が降っていたことに外に出て初めて気づいた。濡れた道路にコンビニとまだ空いていたバーの看板をぼやけたシャーベットの色みたいに映し出した。

「タバコを吸ってもいいですか」

太郎と自動販売機が5台ぐらい集まったところに足を止めた。彼がタバコに火をつけたら、私は缶コーヒーを2本買った。

「飲みますか?」

空気が若干蒸し暑くなっていた。タバコの煙がその濡れた空気に支えられて雲のように太郎の頭のまわりに浮かんでいた。

人がいない、夜中の雨上がりの下北は違う世界のような感じがした。その違う世界で普段できないことができる気がした。

「太郎を絶対に持ち上げられますよ」

と太郎の体を眺めて私は言った。

「うそやんー」と太郎がからかって返した。

缶コーヒーを自販機のとなりに置いておいて「やるぞー」みたいな怖い顔をして、太郎のへそまわりを両手で抱きしめてひゃーーーーと太郎を数センチメートル持ち上げた。

太郎が私の必死さに笑った。

「あやは力持ちだね」と太郎が私をやすやすと持ち上げて言った。しかし私を丁寧に地面に置いたら、私の腰回りから手を離さなかった。私は太郎の目を長く見て、彼にキスをした。彼のテクニック自体はあまり上手ではなかったが、あふれるドキドキ感、宝物を手にいれた達成感、無限に広がる2人の将来への期待感、そのすべてが拙いキスに含まれていた。

「これから教えてあげるから」と頭の中で下手なキスを許した。

「これから色々教えてあげる」

キスが終わったら太郎がしばらく私を胸に抱いて、髪の毛をなでた。

「本当にごめんなさい。家まで送ってあげます」

心の中のシャボン玉がはじけた。そうだった。これは嬉しくない。ここで「ごめんなさい」と言うんだよね。

タクシーの中で手を繋いだけど、恥ずかしくて太郎と目を合わせなかった。環七通りと甲州街道の交差点で降ろしてもらった時も「さよなら」と手を振ることもしなかった。

太郎は「ごめんなさい」と言ったけど、その後もお互いにメールしつづけた。

「今週末、松陰神社でお祭りがありますが、一緒に行きませんか」

太郎のメールはいつも丁寧だった。

「行きましょう」

土曜日に行った。お参りした後、コーヒーが飲みたかったので2人で松陰神社から世田谷線に沿ってカフェに向かった。

「こちらです。アンジェリーナというカフェです」と太郎が小さなカフェを指差した。

アンジェリーナ!友達がオススメしていた、世田谷一丁目にあるカフェだった!すごい偶然。

「仕事を持ち帰るときはここを使っています」と太郎が言いながらドアをあけてくれた。

コーヒーを飲みながら太郎の仕事の話を聞いた。最初に入ったときに仙台支店でおばあちゃんたちにクレジットカードの販売をさせられたこと、ローンをちゃんと払ってなかった人の会社に行ったらヤクザに脅かされたときのこと。太郎のような豊富な人生経験をした人に会ったことがなかった。うっとりした。

その翌日、また下北まで歩いた。

マックで仕事をしたかったけど、太郎にキスされたまちに行くのが本当の目的だった。本人に会えなければ思い出で我慢しよう...。

小田急線の踏切で待っていたら(踏切がまだあった時代だった)後ろから私の名前が呼ばれるのが聞こえた。振り向いたら太郎がいた。

「あや!」

胸のドキドキがカンカン鳴っている踏切より大きかった気がした。太郎が近づいて私に囁いた。

「昨日、あやの夢を見ました」

カンカンが止まった。お互いに微笑みあって踏切を渡った。この人とずっと一緒にいたいと思った。

太郎の彼女になってようやく外食ができるようになった。タクシーに乗るようになった、デパートに入るようになった。東京の閉まっていたドアが全部ぱっと開いた感じがした。

上野動物園の猿山の前に座って一時間もずっと猿の面白い動きで笑った。一緒に谷根千を歩いて、日暮里の墓地で野良猫と遊んだ。週末に太郎のBMWで山下達郎のライドオンタイムを歌いながら湯河原まで運転して巨大なクスノキを抱いた。新大久保の焼肉屋さんでお会計をしたときに太郎がガムを貰ったけど、私にキスしてガムを私の口の中に入れた。

太郎が結婚していることは友達に一言も言わなかったけど、ずっとあとになってから私と太郎の関係はそんなに珍しいものではない、とわかった。まわりの30代の友達でー女性も男性もー既婚者と付き合っていた人が実にたくさんいた。

「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」

私の友達で既婚者と付き合っていた人はみんな「アンナ・カレーニナ法則」を信じていた。要するに自分の彼氏、自分の彼女が不倫しているのは、他の世の中の不倫者たちと違う特別な理由がある、不倫を許すべき事情があって、それがいわゆる「それぞれの不幸」。

太郎と太郎の奥さんの間にも「それぞれの不幸」があったとあとから知ったけど、付き合い始めた頃は知りたくなかった。彼の不幸を不倫の言い訳にしたくなかったし、自分を安心させる材料にしたくなかった。

将来、彼が奥さんのところに戻っても全く問題ないように心の準備をしていた。独身の私には彼に「離婚して下さい」と頼む権利がなかったのをわかっていたから。

愛人は初めから「愛の二流市民」だった。自分が愛の二流市民だと忘れちゃう愛人は不幸になる、とアンナ・カレーニナのような不倫をテーマにした小説をたくさん読んだ私はよく理解していた。

愛の二流市民であっても、感情の強さを弱めることは決してない。

私は太郎を愛することに決めた。