白川村の医療を一人で10年支えた医師から見た県北西部地域医療センター

県による人事異動によって体制が大きく左右されることもありますが、チームで診療所を守っていたほうが、地域に根差した医療の提供を可能にすると思います。

チームで8診療所を支える

岐阜県郡上市を中心とした山間部の診療所を、複数の医師で管理運営する県北西部地域医療センターがあります。

世界遺産に登録された合掌造りの集落がある白川村は、2015年、同センターに組み込まれました。同センターに組み込まれるまでの10年間、白川村の診療所を一人で守ってきたのが伊左次悟先生です。

一人医師から、チームで複数の診療所をサポートする体制への転換を経験した伊左次先生は、県北西部地域医療センターについてどのように感じているのでしょうか?

10年間、一人で白川村の診療所を守る

―2016年に白鳥病院の所属になるまで、10年間一人で白川村の診療所に勤務されてきたと伺いました。

わたしは自治医科大学を卒業後、3年目から白川村に赴任することになりました。それから10年間、白川村にある白川診療所と平瀬診療所の診療所長として勤務してきました。

―医師3年目から地域に医師が一人ということに関して、どのように感じていましたか?

当時は自治医科大学の義務年限として、医師3年目から一人で診療所に勤務することは当たり前このことだったので、それ自体に抵抗感は感じていませんでした。

実際に学生時代から将来的には一人で診療所に勤務することが分かっていたからこそ、地域の診療所研修に積極的に行っていました。

そこで大学での教育では学びきれない「地域の診療所で働くとは、どのようなものか」ということのイメージを、ある程度つかんでいました。

しかし、いざ自分が「医療のプロ」として地域の方々の健康を守る立場になるのは、研修とは全く別物で全てが不安でした。

技術面において全てができるわけではありませんし、いきなり診療所の所長という立場で全く知らない人々の中に飛び込むわけです。故郷の岐阜県内とはいえ、わたしの地元は愛知県に近い御嵩町。

一方白川村は富山県に近い地域なので、地形や気候が全然違い、雪の降り方は全く違い、生活文化もなじみのない地域でした。

「一人」から「チーム」へ

―その不安はどのように払拭されていったのですか?

技術面はコツコツと1日1日の診療を振り返り、ひたすら書き溜めていました。

それを半年や1年後に見返すと、当時できていなかったことがいつの間にかできるようになっていたり、課題に感じていたことが解消されていたりします。

そこから成果を洗い出し、新たな課題が生まれているので、それに対する目標を立てていましたね。この作業を地道に繰り返してきました。

そうすることで自然とステップアップしていきました。また、目に見える形でも知ることができたので、自信やモチベーションアップにもつながっていました。

住民の方との関係性については、小さなコミュニティならではの大変さもありましたが、実際飛び込んでみると、患者さんのみならずそのご家族も含めて向き合っていけることが自分には向いていると思えるようになりました。

そのため、「自分の限界が、この地域内でできる医療の限界」と考え、できることはやってきたので非常にやりがいはありました。

だからこそ、なかなか後任は来なかったものの「やれるところまでやってみよう」と考えていました。

しかしながら正直に言うと、後半は「このまま一人でやっていていいのか」「何を目標にするのか」など思い悩むことが多くなっていきました。

自分自身が変化しようにも、それまでの期間、この地域に合わせて築いていったものをうまく変化させられるか分かりませんでしたし、これだけ長くこの地にいるので、後任が来たときに上手く交代できるだろうか、など色々と行き詰っていた部分がありました。

―そのような行き詰まりを感じている時に、白川村の2つの診療所が県北西部地域医療センターに組み込まれたということですか?

まさにそうです。ですから私にとっては、奇跡のようなタイミングでしたね。

2015年に、白川村の2つの診療所が県北西部地域医療センターに組み込まれました。

組み込まれたとはいえ、どの地域の診療所もそれぞれ所長は一人ずついます。

2015年度は私が診療所長を継続、翌年度からは若手医師が着任し、私は県北西部地域医療センターの基幹病院である白鳥病院に赴任しました。

県北西部地域医療センターに組み込まれ、診療面での相談を他の医師に気軽にできるようになり、ある意味「自分は医療のプロだから、自分が選択した行為は正しい」と強がる必要がなくなり、気持ちに余裕ができました。

また患者さんにとっても、どうしても医師との相性もありますから、複数の医師がいることで選択の余地ができたことは良かったと思います。

医師の名前をすぐに覚える方が多く、大きな問題もなく体制の変更は受け入れられていたように思います。

チームで山間部診療所をサポートするメリット

―2016年度から白鳥病院の勤務となった伊左次先生。現在はどのようなスタイルで診療を行っているのですか?

ほぼ曜日は固定で、病院の外来診療や山間部の診療所のサポートに入っています。

私の場合、月曜日の午前中は所属している白鳥病院、午後は老人ホームへの訪問診療、火曜日は一日白川村の診療所の1つである平瀬診療所、水曜日の午前中は和良診療所、午後は白鳥病院、木曜日は1日白鳥病院、金曜日の午後は白川村にある白川診療所というサイクルで毎週診察に回っています。

―このように複数医師で山間部の診療所をサポートする体制に関して、伊左次先生ご自身はどのように感じていますか?

先ほども言いましたが、他の医師と接点を持ち情報共有ができるので、それによって切磋琢磨も可能なので、スキルアップがしやすいですね。

また白川村に勤務していた時は仕事と私生活を分けきれず、何かあると引きずってしまっていましたし、休日になると疲れがどっと出て、運動などのリフレッシュをする気力がなかなかありませんでした。

しかし今は、自然と朝早く目覚めるので、時々走りに行ったり、夜や休日に何かのお誘いがあっても迷わず言い訳せずに参加したりしていて、自分に余裕ができたと感じられています。

メールなどの事務作業も滞ることなく進められているので、自分のキャパシティーに見合った仕事ができる環境です。

もちろん、一人の医師が診療所に来る全ての患者さんを診ていたほうが、家族背景まで全て把握でき、地域の方々に密着した医療の提供が可能です。

実際に現在は、入院手続きをした患者さんには自宅に残された家族がいて困っていることを後日知るといった問題も見受けられます。

しかし、一人の医師が自分のキャパシティーを越えた仕事を続けていて、万が一突然倒れたら、それこそ地域の方々は困ってしまいますし、永続性がありません。

県北西部地域医療センターは始まってあまり月日の経っていない取り組みで、まだ人手不足が否めません。

そのため、県による人事異動によって体制が大きく左右されることもありますが、チームで診療所を守っていたほうが、地域に根差した医療の提供を可能にすると思います。

また、そのような環境で学べることはこれから地域医療に取り組みたい方にとってはとても良い環境だと思います。

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■■■医師プロフィール■■■

伊左次 悟 国保白鳥病院

岐阜県出身。2003年自治医科大学卒業、県立岐阜病院(揖斐郡(いびぐん)北西部地域医療センター1か月含む)での研修後、3年目より岐阜県白川村にある白川診療所と平瀬診療所の所長を兼務する。2015年に同診療所は県北西部地域医療センターに組み込まれ、2016年に同センター基幹病院である白鳥病院に赴任し、外来診療や山間部診療所のサポートに入っている。

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