「超能力と魔法を実現する」破天荒キャリアの男がVRで起業するまで

2017年03月27日 15時01分 JST | 更新 2017年08月23日 04時23分 JST
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「超能力と魔法を使える社会を実現する」 そんなユニークな理念を掲げるのが、VR×Fashionのスタートアップ『Psychic VR Lab』だ。代表である山口征浩氏が歩んできた破天荒なキャリアに迫る。なぜ彼は道なき道を歩みつづけるのか?

VRスタートアップ『Psychic VR Lab』の可能性


「超能力と魔法を使える社会を実現する」

一見、荒唐無稽にも見えるPsychic VR Labの理念。VR×Fashionの分野で最先端をいくスタートアップとして注目を集めている。2016年夏には三越伊勢丹とコラボし、VRショッピングのイベントをプロデュースし、話題をさらった。

三越伊勢丹がVRでファッション提案、世界観に顧客も納得(参考:ITpro Active)

また経営の面でも名だたる投資家が参画。着実に未来を見据え、地に足ついた開発を日々続ける。

Psychic VR Labにエンジェル投資家6人が参画し経営体制を強化、ファッションVRコマース「STYLY(スタイリー)」を本格展開へ』(参考:The Bridge)

そんな同社の代表取締役である山口征浩氏は、自身のキャリアを「こじらせ系」と称する。紆余曲折、かなり異端な道のりを歩んできた。

大学は中退。アルバイトで働きはじめた会社にて社長に就任(2003年当時、最年少で上場企業社長となった)。その座を退き、選択したのはアメリカ留学。帰国後に見つけた人生のテーマが、テクノロジーによって「超能力と魔法を使える社会を実現する」というものだった。

普段、メディアに積極的には出ない控えめな開発者タイプ。そんな彼が一度口を開くとユニークな価値観・仕事観が余すことなく語られた。見えてきたのは、これからの時代をサバイブする上で欠かせない、自ら貪欲に機会を創り出していく姿勢だった。

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[プロフィール]山口征浩/株式会社Psychic VR Lab CEO

2000年、同志社大学理工学部中退。同年にデータセキュリティ製品を開発する『イーディーコントライブ』にアルバイトとして入社。2003年、同社の上場に伴って社長へと就任。社長退任後の2008年、マサチューセッツ工科大学(MIT)に単身で留学。2014年に『Psychic VR Lab』を立ち上げ、ファッションVRショッピングサービス「STYLY」を運営する。

学んだプログラミング言語は7つ。時はベンチャーブーム


滅多にメディアに登場しない山口氏。まずはそのバックグラウンドに迫ってみたい。山口氏は自身を「悪い意味で意識高い系学生だった」とふり返る。

「そもそも中学入学のとき、パソコンを触りだしたのが、技術に興味を持ち出したきっかけでした。自己表現の手段の一つとして、自分の気持ちをプログラミングで形にするのが楽しかったんです。ただ、高校・大学と進むに連れて、パソコンを触らなくなってしまいました。大学生の頃はちょうどベンチャーブームだったので、フットワーク軽く、いろんな社長さんのところに会いに行ったりして、「有望な若者だな、将来が楽しみだ」とか言われて調子に乗ってました。

悪い意味での「意識高い系」学生だったんですよね。で、そうしていろんな人と関わっていると、いろんな企画や事業にチャンスがあるという話が回ってきます。でもその時、「じゃあ自分は何をやれるか?」と考えても、何もやれないって気づいたんです。当時の僕には営業力もなければ、モノづくりの技術もなかった。大学3年生の頃にそれに気づいて、すごいショックで。それで何をすべきか考えたとき、やっぱり自分はコンピュータが好きなんだなって気づきました」

そこで山口氏は、毎日大型書店に通い、参考書を買い、起きている間は休みなしで猛勉強を開始。半年間で書籍代は50万円を超え、習得したプログラミング言語は7つにのぼったという。

「凄腕のアナリストが決算書を見て、会社の経営状態や、企業文化を見抜くように、あの時に勉強したことで自分にもエンジニアリングという柱ができて、そこからプロダクトの設計思想に止まらず、会社の理念とか、どういうエンジニアがいて、何に力を入れているのか。良い技術を使っているなとか、枯れた技術だなあとか根っこまでわかるようになりました。それが今にも活きていますね」

「お前はクビや」


その後、以前から付き合いのあったコンピュータセキュリティの会社に飛び込む。いかに無鉄砲だったか、こうふり返った。

「会社見学をさせてもらったベンチャー企業の役員会に乗り込んでいって、"明日からお世話になることに決めた山口です"と宣言して、勝手にアルバイトとして働き始めたんですよ。そこから大学を辞めるくらい仕事にのめり込んでいきました」

コンピュータセキュリティにおいてIT業界全体を良くしていく、その実感はダイレクトにやり甲斐へと直結した。同時に当時23歳だった山口氏の若気の至りは加速する。

「当時は生意気で偉そうなことばっかり言ってた若造でした。自分で利益を出せていたわけじゃないのに、先輩に対して「赤字の事業やってるとか存在価値ないですよ。会社辞めたほうがいいんじゃないですか」とか言ったりして」

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「そうしたらある日、上司から「お前口ばっかりやし、クビや」って言われたんです。でも、その日がたまたま役員会だったんですよ。新卒1年目のぺーぺーでしたが、会議に乗り込んでいって「今日クビになりましたが、俺に事業を任せてくれたらもっとやれるんで任せてください」と言いました。そうしたら本当に技術の開発事業を一つ任せてもらえたんです。その事業がなんとかうまくいったので、首の皮一枚つながりましたね」

なぜ、そのタイミングで成果を出すことができたのだろうか?

「やっぱり、追い込まれて本気を出せるかどうかって大事ですよね。大学中退したのにクビになるかもしれない、もう後がないというプレッシャーの中、本気を出さざるを得ないような環境でやれたのがよかったですね。

その後、取引先の経営者の方と話をすることも増えて、いろいろ学ばせてもらって、経営に興味を持つようになりました。私のいた会社は、やる気があれば誰でも役員に立候補できるユニークな制度がありまして、それで役員になったんです。別に給料がすごい増えるわけではないのに責任は増す。責任感で人は成長すると思うんです。

それより大変だったのはその後ですね。会社が上場し、カリスマ創業社長から引き継ぐカタチで社長になりまして。一気に100人ぐらいの社員を率いることに。しかも一発目の仕事はリストラ。工場に行って、泣かれながらも当時の社員さん一人ひとりを説得したり、話をしたり、壮絶でした」

勉強のしすぎで気絶した


こうした修羅場を乗り越え、とにかく貪欲に、20代で自ら機会を創り出してきた山口氏。その後、社長退任が決まると当然、さまざまな会社からヘッドハンティングがあったそうだ。しかし、彼が次の舞台に選んだのはアメリカだった。

「"そういえば自分は大学を中退していたな"と思って、勉強し直したいと思ったんです。それでどうせなら世界一の場所でエンジニアリングを学びなおしたいと考え、MITに行くことにしたんです。

ところが、留学エージェントを6つまわったのですが、すべて門前払い。大学も出ていないし、英語も壊滅的にできなかったから当然ですよね。それなのに「MITに行きたい」と言い張っていて。ただ、7社目のエージェントさんが「MITはボストンにあるから、ひとまずボストンの語学学校に行ったらどうですか?」と面倒くさそうに言ってくれて。その一言がきっかけになりました」

留学エージェントもまさか、その助言どおりに行動するとは思わなかったはずだ。山口氏は持ち前の行動力で、言われた通りボストンの語学学校へ留学。そして現地でも大きな壁にぶちあたることとなった。

「語学学校でさっさと英語力を身につけてMITを受けるつもりでした。ところがいざ学校に行ってみると、一言も英語が聞き取れなかった。これはやばい...もう帰ろうかなって思いましたね。当時は"なんだかんだ言っても俺は上場企業の社長も務めたんだぞ"という慢心があったのだと思います。語学学校に来ている他の子たちは遊びに来ている人も多くて「俺はこいつらとは違うんや」という変なプライドもあって。現地のコミュニティにも馴染めず、完全に孤立していました。

半年ぐらいたった頃にまた「俺は何もできない」って改めて気づいたんです。プライドを捨て、いい意味で諦めて勉強するようになって。そこからは速かったです。朝から晩まで勉強して、3ヶ月ぐらいで英語が聞き取れるようになった。それからMITの募集要項で「大学卒業資格」を条件としていない枠が一つだけあったのを見つけたので大学の事務所に詰め寄り、なんとか入れてくれと交渉しました」

もちろんすぐ入学できるわけもない。思いつく限りあらゆる方法を実行。TOEFLの点数が足りないと言われれば、何度も受け、「Readingの点数だけたまたまいい回」「Listeningの点数がたまたまいい回」などが出てくると、「いい回の合計点を足したら入学の基準に達してるんじゃないか」などと交渉する。そしてついに入学の切符を手にした。山口氏はMIT時代をこう語る。

「MITはハッカーの文化の発祥地なんですよ。元々ハッカーの人たちと仕事をしていたので、いつか来たいという思いがありました。そんな世界最高峰の環境で学べたのは素晴らしい経験でしたね。大学を中退してるから初歩の微積分さえもおぼつかないのに、デジタル回路の勉強からAI、脳科学、分子生物学の分野まで幅広く勉強しました。上場企業の経営よりも大変だった記憶があります。なにせ勉強しすぎで初めて気絶しましたからね」

そして体験したのは、上場企業の社長時代とは真逆ともいえる貧乏生活だった。

「大学入った当時はお金がなくて、現地に住んでいる後輩の家を借りていました。後輩も多分、僕が2〜3日で出ていくと思ってたんでしょうね。でも、半年以上も居座ったもんだからさすがに追い出されました。だからそのあとはこっそり学校に寝泊まりしていたことも。学会で出されたピザの余りを食べたり、掃除のおっちゃんと仲良くなって見逃してもらったり。アメリカは来るものを拒まず、懐深いところだと思いましたね(笑)」

私たちはもう超能力や魔法を使っている


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そして日本に帰国後、山口氏はいくつかの事業を手がけてから、人生のテーマを見つけることになる。それが「超能力と魔法を実現する」というもの。VR(バーチャルリアリティ)の世界に取り憑かれた。いったい「テクノロジー」をどう捉えているのだろう。

「いまの人間はテクノロジーを通して自らの能力を拡張しています。つまり超能力を使っているということなんです。たとえば、昔の人からすればTwitterやLINEはテレパシーの一種に思えるでしょう。VRは、日常的にもっと超能力や魔法を使えるようになるテクノロジーです。VRの技術が発達することで、これからは現実と仮想現実や、生と死、過去と未来などいろんなことの境界が融け合っていきます。すでに、どこまでが自分の知識でどこからがインターネットから得た知識なのかも曖昧になってきていますし、個人と組織といった境目も曖昧になってきています。

我々の世代はまだ、コンピュータは人間の代わりだと思って区別しているけれど、これからの世代は、人間とAIの違いを気にしなくなっていくんじゃないでしょうか」

VRで起業する。これもまた「新しい道をつくる試み」といえるだろう。山口氏はなぜあえて茨の道を選ぶのか。インタビュー終盤、その考え方の根本を知ることができた。

「自分のうちから湧き出る欲求に身をまかせることが、大人になるとだんだんできなくなっていきます。でも、自分の好奇心にどこまで純粋でいられるか。素直にさえなれれば、いまの時代は仲間も集めやすいし、お金も集まりやすい。好奇心に従って動きやすい時代だと思います。周りを見ていても、VRに魅力を感じてきているエンジニアは増えてきていますが、まだ自分で作るハードルは高いと思ってためらっている人も多いみたいです。でも、ちょっとしたコツを掴めば面白いものが作れるようになります。

あとは無理をしてでも目線を上げる。現時点での自分にできる力が全くなかったとしても、チャンスがあれば仕事を引き受けたり、自ら飛び込むことで無理やりレベルを上げてきました。やっぱり、環境が人間を作ると思います」

いま自身が身を置く場所は、自分をレベルアップさせることができるか。彼の歩んできた道のり、人生を選択する基準は、これからの時代を生き抜く上で大きな参考になるはずだ。

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