元・厚労省官僚が推し進める、現場からの医療イノベーション

「5年間の官僚時代に日本の医療が危機的状態であると思い知らされた」(宮田俊男)

医療イノベーターのロールモデルになる

早稲田大学で人工心臓の研究に携わり大阪大学医学部に学士編入、数々の心臓手術を経て厚生労働省に入省、医系技官として再生医療をはじめとした法案作成に関わった華々しい業績を持っている宮田俊男先生。そんな宮田先生が取り組もうとしていることとはー?

日本の医療革新を推し進める

――厚生労働省の官僚を5年間務めた後、臨床現場に戻ったり、日本政策機構の理事をなさったりしている宮田先生。現在、取り組もうとしていることはどのようなことですか?

私が取り組もうとしていることは、まさに日本の医療を変革していくことです。2009年から2013年まで厚生労働省の官僚の立場から、日本の医療イノベーションを促進するために、さまざまな法案の改正や立案に関わってきました。しかしながらよく言われることではありますが、やはり厚労省外の縦割りもあり、厚労省の中にいるだけではうまく進められない部分もあり、限界を感じるようになりました。そこで今度はもう一度現場に戻り、逆サイドから政策のイノベーションを推し進めようと考えました。

日本医療政策機構の理事に就いたり、地方自治体や企業の産学連携を進めたりしながら、2016年11月には保健医療2035に記載されているゲートオープナーを目指して、渋谷区にクリニックも開業しました。

また、これも保健医療2035に明記されているセルフメディケーションを医師の立場から薬剤師とコラボして適切に普及浸透させるためのアプリ開発をするべく、メディカルコンパスというベンチャー企業も立ち上げました。一言で言うと、現場からのイノベーションを促進するために、新しい仕組みのとっかかりを作っているということです。

――具体的には、どのようなことをなさっているのですか?

今、イノベーションを進めるために注力していると言いましたが、クリニック開業後ではまず、イノベーションの前段階として、現状の医療政策の枠組み内から少しだけ外側で取り組めることを1つずつ実現していっています。現在の医療政策の枠組みの中でできることを行うことで十分かというと、必ずしもそうではないと思っているからです。

具体的には、クリニックの待合スペースを「がんサバイバーシップ室」として開放しています。相談役をご自身もがん遺族である轟浩美さんに依頼し、気軽に相談に来られる場として提供しています。あとは当たり前の事例ではありますが、ケアマネージャーと密な連携を取ること、高齢患者さんのニーズに合わせて、柔軟に往診や訪問診療に対応すること。

逆に若い世代のニーズに合わせて時にはコストをできるだけ下げて、女性外来や高山病予防外来などを自由診療として医療を提供したり、セルフメディケーションの啓発につなげていくことなどです。

また、メールやSNSなどで地域住民の方とつながりを持っていて、再診以降は簡単な相談を受けています。これは現在注目されている、遠隔医療の1つの形ですよね。

ちなみにこのクリニックの名称は「みいクリニック」と言います。「みい」はアルファベット表記では"MIH"、つまり"Medical Innovation & Health"の略です。まさにメディカルイノベーションとヘルスケアの向上を促進していくという我々の意気込みを名称に込めました。

――では、ベンチャー企業のメディカルコンパスではどのようなことをなさろうとしているのですか?

市販薬やヘルスケア製品の羅針盤というコンセプトのもと、医師が受けた相談内容から、薬剤師の方々に協力してもらって適切な市販薬などを助言したり、症状や薬に対する理解を深めたりしてもらうサービスを開発しているところです。人々の医療リテラシーを上げていくことで、適切なセルフメディケーションに誘導していくことを目指しています。

官僚時代に感じた日本の医療に対する危機感

――なぜそこまで医療のイノベーションを進めようとしているのですか

5年間の官僚時代に日本の医療が危機的状態であると思い知らされたからです。

もともと、厚生労働省に入省したかというと、早稲田大学で人工心臓の研究に携わってきたり、急性期病院で高度な医療に従事していたものの、再新の技術は常に欧米が先行しており、患者さんのもとへ届かないところから、デバイス・ラグやドラッグ・ラグの問題を解決したいと思ったからです。最初は医師になって自ら治験を進めて行こうと考えていましたが、実際に医師として人工心臓の治験に携わってみると、日本では医療機器の承認がなかなか進まないことが原因ということに直面し、厚生労働省に入りました。

最も衝撃的だったことの1つに、世界の場に出てみたら、日本の社会保障政策は教訓事例として外国の社会保障の専門家がプレゼンされていたことです。「日本は圧倒的に高齢化率が高い。日本のように高齢化率が上がっていかないように、早い段階から少子高齢化対策を講じましょう」と言われるのです。

急激な高齢化や人口減少、国民皆保険制度の持続性も含めて、国全体でもっと危機感を持たなければいけない。外科的に言えば、すでに緊急手術が必要な状態なのです。

ところが日本の国内にいると、なかなかそのような危機感を持てている人は多くないのではないでしょうか。なぜなら今のところは問題なく持続しているように感じられて、水のように当たり前にあるものという感覚になってしまうからです。私は官僚生活の間、海外に行きさまざまな国の人との交流を続けていく中で、グローバルな中での日本の立ち位置を認識させられました。

そして、後世に対して医療をきちんと引き継ぐためにはやれることは全部やっていこうと、あらゆる方向からイノベーションを進めていこうと思ったのです。

医療イノベーターのロールモデルになる

――最後に今、医療の現場で活躍しつつある若手医師に対してメッセージをお願いします。

若い方たちも問題意識や課題感をたくさん抱えています。それを愚痴に終わらせるのではなく、アイデアとしてどんどん活用していってほしいと思います。クリニックでも病院でも、できることはまだまだたくさんありますし、それが医療・ヘルスケアのイノベーションにつながっていくからです。

日本の医療の変革が進まないのは、1つに医療分野におけるイノベーターの育成がなされてこなかったことが挙げられると思います。このような環境ではありますが、私はそのロールモデルの1人となれるよう、今後も挑戦を続けていきます。ですから、少しでも医療の問題や課題に直面したら、リスクを恐れず解決への行動を柔軟に考え、果敢に取り組んでいってほしいですね。

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医師紹介

宮田 俊男 みいクリニック 院長/日本医療政策機構 理事

1999年早稲田大学理工学機械工学科を卒業し、大阪大学医学部医学科に3年次編入。2003年に同大学を卒業後、外科医として大阪大学医学部付属病院で手術や治験、臨床研究、再生医療に従事したのち、厚生労働省に入省。医系技官として税・社会保障の一体改革や臨床研究関連予算の設計、薬事法改正、再生医療新法の立案など数々の医療制度改革に携わる。現在は日本医療政策機構 理事就任とともに、国立がん研究センター政策室長、京都大学産官学連携本部客員教授等として多方面から医療課題解決を試みている。

2016年11月、渋谷区にみいクリニックをオープンさせ、内科をはじめ小児科、アレルギー科、皮膚科、心療内科、精神科の診療を行っている。また、現在も外科医として手術にも取り組んでいる。

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