サイボウズ式:「的はずれなキャリアプラン」を立てないためには、何が必要か?

自分が10年後の未来を描こうとも、会社にとっては必ずしもそれを叶えてあげられる状況にあるとはかぎりません。

サイボウズ式編集部より:著名ブロガーによるチームワークや働き方に関するコラム「ブロガーズ・コラム」。桐谷ヨウさんのコラムです。

就職活動の面接の定番に「10年後どうなっていたいか?」という質問があります。また、会社のキャリア面談にて「どんなキャリアパスを積んで5年後を迎えたいか?」と聞かれることは多いでしょう。

僕個人は「それっぽいこと」を語って済ませてきましたが、本音ベースで言えば分かるはずがないという思いがありました。

たしかに成長という言葉を使わなくとも、中長期的な目標を設定することは重要です。目的地が明確だからこそ時間を無駄にしないし、余計な回り道をしないで最短で目標を達成することができるからです。

とはいえ、「10年後の未来」なんて不透明すぎます。現実問題として会社がなくなっているかもしれないし、自分の興味が変わっている可能性だってあります。

そこで今日は「近視眼と長期的な目線を往復すること」のススメを書いていこうと思います。

会社の事情でキャリアパスを変えざるを得なかった僕。

僕個人の経験談をお話します。自分が国内大手メーカー企業に勤めていた頃のことです。大手企業というのは概して個人の成長に関して悠長なところがあり、それゆえにキャリア面談では「現在の所属」で「5~10年後のキャリアパス」を話し合うものでした。

当時、自分は所属していた組織でやれることに満足していて、このまま自身の成長をここで積み重ねていきたいと考えていました。直属の上司も「(ここにおいては)理想的なキャリアパスを積めているので、このまま進んでいこう」という状態でした。

が、会社全体の方針が変わり、「力を入れる部署」ができました。そこに問答無用で転属することが決定してしまったのです。僕個人としては所属している部署でこのまま経験を積んでいきたい。が、会社の指示は絶対です。

いわば会社の意向により、希望のキャリアパス(おまけに直属の上司とは合意が取れていたものが!)をねじ曲げられることとなったのです。

会社に所属しているかぎりは、会社の都合に合わせるのが当たり前。

この件に関して、恨みがましい気持ちはまったくなく、「会社員は会社の都合に合わせざるをえない」という当たり前の事実を体感しただけと言えます。

そう、自分が10年後の未来を描こうとも、会社にとっては必ずしもそれを叶えてあげられる状況にあるとはかぎりません。

業界の動向によっては方針は変わっていくでしょうし、あるスキルセットを持った人材の必要性の絶対数だって変わってきます。組織に属しているかぎり、その影響を受けざるを得ません。

われわれ個人が生き物であるのと同様、その環境になっている会社だって生き物です。健全な会社ほど淘汰されないように変化していっています。そのなかで「10年後」というのがどれだけ悠長なタイムスパンかは言うまでもないでしょう。

いまの自分に見えている10年後なんて信用できない。

別の側面からお話します。身もふたもないことを言ってしまうと、いまの自分に見えている10年後なんて信用ができないものです。

仕事ひとつを取っても、着手して初めて見えてくるものがものすごく多いものです。目標からトップダウンして着手できるのが理想ですが、多くの場合はミクロなものをボトムアップで「やりながら把握」していかないと「緻密な全体像」を構築することは難しいです。就職活動のときに想像(妄想)していた会社の仕事と、いまの仕事の実態に乖離(かいり)を感じる人は多いのではないでしょうか?

別の言い方をすると、未経験のときに想像している「未来」なんて的外れである可能性が非常に高いです。

それでは未来に向かってできることとは何でしょうか?

自分が出会っている人・出来事の意味に向き合ってみる。

自分の10年後の未来を明確にセットすることは難しいです。だけど、日々のなかで出会っているものへのセンサーを鋭敏にしていくことは誰にでも可能です。

僕は「この人(出来事)に出会った意味は何なんだろう?」ということをよく考えます。対象に対して良しあしを判断してしまいがちですが、それをなるべく排除してみると意外に見えることが多いです。

たとえば昔、かなりやりづらい客先の方がいました。端的に言うとムカつく人でした(笑)。彼を攻略していた先輩に、僕も彼を攻略することを期待されていたのですが、たびたびキレそうになるのを堪えていたものです。

が、よくよく考えてみると彼が認めない人間というのは「仕事の意識が低い人」だったのです。そのことに気づいてからは、自分の仕事のスタンスを見直すことになりました。実際に自分の意識が低かったのです。プロとして最低限の知識、非常時における誠実で迅速な対応、過剰なまでのサービス性。それらが欠けていました。

別の例を挙げると、仕事を楽しいと思えなかったときに出会った先輩がいます。当時、よく就業時間後の飲みを誘われては「めんどくせえな」と思っていたのですが、彼と時間を積み重ねるうちにシンプルな事実に気づかせてもらいました。

プライベートではオープンな気質の自分が職場においては人間関係を深める気持ちを排除していて、「一緒に気持ちよく仕事をしよう」という思いを持っていなかったのです。だから仕事が楽しくなかった。

そう、彼は職場の後輩がどんな人間性を持っているのか、個性を持っているかを把握するのは就業時間で見える範囲では不十分だと認識して、就業時間外に積極的に知ろうとしてくれていたのです。それを踏まえた上で、個々に合わせた接し方で人材を伸ばしていこうとする思いを持った人だったのです。

それは「仕事は人と一緒にするものである」「どうせなら楽しく仕事をしよう」という彼の信念に裏打ちされた行動でした。自分が心を閉ざしていた(がゆえに仕事で人間関係の妙を感じられなかった)ことを突きつけられたのでした。

もしこれらとの出会いを、新人時代に自分の妄想だけで設定した「10年後の未来」のためにすべて切り捨てていたとしたら? おそらくいまの自分は存在していないと思うし、かなり独りよがりなキャリアを積んでしまっていたと思います。

先述したキャリアパスを強制的に変えられた件も、海外案件が増えたので捉えようによっては自分にとっては良い成長の材料になったものでした。

近視眼と長期的な目線を往復していけ!

まとめていきたいと思います。中長期的な目標設定自体は悪いことではありません。ですが、往々にしてミクロな経験を欠いたそれは的はずれなことが多いです。

そこで必要なのは「いま置かれた環境」でできる目の前のことに全力で取り組んでいき、理想と現実のギャップを知っていくこと。具体的に見えるようになってきた展望をもとに中長期的な目標設定を改良していくこと。

そして出会っている物事や人から与えられる気づきに敏感になること。自分の描いている未来の直接の参考になるかもしれないですし、そうでなくてもいまの自分に見えていないヒントを与えてくれる可能性は非常に高いです。

つまりは「将来の自分像」と「目の前の人・出来事」を往復することで、その精度を高めていく必要があるということです。

さて、自分の未来を考える上では、ブロガーズ・コラムで日野瑛太郎さんが書いていた2年という期間の積み重ねをしていくという考え方に全面的に同意になります。漠然と10年ではなく、2年×5回と考えるべきでしょう。

同時に僕が思うのは、取り組んだことの結果が出るのは個人差はあれど、それなりの時差があるということです。資格試験程度であればそれほどではないでしょうが、特定の分野で秀でるには数年、圧倒的な結果を出すには5年はかかるような気がします。

中長期的な未来の設定自体にあまり意味はないとは思いますが、同時に、なりたい自分になるためにはあせらずに実行した積み重ねの結果が現実にフィードバックされるまで「淡々と取り組み、悠然と待つ」ということが大事なのではないでしょうか。

イラスト:マツナガエイコ

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本記事は、2016年11月17日のサイボウズ式掲載記事「的はずれなキャリアプラン」を立てないためには、何が必要か?より転載しました。

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