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被災地の食を支えた地方スーパー「マイヤ」、雇用問題、ノウハウの消失、立ちはだかった数々の困難

2014年03月11日 17時37分 JST | 更新 2014年05月10日 18時12分 JST

岩手県大船渡市に本社を置き、岩手県沿岸南部を地盤としたスーパーマーケットチェーンの株式会社マイヤ様に、東日本大震災からこれまでの歩みについてお話を伺いました。震災当時16店舗中6店舗および本部社屋が全壊(一部半壊)しつつも、主に食料品のライフラインとして復興に尽力されてきました。(※内容は取材した2013年3月22日当時のものです)

電話も何も使えない、懸命に営業を継続

――震災当日ですが、海から距離があるインター店は無事ですぐに営業を再開したようでしたね。3月11日の16時から。大変な状況だったと思うのですが、やはりやらなければということで。

新沼さん:そうですね。食料品・生活必需品を扱っているという意識はありましたので、そこがやはり従業員のマインドにも浸透していたようです。地震で天井が落ちて危険なため中には入れられないので、店頭で販売して、暗くなってきたら従業員の車集めてヘッドライドで照らしながら売っていました。

本部社屋が流されましたし、通信手段がなかったのでうちの各店舗の方には本部から指示は出せない状況でした。各店舗でそうやっていろいろどうしたらいいかって考えて行動してくれました。

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営業サポート部総務課マネージャーの新沼聖さん。ご自宅が被災し、しばらく避難所から職場に通われていた。

新沼さん:震災後何が大変だったかというと、商品を仕入れなければならないのですね。電話がつながらない、FAXつながらない、どうやって発注しようかというのが大変でした。それでうちのバイヤーが携帯のつながるところまで車で行って、それで何を何個だというようにやっていました。

――電話がつながらないというのは会社的には厳しいですよね?

新沼さん:厳しいですね。移設した本部で固定電話があっても使えないという状況。衛星電話はあったのですが、震災当時ちょっと役に立たなくて。

――それは故障していて使えなかったのですか?

新沼さん:使い方を知らなかったんですね。アンテナから線を引き込んで普段屋内で使えるようになっていたので、衛星電話って中でも使えるんだなってみんな思っていたのです。停電でアンテナが使えなくなると、衛星電話は外に持って行かないとつながらないんだなっていう発想がなかったですね。震災後しばらくしてから聞いて、あ、そういうことだったのかと。後の祭ですけど。

使い方が分かってからは商品の発注とかに使いましたね。パソコンとかネットとか全部使えなかったので、衛星電話でうちの配送センターに電話して、味噌持って来いだのしょう油持って来いだの、何が足りないから何持って来いだのというのをやっていました。

――避難所に入られた方っていうのはだいたい救援物資が優先的に届いたと思うのですが、被災はしてないけど食料とか困った人はいっぱいいたと思います。そういう方たちはマイヤさんに行かれたということですよね。

新沼さん:物資が潤沢に来るところと来ないところの温度差はありましたが、避難所は確かに物資は来るんです。被災してない一般家庭のところは買い物しないと物資が手に入らないという状況は続いていましたね。

――売るものを運んで来てもらうのが必要だったと思うのですが、いつぐらいからそういう入荷ができるようになったのですか?

佐々木さん:配送センターが内陸にありましたので、そちらからの入荷はすぐ次の日から。

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営業サポート部総務課の佐々木拓也さん。震災時は5階建ての本店屋上に避難して津波の直撃から難を逃れた。

新沼さん:おかげさまでいろんな加盟しているところがありまして、CGCというスーパーの団体があるのですが、あとは東北の4社で震災前から共同の仕入れ会社作っていましたので、そういったようなメンバー社から「これは大事だ。連絡も何も取れないけど何か送った方がいいだろう」と、まず物資を先に送って寄こしてくれたので。こちらから内容を指定できないながらも、そういったものは届いていました。

――それはすごいですね。インター店はしばらく混雑すごかったですね。震災後の新規店舗は?

新沼さん:新規が4、再開が1、全部で5店舗ですね。

――結構急ピッチでやられていたようでしたね。

新沼さん:毎日の生活に必要なものを販売しているので、地域のお客様から早く復活してほしいという要望がありますので、そこはまずスピード第一で進めて参りました。行政の方にもだいぶ協力いただいて、通常だと申請して認可があるまで8ヶ月とかかかるようなのも圧縮していただきました。

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復興建設したマイヤ大船渡店。建設を急ぎ、2011年12月27日という年末ギリギリに突貫工事でオープンさせた店舗(赤崎店)もある。

――電気も来てない状態で営業されていましたよね。帳簿の管理、お金の出入りの会社としてやらなければいけない作業があると思うのですが、その辺はどう工夫されていたのでしょうか?

新沼さん:それはですね、かなり無茶苦茶だったなぁ。

佐々木さん:そうですね。インター店に金庫があるのでそこにとにかく今日売れたものなどのお金をただ入れて。最初のうちは預ける銀行さんもなかったので、何日か経ってから一番近くて内陸の世田米や遠野にお金預けに行きました。最初はもうレジも何もないので、ほんとに1個いくら、単純にそれで計算していましたね。帳簿の方は後回しになりました。

新沼さん:通常の事務作業はほぼ普通どおりできないという状況でしたので。まずはお客様への販売を優先して、あとから数えてみたらいろんなものが合わない等なっていて、今更もうどうしようもないということでこれで処理してしまえみたいな。

佐々木さん:電子的なものが全部手作業になったという形ですね。通信関係が全部ダメになったので、振り込みだったりもデータでやり取りしていたものが全部できなかったので手で振り込み作業したりとか、計算機を叩くだとかそういうふうな状況でしたね。

現金収入4割減、切迫した雇用問題

――マイヤさんの従業員の規模数はどのぐらいなのでしょうか。

新沼さん:パート・アルバイト含めて1,200名程度です。正社員は220名ぐらいですね。

――当時従業員のパート・アルバイト約300人が一時解雇で正社員50人が休業になったということなのですが、一時解雇の方はやはり失業手当てで食いつないでもらった方がよかったという?

新沼さん:ええ、おっしゃるとおりですね。パートの方って手取りで言うと10万もらえるかどうかということで、パートの方を休業扱いにしてしまうと会社で出してもせいぜい6割ぐらいしかならない。であれば本人たちには申し訳ないですけど、一時解雇にした方が1週間後にはもう失業手当てが出ますので。

――早いですね。

新沼さん:会社都合なので。本人たちにすれば失業手当てで8割ぐらいもらった方がいいだろうという判断ですね。被災した6店舗の従業員にそういう形で。継続できれば一番よかったのですが、どうしても抱えきれなかったですね。6店舗というとうちの全体の売上の4割を占めます。現金商売でその収入がなくなった訳ですから、それで商品の在庫もなくなったので抱えきれなかったですね。

4月に解雇して、7月ぐらいから少しずつ通える人は通わせていたのです。おかげさまで残った店舗の業績がよかったというかお客様が殺到してしまって、そこの従業員だけではカバーできない状況になっていたので。

ただ車流された人とかもいて、通えないという方も結構いました。あとは家族が行方不明ということで、仕事よりもやはり捜索を優先したいという方もいました。そういうのは従業員の個人個人とお話しながら進めさせてもらったという経緯がありますね。

――正社員の休業の方ですとどうなるのでしょうか?

新沼さん:手当は会社が6割負担ですね。現金収入が減っているので休業でやると会社的にはきつくなります。ただやはり正社員を解雇するというところまではちょっとなかなか難しいだろうということで、そこはもう本当に会社が倒産したときの最終手段だと、手当出せるうちはまず解雇しないとしました。

パートさんについては申し訳ないけどもってことで。その代わり復活したらすぐ呼び戻すからということで説明しました。当初予定よりも早く全員復帰させることはできましたので、そこはまずホッとしていましたね。

――再雇用が進んでいるというのはニュースで見ましたが、ほぼ全員再雇用可能だったのですか?

新沼さん:ええ。戻ってきてほしいって全員に声掛けたのですが、いろんな事情があって戻れない方も何人かいらっしゃいました。声掛けて返事もらった方は全員すぐ復帰してもらいました。半年ぐらいでほとんどみんな戻りましたね。

一時解雇・休業とした当時はやはり全然先が見えない状況でしたので、みな不安だったと思います。休業って言ってもいつ復帰できるのか、どうせクビでしょ?ということで言われたりもしました。残った店舗の業績がよかったので、随時戻すことができて半年かけずにほとんどの人に戻ってきてもらって、よかったなとは思っていますけど。

サーバーも書類も流される、震災で飛んだノウハウ

――ちなみにマイヤさんの方ではスケジュール管理とか掲示板とかはどういった運用をされているのでしょうか?

新沼さん:グループウェアが震災前からずっとありまして。

――その辺は電子的にみんな共有して。震災でシステム関係はやられたりはしなかったのですか?

新沼さん:しました。サーバーがあった本部社屋が全壊しましたので見事に全部やられました。管理系データだけが本店の5階にあったので水被らなくてそれだけ生きていました。販売系のデータは全部飛びました。今は内陸の北上のシステム会社さんにサーバー置かせてもらって管理してもらっているという状況です。

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震災翌日のマイヤ本店周辺。左上の水色の看板の建物が5階建ての本店(本部社屋は別の場所)。現在は取り壊されて更地になっている。昭和54年に開店した歴史のあるビルであった。

――データがなくなったことに対して、どういう対応をされたのですか?

新沼さん:一番はうちのバイヤーとかが大変だったと思います。通常ですと棚割りって言って、右から何番目がどの商品で次がどの商品でと決まっているんです。そういうデータが全部飛びました。そうすると、新しい店舗をじゃあ復興して建てるよっていったときに以前のデータが見られない、新しく組み直さなければならない、というのでバイヤーたちはすごく大変だったのだと思います。

去年の傾向としてこの時期だとこれが売れていたとか、この地域はこういうのが売れるから今年はこういうのやりましょ、この時期にこういうのやりましょ、というデータも全部なくなったので。みんなの記憶の中にしかない。確か去年これ売れたんでなかったかなぁみたいな。ノウハウが消えてしまいました。

――それは痛いですね。

新沼さん:書類であったのも全部流されたので、今は手探り状態でみんなやってます。売りながらまたノウハウを蓄積して、という状況ですね。忙しすぎて計画も立てられなかったので、行き当たりばったりのような形にはなってしまいました。

――今はその辺は組み上がってる状態ですか?

新沼さん:今はそうですね、ようやくちゃんとした計画を作り始めたところですかね。今までは店舗の復興を第一優先で進めて参りましたので、どうしても競争力が弱くなってしまって。

例えば他のスーパーさんだと1週間前から春の商品が出ていましたよと。それはこの何日にどういう春の商品投入しますよという計画をちゃんと立てているのでよそ早いのですけど、うちは店舗の復興が優先だったのでそっちの計画がないがしろになっていました。

よそのお店でもう春物並んでるのにうちの店舗ではまだ冬物が並んでるというような状況が続いていたので、これだと競争に負けてしまう。 よそに負けないようにちゃんと販売の計画立てて、きちんと綿密な計画で動いていきましょうと今しています。

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マイヤ大船渡店の店内。陳列の仕方にも苦労工夫があるのだ。

電子化の困難、アナログ世代の強さ

――スケジュールや掲示板はグループウェアがあるとのことでしたが、例えばこれは電子化したいというのはありますか?

新沼さん:社内の書類でも社外の書類でもいっぱいありますけども、それをどう運用した方がいいか頭痛いですね。やはり基本的に現場第一優先なので、現場の人たちの意見を聞くと圧倒的に紙の方がいい、電話やFAXでいいとほとんど言われるので、そこがどうしたらいいかなっていうのが悩みですね。技術的に変えることは全然問題ないのですけど、アナログ的なことがいっぱいあるんですよ。

でも逆に言うとですね、ああいう大きな震災でライフライン全部なくなったときはアナログ人間の方が強いです、完全に。電子的なのはまったく無意味でしたから。そういうときはやはりアナログな人の方が力を発揮しますね。

――アナログな仕事力。具体的な一例とかありますか?

新沼さん:例えば、売上とか全部パソコンの中で見られるじゃないですか。これを何円で売っていくらまで値引きすれば、最終的にはこの部門でこのぐらい利益残るからとパソコン使いながら予想立てます。

昔の人たちはカンでやりましたから。今の時期はこれが売れるはずだとか、当てずっぽうで何個分持って来いとか、今どの辺でその商品取れるはずだとかカンで分かるんです。そういうのでガンガン引っ張ってきます。売れと。やると意外と当たると(笑) 今の若い人たちにパソコンなしでそれ出来るか?というとうーん難しいなと。

――今後の御社の展望や取り組みを伺えますか?

新沼さん:被災した店舗の分の新規出店は大船渡店で一旦終了となります。沿岸部は少子高齢化で急速に人口減少が続いてるので、内陸に重点を置き岩手県全域をカバーできる感じでやっていきたいというのがまず目標としてあります。

盛岡に3店舗あるのですが、全国スーパーとの競争が激しく赤字なんです。そこで勝っていかないと今後生き残れないなとは思っていますので、盛岡で磨いてですね、そのノウハウを沿岸の方にもフィードバックしていけたらなと思っています。

――今日はありがとうございました。

(サイボウズ式 2013年11月22日の掲載記事「被災地の食を支えた地方スーパー「マイヤ」、雇用問題、ノウハウの消失、立ちはだかった数々の困難」より転載しました)