Huffpost Japan
ブログ

ハフポストの言論空間を作るブロガーより、新しい視点とリアルタイムの分析をお届けします

Ben Kosinski Headshot

氷水を頭からかぶったって、本当にそれが支援になるのか

投稿日: 更新:
DEFAULT
 
印刷

もしあなたが先週からフェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどチェックしていたなら、きっともうこの動画は見ているだろう。ALS(筋萎縮性側索硬化症)の存在を広く知らしめるために氷水を頭にかぶる人々の様子を映した無数の動画だ。おかげでこの肉体を非常に衰弱させる病気について人々が話す機会を得るという大きな役割が果たされた。だが、それで終わりだ。人々は話をするだけだ。

説明しよう。

スラックティビズムとは比較的新しい用語で、現在ではネガティブな意味合いしか持たない言葉だ。そのアイデアの全貌を見てみると、実際にお金を寄付する代わりに、自分の時間を割いてソーシャルメディアに投稿するということだ。要するに、あるチャリティーに10ドルを寄付するかわりに、そのチャリティに関心を持っているかについてフェイスブックに投稿する。それがスラックティビズムだ。それは瞬間的に熱狂的な注目を生み出しはするが、実際の寄付につながるのか、そして長期的な影響はどうなるのかといった視点が欠けている。このようなスラックティビズムの実例を見つけるのは簡単だ。2012年に誰もが、本当に猫も杓子もコニー2012の動画(ウガンダの反政府ゲリラ指導者ジョセフ・コニーを逮捕しようというキャンペーン)をシェアしたのを覚えているだろうか? コニーが誰かなんてことや、どうやって寄付をしたり、どこで関わることが出来るのか、知っている人はほとんどいなかった。だが突如として、ネット上の傍観者たち(私自身も含む)が貢献をできるようになったのだ!

私たちはコニーの動画をフェイスブックやツイッター上でシェアしまくった。そしてそうしている間に、私たちはコニーの逮捕につながるような実際の予防策や、運動のために時間やお金を寄付することができたかもしれない。しかし私たちはことごとくその機会を逃している。

このように、私たちは高くなり続けるコストを払いながら寄付よりもソーシャルメディアへの投稿に重きを置き、潜在意識にある価値観をフェイスブックの投稿やツイートに向け、自分たちはコニーを見つける手伝いをしたのだと自らに言い聞かせ、再びランチには何を食べようかなという考えに気持よく戻ることが出来たのであった。私たちは手伝った。私たちは参加した。私たちは自分の背中を押した。私たちはツイートをしたのだから。

さて、自分たちの日常についてまたツイートをしようじゃないか。

#IceBucketChallengeが始まったとき、参加した挑戦者は24時間以内に氷水をかぶるか、100ドルを寄付しなければいけなかった。しかし、動画がバイラルになったせいで、この本来の目的は大多数の動画には含まれることはなかった。かわりに、みんな氷の入った袋を買って、カメラをセットし、バケツを手にしてどの友達をタグ付けしようか考えた。多分最初はうまいアングルが見つからないし、2回目は何を喋ればいいかわからない。おっと、もっと氷がいるな。そうこうしている間に、この動画を作るのに氷の袋を6つ買って、30分を無駄にしてしまうかもしれないのだ。ジャジャーン、投稿っと。そしてあなたは突如として慈善家となり、自らのチャリティ精神をフェイスブック、ツイッター、そしてインスタグラムで広める。こんなことをして、心の中にある自分の「価値」を、小道具のコストとネットの自分のページに投稿するのに費やした時間にあてているのだ。このような「価値」には長期的な影響はほとんどなく、次にあなたが取り組むチャリティや、ある運動のために寄付をしようかと考えたとしても、あなたは以前、動画を作ったときのことを思い出しているのかもしれない。

自分の役割は果たしたんでしょう、覚えてませんか?

さらに、ALSの団体が昨年の同じ時期に比べて4倍の寄付を集めたとしても、私と一緒に、1秒でいいから想像してほしい。もし氷の袋を2つ買うのにお金を使った人々が、実際にALSへと寄付をしていたならどうなっていただろうか?きっとすごいことになっていただろう。

でも、誰もそんな風には考えない。

今や、私たちのオンラインのプロフィールが、自分たちが何者かをダイレクトに反映するようになった。人生の経験は、シェアされなければ経験とはいえない。立ち止まり、写真を撮ってみんなとシェアしなければ楽しい時間を過ごしているとはいえない。私たちには今やフェイスブックの投稿、ツイートとインスタグラムのそれぞれと結びついた内なる価値観がある。

もし、あなたがそうしたソーシャルアクションをある運動を手助けするために使うとする。その行為をしたことで、実際の寄付の機会は奪われてしまうだろう。寄付するかわりに、私たちは投稿をしている。このようにして生まれた注目にはフタがされている。それはお粗末な内張りのようなもので、近づいて見たら極めておぞましい様相を見せる。このバイラル的な動きはソーシャルメディアに投稿することで実際に寄付した代償行為となり、かえってALS患者を傷つけることに等しい。投稿をしただけだというのに、人々は心のなかで自分は寄付をしたと思っているのだ。

私たちはソーシャルな生物だ。私たちは#IceBucketChallengeを利用して夏の肉体を見せびらかす。私たちはそれを利用して馴染みの友達にシェアする。私たちはそれを利用して私たちの心遣いを人々に見せる。私たちはそれを利用して何か自分たちより大きなものの一部になったような気になる。私たちはそれを利用して自分たちをよく見せかけているのだ、いずれにせよ。

#IceBucketChallengeは恐ろしい病気を知らしめるのに大きな役割を果たした。だが次に、誰かがあなたに何かへの参加を促したなら、あなたがどれほど熱心なのかを示し、ただ、その運動のために寄付をするだけにしてほしい。