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Cristian Martini Grimaldi Headshot

アジア人が何を食べるか、西洋人が決めるの?

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イタリアのネット新聞を読んでいると、ある映像が流れてきた。
それは、西洋人が新しく作ったドキュメンタリーだった。こんなフレーズで始まる。

『アジア人は、毎年3,000万匹の犬を消費している。』

私も西洋人の一人としてこのドキュメンタリーを観たが、「アジア人」は文明人よりも野蛮人に近い、と思わせようとしている意図が強く感じられた。

流れる映像を観て、日本の捕鯨船をしつこく追いかける、グリーンピースやシーシェパード(カナダ生まれ)といった環境保護団体や、日本のイルカの追い込み漁についてのドキュメンタリーを作った「西洋人」を思い出した。

たった今地球にたどり着いたばかりの宇宙人であれば、西洋人を正義のヒーローであるかのように思うだろう。
時間を持て余したヒーローたちは、動物の倫理的扱いとか食習慣とか、人がどう行動すべきかを世界に訴える。そうやって彼らの日々を満たしていくのが最善であると考えているのだ。

ビーガン(絶対菜食主義)やベジタリアン文化は、今や日本でも浸透してきている。
こうなればもう、宇宙人は、「西洋人」こそが、ハリウッド映画に出てくるような偉大な正義のヒーローだ、と本気で信じてしまうだろう。

ただ、ちょっと待ってほしい。
日本で農業漁業中心の和食文化が長らく続いた後、文明開化の象徴とも言われる肉食文化を再び広めたのは、西洋人ではなかっただろうか。
そして現代になり、「Oops!ちょっと考えが変わっちゃった!」とでも言うのか。

「私たちが、最初に肉食文化を伝えた。でも、私たちの暮らしや考え方が変わった。さぁ、皆も一緒に変わろうじゃないか!」とでも思っているのだろうか。
同じ西洋人だとしても、私からしてみれば、彼らは独裁的で狂っているとさえ思ってしまう。

「No More Meat!」と叫ぶ動物の権利運動で問題なのは、世界中の人々はさまざまな伝統を持ち合わせているということだ。

伝統に根付いた文化は、トレンドや流行りのようにコロコロと変化することはない。だからこそ、人は「アサシン」であると感じずに(何かを殺傷していると感じずに)、動物(牛、羊、ヤギ、ラクダ)の肉を食べ、ミルクを飲み、チーズやヨーグルトなどを食べるのだ。

そして再び、動物の権利を訴える人々の問題点は、彼らが、自分の思い通りに作り上げられていない世界を受け入れられない、ということだ。5歳児ならば、それでもいい。だが、大人ならば、もっとちゃんと考えた方がいいのではないか。

もちろん、すべての選択肢は尊重され得る。
ただ、敵意を露わにして他人を侮辱し、傷つけてしまう程、行き過ぎたイヤミになってしまえば、尊重されるべきかは危うい。

あのドキュメンタリーは、見た人に「このアジア人め!」と感じさせるように作られている。それこそ「アサシン」同然ではないだろうか。

動物の権利擁護運動の発端は、善意に基づき、大義名分が立っていたはずだ。だが、行き過ぎた運動は、逆効果を招こうとさえしている。

もし、漁という行為が中世ヨーロッパの拷問を連想させ、人がイワシの缶詰を食べながら、動物殺害幇助の罪を犯していると感じるようになってしまったら、それは逆効果であり、真に意図するところではないはずだ。

もしこれが皮肉でなければ、笑えるところだったかもしれない。
ドキュメンタリーを作った西洋人と、同じ土地、同じ文化から来た人間が、ハンバーガーを作るために何頭もの牛を殺し、フライドチキンを作るために何羽もの鶏を殺す。そして、そのファストフードをアジア中に広めてきた。

この矛盾がなくなった時、ようやく、親愛なる西洋人は、道徳的な高みに立つことができるだろう。そして、そうなって初めて、肉食文化についても、私たち人間がどう振る舞うべきかを世界に訴えかけることができる。

あなた方の言葉にこんなフレーズがあるじゃないか。
"Live and let live."
お互い上手くやっていこうよ。

 
訳:阪上 みなみ(Sakaue Minami)