日本の医療をケニアへ

日本人にとっては遠い存在ともいえるアフリカのケニア。マラソン選手やマサイ族などは有名ですが、ケニアの生活や医療事情はどうなっているのでしょうか。

日本人にとっては遠い存在ともいえるアフリカのケニア。マラソン選手やマサイ族などは有名ですが、ケニアの生活や医療事情はどうなっているのでしょうか。

[1]ケニアにおける医療の現状

ケニアは国のほぼ中央を赤道が横切っているにもかかわらず、首都ナイロビは標高1700メートルの高地にあるため、1年を通して気温は15〜25℃、湿度も低く過ごしやすい気候です。一方、ケニア第二の都市モンバサはインド洋に面しており、1年中高温多湿な気候でマラリアの多発する地域にあります。

ケニアは地方によって気候も衛生状態も大きく異なります。ナイロビの雨期は年2回あり、3月~5月が大雨期、10月~11月が少雨期で、この時期には下痢を起こす疾患が多くみられます。6~8月はケニアの冬にあたり寒いのでナイロビでは暖房を使う人たちもいます。ナイロビの外国人居住区と呼ばれる住宅地域では上水道・下水道とも整備されていますが、ダウンタウン周辺やスラム街に足を踏み入れると、衛生状況は本当に劣悪です。

ナイロビの私立病院の医療レベルはアフリカにあっては高レベルと言えますが、日本や欧米先進国のような洗練された対応は期待できません。24時間オープンの救急外来を持っていますが、夜間では1~2時間待たされる事は当たり前です。

ケニアでは保険医療がまだ確立しておらず、診察・検査には前払いを要求されます。受診時にはほとんどが現金での支払いになります。クレジットカード払いは可能な病院と不可能な病院があります。公立病院は安価に受診できますが、設備も技量も不十分と言わざるを得ず、邦人が安心して治療を受けられる環境ではありません。

ケニアの医学部は現在6年制になっています。日本の医学部では1~2年間は教養科目などがありますが、ケニアでは医学部入学直後1年目から2年目までに解剖学、微生物学や病理学など基礎的なことを学びます。3年目からは大学病院の病棟に入り、内科、外科、小児科、産婦人科などにいる実際の患者たちを相手に勉強します。5、6年目には患者を受け持ち、当直、手術の執刀、助手、出産の取り上げなどをこなし、後輩の指導も行い、卒業後にはとても優秀な研修医になっています。

東アフリカで最大といわれるナイロビ大学附属病院は、設備が充実しており専門医師の数も多く、学生時代はさまざまな分野を学ぶことができます。そして医学部卒業後医師免許を取得し、研修医1年目からケニア各地の県立病院に送られ、指導医がほとんどいないところで研修医同士が協力しあって診療に挑みます。この時点では日本の医学生・研修医より経験値がとても高く、頼りになる医師たちなのではないかなと私は思っています。(ケニア医学部の教育法は法律がまだ緩く、患者側も医師や医学生に対してまだ強い自己主張をしないからこそ成り立っているのが現状です。)

[2]ケニアの医療の問題点

ケニアの首都ナイロビの医療はアフリカの中では決して劣っていませんが、これはあくまでも都市部にある私立病院などの医療基準であり、これらを受けられる人たちはケニア人口の2割にも満たない富裕層だけです。ケニア人口のおよそ8割の人たちは満足な医療を受けられない、あるいは医療の手が届かないまま人生を終えているのが事実です。

ケニアの医療面に数ある問題から、いくつかを挙げてみます。

1.医療資源の不足

(1)人材不足

(2)医療提供の場の不足

(3)機材、薬剤などの不足

2.低受診率から受診後の高死亡率

3.衛生面での環境の劣悪さ

4.HIV/AIDSの問題

5.医療保険制度の不備

今回はこの中でも最も私自身が興味のある「1.医療資源の不足」に関して述べてみたいと思います。

ケニアで医師免許を取得し、研修を2年やるとMedical Officer(M.O.)(専門的にまだ進路を決めていない医師の事をいう)になり、公立病院、主に県立病院で医師が足りない科の担当医として外来から入院患者まで診るようになります。

ケニアの都市部以外の病院はどこも外科、内科、産婦人科、小児科と大きく4つに分けられており、各科に一人の専門医がいます。ですが、専門医の数が少なく、ほとんどがナイロビに住まいを持っているので、一人の専門医が複数の病院を担当することが当たり前になっています。ですので、専門医が病院に来るのは週に2、3回ほど、というのが現状です。

病院ではM.O.達がとても重要な役割を果たします。毎日M.O.が新米の研修医たちと回診を行い、外来を行います。専門医の先生は電話で相談を受け、緊急オペが必要になった場合はナイロビから数時間かけて病院にやってきます。もちろん「今は行けないので」と一言で電話の会話が終わることも多々あります。

ケニア奥地のほとんどの県立病院では画像的診断ではレントゲンしかないため、せっかく大学で学んだ知識(心電図、エコー、CT、MRIの読影等)が生かされず、医師たちは臨床的な診断・判断能力ばかりを高めていきます。だが、限界があるためそれ以上伸びる事はありません。むしろ画像的読影能力(CTやMRIを使って診断を下す能力)は退化します。

このように十分な設備がない地域では、例えば脳卒中の場合、梗塞なのか出血なのか判断が難しい患者はそのままCT・MRIがあるナイロビまで送られます。急性心筋梗塞などでももちろん数時間かけてナイロビに搬送されるので、途中で死亡するケースも少なくありません。

[3]「慢性化した医師」の存在

ある程度のレベルまで達し、それ以上能力的に伸びなくなる医師をケニアでは「Chronic M.O.」(クロニック・エム・オー)と呼びます。その意味は「慢性化した医師」です。

専門医とMedical Officer(M.O.)の間にはとても大きな差があり、給料で言えば4倍から10倍くらいの差が出ます。だったら専門医の資格を早くとれば良いではないかと思いますが、実はそれがとても難しいのです。

日本では、2年の研修が無事終われば3年目からは後期研修医として専門分野に進める制度になっていますが、ケニアでは、専門医になるためにもう一度大学へ戻り、大学院生として、内科なら4年間、外科なら5年間の勉強が必要になります。

この間は無給のうえ、授業料を払い続けなければいけなくなります。私立病院やクリニックなどで医療系のアルバイトはあるのですが、経験者たちはなかなかできないと言っています。大学院といってもここで行うのは研究などではなく、日本でいう後期研修とほぼ同じ形なので、外来、病棟、オペ、当直、当番をひたすら行い、毎日心身ボロボロになって家に帰るからです。

ケニアでたまにあるストライキは、この大学院生たちがこれほどまでナイロビ大学病院に尽くし、病院には欠かせない存在であるのにもかかわらず、一銭も出さない病院・大学への不満、怒りから起こることがほとんどです。

ですから、想像できると思いますが、大学院へ進めるのは、裕福な家庭で育ったお子さんたちがほとんどなのです。大学院の授業料はもちろん、住まい、生活費などもかかってくるので、ナイロビに実家がある富裕層からはどんどん専門医が生まれますが、地方の優秀な若者たちは、やっとの思いで医学部に入り、医師になったにもかかわらず、そこからさらに上を目指すことが困難であり、Chronic M.O.となっていくのです。

地方の病院でM.O.として勤務し、専門医の先生たちの手足となって働くけれども、給料は一向に上がらない。かといって、一生懸命お金を貯めたとしても、その間に結婚し家庭ができると、身動きがとれないままほぼ一生M.O.という身分でいなければいけなくなります。これがChronic M.O.と呼ばれる医師たちの現状です。

この仕組みでは毎年専門医が増えても、ナイロビ出身の若者ばかりが専門医なってしまうために、都会の病院でしか勤務をしたがらず、地方になかなか専門医が増えないのもおわかりだと思います。この現状に何も危機感を覚えないケニアの医師会のお偉いさんたちは、おそらくですが、自分の子供たちは問題なく大学院へ通えているので、全体的なニーズをあまり意識していないようにも思われます。もしくは、ニーズがあってもそれをサポートする力がないのかもしれません。

[4]日本とケニアの架け橋に

私は、幼少の頃からケニアで育ち、小、中、高とケニアの教育を受け、ケニアのナイロビ大学医学部を卒業し、とても貧しい県立病院で研修を終えました。ケニアの大抵の状況を肌で感じ、この目で見てきました。医療に関しても、良い面、悪い面、改善したいな、と思うところをたくさん見てきましたが、ケニアで生活していると今の状態が当たり前になり、それに慣れている自分がいました。

自分もそのうち専門医取得のため大学院に入るのかなと思っていましたが、ある東京大学医学部付属病院の教授との出会いで今から約3年前に日本にやってきました。最先端医療があるここ日本の東京大学病院で研修をさせていただき、日本の医師免許も取得しました。研修中には日本とケニアの医療の違いをまざまざと見せつけられていますが、どれだけケニアの医療資源が足りていないか、どれだけの救える命がケニアで失われているかを思い知らされます。

その反面、日本の医療のすばらしさ、技術や機材だけでなく、医療提供者のクオリティの良さ、サービス面や気の配り方、病院内でのさまざまな制度、チームワーク(感染対策チームやセーフティマネージメントチーム)、病院同士の連携など、日本が築き上げた医療には感心させられ、感動すら覚えました。

私はどうにかしてこの日本のすばらしい医療を少しでもケニアへ届けたいと夢見ており、日本とケニアの架け橋にでもなれたらいいなと思っております。それがケニアの医療の向上につながれば、医療レベル全体の底上げができるのではないかと......とても大変で規模が大きいように思われますが、そのために何かしたいと思っていました。

実はその時に、この「coFFee doctors」のインタビューにも登場されている林祥史先生のカンボジアへの「日本の病院丸ごと輸出」についてのお話がありました。とても興味が湧き、今までの活動内容を拝読し、「持続可能な形で途上国に医療を輸出する」仕組みには心から感心させられました。

私は、日本の病院をそのままケニアに輸入できたら良いなと思っています。ケニアの貧しい地方出身の優秀な若者たちをサポートし、Medical Officer(M.O.)から専門医への道をつくりあげたいとも思っていますし、ゆくゆくはケニアにおける「日本の病院」で、医療面だけではなく、他の面でもクオリティーの高い医師に育てあげることができたらいいなとも思っています。

日本に姉妹病院ができれば、ケニアから日本へ、日本からケニアへ、若い医師たちの交換留学の場になればいいなとも考えています。ケニアと日本の医師たちが互いに刺激しあい、国境を越えた医師・看護師のネットワークが生まれる事を期待しています。

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【医師プロフィール】

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塩尻 大輔

小学校3年生の時に家族でケニアに移り住み、そこから21年間をケニアで過ごす。ケニアの高校を卒業後、NPOアフリカ児童教育基金の会(ACEF)プロジェクトマネージャーとして働き、オーガニック農業EM(effective Microorganisms)等を担当。同時に在ケニア日本大使館、外務省草の根基金部門でのモニター調査員も務めた。その後ナイロビ大学医学部に入学し2009年に卒業、ケニア国医師免許を取得。ケニア国キトゥイ県立病院での研修を経て、2011年東京大学医学部附属病院形成外科にて研修。2013年日本医師国家試験に合格し日本の医師免許を取得。現在は岩手県立磐井病院にて研修中。

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