がん患者の在宅看取り率20%超を実現した、岩手県立中部病院の取り組み

「地域一丸」でがん患者の希望に応える

「地域一丸」でがん患者の希望に応える

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東北大学卒業後、消化器外科医としてのキャリアを積んできた星野彰先生。あることをきっかけにがん患者の緩和ケア・在宅ケアに取り組みはじめ、地域の在宅看取り率20%超を実現させました。現在は岩手県立中部病院で緩和医療科長、医師会との橋渡し役として地域医療福祉連携室長を兼務しています。キャリアをシフトチェンジしてきた根底にある想いとは―?

早めの情報提供で、がん患者は自らケアを選択できる

―現在は、どのようなことに取り組んでいるのですか?

私は現在、岩手県立中部病院の緩和医療科長として緩和ケア外来に特に力を入れて取り組んでいます。多くの病院の緩和ケア外来は、ホスピス・緩和ケア病棟への入り口としての役割が強いかと思いますが、私はこの外来をがん治療の「旅行カウンター」と表現しています。

年間約1000人のがん患者さんが当院に紹介され、そのうち約3割の300人程が緩和ケア外来へやってきます。その300人一人ひとりの話をじっくり聞き、緩和ケア病棟や在宅療養、一般病棟など患者さんにとってベストなケアを提案していくからです。

そしてこの外来では特に「外来 緊急入院 退院 在宅ケア」ではなく、「外来 在宅ケア」に移行できる患者さんを増やそうとしています。

―具体的にはどのようにして「外来 在宅ケア」へ移行する患者さんを増やしているのですか?

月曜日から金曜日までの診療時間中、患者さんの話を1人1時間ずつ聞いていきます。そこでの目的は痛みを取ることと、生活の様子を聞くこと、そして生活を支えるための早めの情報提供を行うことです。この早めの情報提供が重要です。

例えば、症状を聞いて介護ベッドや訪問診療などの導入が可能であることを提案します。患者さんがまだ必要ないと言ったら、「もし必要になったら言ってくださいね」と、金銭的な負担が少なく済むことや当院で簡単に手続きができることなどを伝えておきます。すると患者さん自身が必要かもしれないと感じたとき、外来でそのことを伝えてくれます。その時点で導入、入院を回避していくのです。

また、地域の医師会の先生方の訪問診療経験年数や提供可能な医療はおおよそ把握しているので、患者さんの自宅へ訪問可能な医師の中から数名を候補として挙げ、訪問診療が必要になったらどの先生に来てもらいたいか、あらかじめ患者さん本人に選んでもらうこともしています。

このようにわたしたちが早めに情報提供していくことで、患者さんは自ら選択しながら緊急入院を防ぎつつ、自分が望む場所でケアを受けることができるのです。

―具合が悪くなり入院後に在宅ケアへ移行するケースが多いと思いますが、早めの情報提供によって患者さん自身が今後の方針を決めることができ、納得のいくケアを受けられるのですね。

その通りです。当院の緩和ケア病棟への入院についても同様です。「具合が悪くなって在宅ケアを受けることは可能だけど、もし入院になったときには一般病棟に入院することになり、1週間で退院しなければならない。ゆっくり入院できる緩和ケア病棟もあるけれど、こちらは希望者しか入れず、今希望している人が順番待ちをしている。もしこちらに入院したいと思ったら、早めに見学をして考えておいてくださいね」と、まだ体力に余裕のある段階で選択肢を提示しておくのです。

すると自分がどこで過ごしたいかを考える猶予がありますし、緩和ケア病棟が「行きたい」場所となります。逆にあらかじめ情報提供していないと、治療ができなくなってから初めて緩和ケア病棟を紹介されるので、「治療できない人が行くところ=誰も行きたくない場所」になってしまいます。地域にそのような場所を作らないために、緩和ケア病棟に関しても早めの情報提供を行っているのです。

消化器外科からのキャリアシフト

―もともと消化器外科医だった星野先生。なぜ緩和ケアに進まれたのですか?

日本で緩和ケアがまだあまり認知されていない時に、わたしはたまたま手に取った本で英国にあるホスピスの存在を知りました。積極的な治療を行わず、多くの痛み止めを使いながら患者さんが穏やかに亡くなっている事実を知り、今まで自分が見てきた病院での最期との違いに衝撃を受けました。また同じ頃、宮城県沿岸地域の病院で当直をしていた時に、在宅での看取りを経験しました。それまでは病院で亡くなることが当たり前だと思っていましたが、「他の選択肢があってもいいんだ」と思うようになったのです。

その後英国のホスピスを見学するために短期留学し、今の岩手県立中部病院の前身である県立北上病院に着任したときに、病院長の理解もあり、緩和ケアを始めました。最初は自分の担当患者さんへ、徐々に外科の患者さん、内科の患者さんへも緩和ケアが導入されていきました。

痛みをコントロールできるようになってくると今度は、患者さんの「家に帰りたい」という希望を実現させるべく動き出しました。病院全体で入院患者さんの退院を積極的に支援して、訪問診療へと移行していきました。初年度の訪問診療件数は20件弱。一人で訪問診療を続けていましたが、ところが3年後には40件を超えるようになり、病院の医師だけで訪問診療までカバーすることができなくなってしまいました。

そんな折に、地域の開業医の先生方が「痛みのコントロールは分からないからそこだけやってくれたら、今度退院する患者さんは昔から診てきたし自分が診てもいいよ」と協力してくれるようになり、その数が徐々に増えていったのです。

地域の人々のケアには病院と医師会が良好な関係を保っていることが重要と考えていたわたしは、頻繁に医師会の会合等に足を運び交流を持つようにしていました。そんなこともあり、病院の訪問診療を評価してくれていたのかもしれません。

症状コントロールはわたしが、日常的なケアは開業医の先生方という協力体制のもと、在宅ケアに移行できる患者さんが増えていきました。そして北上市のがん患者の在宅看取り率は2001年時点で5%程度だったのが、2003年には一気に20%を越えるようになったのです。

2009年に私が勤務していた県立北上病院と、県立花巻厚生病院が統合され、県立中部病院としてスタート。緩和ケア病棟が新設され、これまで北上病院で取り組んできたがん患者さんの緩和ケアと在宅移行を加速させるために、最初にお話したようなことに力を注いでいます。

「地域一丸」でがん患者をケア

―外科医から緩和ケア中心のキャリアへとシフトしてきた星野先生の原動力は何でしょうか?

一番根底にあるのは「この地域の人の役に立ちたい」という思いで、この地域の人が幸せに暮らせるように医療面から支えることが、わたしの役割だと考えています。がんになった方に対しても同様のことを実現させるために、「この地域では、いつでもどこでも緩和ケアを受けられるようにしたい」という考えを持っています。

ただしこれは、病院内だけで工夫を凝らしても限界があります。「地域一丸」となってがん患者さんを支えることが必要です。約15年かけて医師会はじめ地域の方々と協力体制を築くことができました。また、緩和ケア病棟には、多くの地域住民の方がボランティアとして関わってくれています。

そのおかげで岩手県立中部病院のあるこの地域は、ご自宅で亡くなる方が約2割、希望して入院した緩和ケア病棟で亡くなる方も含めると4~5割です。つまり、自分の希望した場所で最期を迎えている方が約半数いるのです。

この地域で「地域一丸」のサポート体制をつくり上げることができたからこそ、引き続きこの体制を維持し、より多くの方ががんになってもこの地域で幸せに暮らせるよう手を尽くしていきたいですね。

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■医師プロフィール

星野 彰

岩手県立中部病院 緩和医療科長・地域医療科長・地域医療福祉連携室長

1987年、東北大学医学部卒業後、同大学第二外科に入局、食道がんグループに所属。1998年に仙台市立病院に着任、がんと救急の外科を担当。2000年に英国ホスピスでの研修のため短期留学し、2002年に岩手県立中部病院の前身である岩手県立北上病院に着任し、がん患者さんの緩和ケア、在宅ケアを開始する。2010年に北上病院と花巻病院が合併、岩手県立中部病院が開院。緩和ケア専従となり、現在に至る。

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