血が繋がっている家族だからって、無理して親しい関係を保つ必要はない

自分のために立ち上がったり、その場を去るという選択肢だってあることを忘れないでほしい。

数日前にこんなツイートを書いたら、予想以上に反響があってビックリした。

140字だけでは説明しきれない複雑な問題だから、もっと丁寧に説明したい。

子供の頃から、家族は何よりも大切だと教わってきた。うちは父と母の三人家族だったが、親戚も含めると大家族に膨れ上がった。年末年始は特にみんなで集まることが多かった。美味しい食事がたくさんあって、いとこたちと馬鹿騒ぎできるのは楽しかったが、そうではないことも多かった。

絵を描くのが好きだったから、理系だらけの家族から「文系に進んではいけない」という親切な忠告をもらうことがよくあった。男らしくないとされる遊びが好きな自分は、周りからの冷たい視線にも敏感だった。こうした小さな摩擦から始まって、年齢を重ねる度に自分の居場所の面積が減っていくのを痛感した。

ゲイであると知られるのを恐れて、自分から距離を作ったのもある。大学に入学したものの、文系を選んだことでがっかりされたのもある。重い病を患っていた父と反抗期の自分の悪化した関係を理解されなかったのもある。

理由が山ほど重なって、家族の集まりが息苦しい環境になった。家族からすれば好意のつもりでも、自分の視点からは鋭いナイフにしか感じられないことも多かった。相手の好意を断れば失礼で、受け取れば自分が傷付いた。血の繋がった家族だという理由だけで、そこから離れるという選択肢はないと思っていた。だから、余計に苦しんだ。

自立してくると、そこから抜け出そうとして外の世界に手を差し伸べた。友達と過ごす時間が増えて、コミュニティでボランティアする機会も多くなった。そうやって心のバランスを保っていたのだろう。

ところが、家族以外のことに時間を費やす自分は家族にとって裏切り者のような存在になった。

家族と距離を取るなんて冷血な人だ。家族なんだからもっと関係を保つために努力したらどうだ。私たち家族の気持ちを考えられないのか。家族から、他の人から、そんな言葉をたくさんもらった。その家族の関係が悪化したのはすべて私のせいだと彼らは言う。少なくともそう聞こえた。

私だって好きじゃないけど家族のために我慢してるんだから、君も我慢するべきだ。そんなアドバイスまでもらった。そうやって「家族」という言葉が都合良く使われることに納得ができなかった。血が繋がっているからって、相手をリスペクトしなくてもいいのか。血が繋がっているからって、自分をリスペクトしてくれない人を我慢する必要があるのか。

LGBTコミュニティに参加するようになって、同じように家族との関係に悩む人たちとたくさん出会った。自分が抱えていた問題なんて、他の人に比べれば全然平和だと知った。こうして似たような痛みを共有できることで、心にのしかかっていたものがだいぶ軽くなった。

そんなLGBTコミュニティで、チョーズンファミリーというコンセプトも学んだ。直訳すれば自分で選ぶ家族という意味である。差別や偏見、その他の理由で血の繋がった家族と上手に関係を結べない人はたくさんいる。家族と遠く離れた移民や難民の人だっている。彼らは家族のようなコミュニティを自分の周りに築いて、お互いをサポートしている。その形は様々だ。

クリスマスという時期は家族に恵まれていない人たちにとってはつらい時期である。そんな時に、チョーズンファミリーと一緒に食事ができるだけで救われる人は少なくない。多くのLGBTグループはクリスマス当日にイベントを主催する。チョーズンファミリーの重要さを理解しているからだ。

この歳になって、母とは健康的な関係を築けるまでになった。その関係にはたくさんの時間と労力を費やした。秘訣はやはり、母が自分を家族の一員としてだけではなく、一個人としてもリスペクトしてくれるようになったからだ。「母だから」という理由だけで価値観を押し付けられることは減って、より対等な関係になった。

それは「伝統的な」親子の関係とは少しズレているかもしれないが、私たちにはピッタリのようだ。血が繋がっているという理由で、私たちは「家族」という箱の中に入れられてしまう。その箱の中身は選びたくても選べないことの方が多い。それを素敵な場所だと感じる人もいれば、地獄だと考える人もいる。家族とは難しいものだ。

血が繋がっている家族だからって、無理して親しい関係を保つ必要はない。これは今の自分だから自信を持って口にできる言葉だ。長い間、そうやって生きてきた自分に罪悪感を感じていた。しかし、もうそれを悪いことだとは考えていない。どんな形の家族に価値を見出すのか、どんな家族関係を築くのか、それは個人の自由である。こうした方が絶対良いという魔法のレシピはない。その選択はリスペクトされるべきだ。

年末年始は多くの人にとって家族との距離が近くなる時期だ。家族という枠組みの中で、集団的な価値観を押し付けられやすい環境でもある。逃げたくても逃げられない状況もあるかもしれない。そんな時に、自分のために立ち上がったり、その場を去るという選択肢だってあることを忘れないでほしい。そして、家族に対する罪悪感を自分の足枷にする必要はない。

年末年始、セルフケアを忘れずに。

(2016年12月20日「トロントのハッテン車窓から」より転載)

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