サイボウズ式:「私はフランス人にはなれない」落ちこぼれの日本人が、本場フランスで一流になれた理由──世界トップ50レストランの副料理長に。神崎 千帆シェフ

日本人料理人がフランスで求められるために必要なこと
神崎千帆さん
「女性の活躍」が叫ばれる時代。グローバルで見てもいまだなお、「男性社会」の一端が残るなか、女性であることを生かしながら、私たち女性は今どう生き、働くべきなのか。

パリのレストラン「Virtus」でシェフ(料理長)を務める神崎千帆さん。二十歳のときに渡仏し2年間修行したものの、もっと腕を磨かないとフランスで料理人として成功できない――そう考えて、1度日本に戻ってきたこともありました。フランスとイタリアの国境の街にある二つ星レストラン「Mirazur(ミラズール)」では、スーシェフ(副料理長)としても活躍。ちなみに、Mirazurは2017年に世界のベストレストラン50で、第4位にランクインした名店です。

ここまで聞くと、順風満帆に階段を上がっていった人のように見えます。でも、実際のところは――。「下積み時代が長かった」と振り返る神崎さんは、フランスという異国の地で奮闘しながら、「日本人」であり「女性」であるという事実を少しずつ、強みや武器に変え、道を切り拓いてきました。

日本人料理人がフランスで求められるために必要なこと

永井:20歳から2年間の研修を終えて、1度日本に戻られていますよね。研修で印象的だったことはありますか?

神崎:18歳のときですが、初めて働いたレストランでは同期の男の子は比較的に早く調理場に入れるのに、女の子だけ全員1年サービスをしてからでないと調理場に入れないという決まりがありました。

永井:そんな......!私だったら「なんで?」とモヤモヤすると思います。

神崎:まぁ、私も当時は「なんで?」って思いましたよ。でも、今になって思うと、あのとき1年サービスを担当して本当に良かったです。

永井:どうしてですか?

神崎:Virtusを2016年に開店してから4カ月くらい、私ひとりで前菜とサービスを両方担当していた時期があるんですよ。

あの1年の経験がなければ、そのふたつを自分だけでこなすのは絶対に無理だったと思うので(笑)。

神崎 千帆(かんざき・ちほ)さん。パリ12区のレストラン「Virtus」のシェフ(料理長)。調理師学校卒業後、20歳で渡仏。 一つ星、二つ星、三つ星レストランでの研修後、フランス・マントンの二つ星レストラン「Mirazur」でのスーシェフ(副料理長)を経て現在に至る。2017年8月には世界中の有名シェフが参加する国際的な料理イベント「Gelinaz」に日本人として唯一参加するなど、その活躍を世界に広げている
神崎 千帆(かんざき・ちほ)さん。パリ12区のレストラン「Virtus」のシェフ(料理長)。調理師学校卒業後、20歳で渡仏。 一つ星、二つ星、三つ星レストランでの研修後、フランス・マントンの二つ星レストラン「Mirazur」でのスーシェフ(副料理長)を経て現在に至る。2017年8月には世界中の有名シェフが参加する国際的な料理イベント「Gelinaz」に日本人として唯一参加するなど、その活躍を世界に広げている
神崎千帆さん

永井:昔やってきたことが、生かされる場面が出てくるんですね。日本に戻ろうと決めたのは、何がきっかけだったんですか?

神崎:ひとつは言葉の壁です。フランス語が完ぺきに話せるわけではなかったので。ふたつめは自分の技術に課題を感じたことです。

永井:どういう瞬間にそう感じたんですか?

神崎:まず、現地で出会った日本人の方々が皆、高い技術をもつ料理人ばかりだったんです。

研修中に一つ星、二つ星、三つ星のレストランを4軒経験するなかで、魚をさばく技術のような、包丁を使うテクニックは日本人のほうがフランス人より優れていた。彼らの技術力の高さを目の当たりにして、「わたしはこの人たちに絶対に勝てない」と気づきました。

永井:あたりまえかもしれませんが、やっぱりプラスαを持っている日本人でないと、フランスで活躍できない、ということなんですね。

神崎:フランスの料理人たちは、日本人の料理人のなかでも、ものすごく仕事ができる人たちを間近で見ています。だから、日本人=素晴らしい技術を持っている、というイメージがあるようで。

日本人として、そして女性として、技術があって初めて、フランスで活躍するためのスタートラインに立てるんだな、と思いました。

「Virtus」でともにシェフを務めるアルゼンチン、イタリア出身のマルセロ・ディ・ジャコモさんと
「Virtus」でともにシェフを務めるアルゼンチン、イタリア出身のマルセロ・ディ・ジャコモさんと
神崎千帆さん、マルセロ・ディ・ジャコモさん

担当となった仕事を常に120%こなしてアピールポイントにした

永井:神崎さんが27歳のときに、二つ星レストラン「Mirazur」で働き始められたんですね。最初の頃は、どんな仕事をしていたんでしょうか?

神崎:お菓子のパティシエからのスタートでした。お店の庭や裏山で30、40種類ほどある野草の場所と名前を覚えなければ、この店ではとうてい仕事にならないと初日に気づいて。

庭でハーブの写真を撮ったり、スーシェフやシェフに直接質問したりしましたね。

永井:そんなにたくさん種類があるんですか?

神崎:はい。野草は生えている場所がすべて違うので、その場所を覚えないと探すのにとても時間がかかります。

Mirazurではハーブって料理の完成度を決める重要な要素なんです。

永井:とても大切なんですね。

神崎:それぞれの野草に、酸味、ヘーゼルナッツの香り、食感がおもしろかったり、磯の香りがしたり、とても特徴のある香りや味だったりと、たった2、3枚のハーブがないだけで味が決まらないことも多々あります。それくらい、重要です。

お肉やお魚の担当がどれだけ上手に火入れしようと、シェフが盛りつけをしている最後のタイミングに、必要なハーブが準備できていないと、仕事は止まってしまいますし、シェフは「どこにあるんだ!」「探してこい!」と怒鳴り散らすわけです。

ボラのカルパッチョ、フランボワーズとコリアンダー
ボラのカルパッチョ、フランボワーズとコリアンダー
ボラのカルパッチョ、フランボワーズとコリアンダー

永井:そういう状況はけっこう日常的にあったんでしょうか?

神崎:はい、残念ながら......。シェフが朝から晩まで怒鳴っているのを見て、可哀想だといった気持ちが生まれました。

永井:可哀想?

神崎:全員がハーブのことを覚えて、理解しておけば、チームとしてもっとうまくいくのにな、と残念に感じました。

ハーブを熱心に学ぶわたしは珍しい存在だったようで、完ぺきに揃えて、生きたきれいな状態で準備しておくと、シェフがすごく喜んでくれて。

永井:ほかのスタッフや研修生たちは、そんなに重要な仕事じゃない、ととらえていたんでしょうか?

神崎:「面倒くさい」とか「なんでこんなことしなきゃいけないの」と思ってしまう人が大半で。

マスターするまで、下手すると半年、1年くらいハーブの担当になります。そこをクリアしないと次へいけないんです。

永井:雑用とか瑣末な仕事だとか思うのは間違いですね。

神崎:せっかく任せられているんだから、しっかり知識を得ておけば、別の店に行ったときにも、「おっ、デキるヤツだな」と評価されるのに......と思いますけどね。アピールポイントになりますから。

昇進の誘いを断る勇気

永井:神崎さんのそういう向上心あふれる姿勢は、Mirazurでも高く評価されていたんじゃないでしょうか?

神崎:ありがたいことに、2年目くらいにシェフから、「スーシェフにならないか」と声をかけてもらったんですが、それはまだ......とお断りしました。

その後も毎年のように言っていただくものの、「お肉の部門シェフを2年やりたい」「お魚の部門シェフをもう1年やりたい」など、希望を伝えました。

神崎千帆さん

永井:どうしてですか?トップの人から目をかけられて、上のポジションにいける、うれしいチャンスだと思うんですが。

神崎:ポジションが早く上がっていっても、結局与えられたポストと実力がついていかずほかのスタッフに陰口を叩かれている......そんな人が多かったんですよね。わたしはそうはなりたくなかった。

全部の部門を経験することでようやく、シェフの料理を理解できるし、周りに伝えられるようになる。そこまでできて初めて、スーシェフとして、チームをうまくまとめられるようになる。そう考えていたので、スーシェフになるまで4年かかりました。

永井:評価されて、昇進のチャンスを目の前にして、あえて断る、耐えるというのは、誰にでもできることではないと思います。

神崎:私、コンプレックスの塊だったんですよ。自分が仕事ができない、いわゆる落ちこぼれで、それが悔しくてたまらなくて、しょっちゅう泣いてました

シェフに怒られたから泣くというより、何かの失敗を機に悔しくなって、泣いちゃう。「こんなとき、男性だったら泣かないのにな」と、いつも思ってました。

永井:私も若手の頃、よく泣いていました。同じく、上司に怒られたからというよりも、できない自分に悔しさを感じると、涙が出てくるんです。

そういうときに泣いてしまうのは、女性ならではなのかもしれませんね。

パリ在住のサイボウズ式編集部 永井。神崎シェフの料理のファンで、今回取材をオファーした
パリ在住のサイボウズ式編集部 永井。神崎シェフの料理のファンで、今回取材をオファーした
神崎千帆さん、永井友里奈さん

神崎:できない自分が悔しいから、とくにMirazur時代は周りの男性に負けたくない、という気持ち以上に、いかにこの店で技術を習得できるか、できるだけ多くの経験を積めるか、という思いが強かったです。

それもあって、フランスでは一般的に18、20歳で部門シェフになりますが、わたしは28歳で初めて部門シェフになったんですよ。

永井:周りとの年齢差を比べて、不安になりませんでしたか?

神崎:年齢はまったく気になりませんでした。それよりも自分の経験や技術は、周りと比べて劣っていないか、ずっと不安でした。

だから、お肉の部門シェフをしていたときは、朝から晩までずっとお肉のことを考えていたくらいです。ミスしたら自分はポストを外されてしまうんじゃないか......とひやひやして。実際、そんなことはないんですけどね(笑)。

ただ、どうすれば最高の状態で料理を提供できるか、とは常に考え続けていました。

シェフに喜んでもらいたくて――日本人・女性ならではの細やかさが生きた

神崎千帆さん

永井:そうやってMirazurで着々と経験を積んでいくなかで、自分が日本人で良かったと感じることはありましたか?

神崎:見せてもらったものを同じように作るということがうまいこと、でしょうか。じっくり観察して学ぶ、というのが前提ですが。

例えば、シェフが技術を見せてくれたり、何か説明してくれたりするときは、すかさず絵や文章で記録するようにしていました。

シェフが「こうするんだよ」と示してくれる機会は1度きり。最初で最後のチャンスだと思っているので。

永井:店に入った当初から、そういう習慣が身についていたんですか?

神崎:恥ずかしながら、若い頃はしていませんでした。自分が部門シェフなど、ある程度責任のあるポジションについてから、実践するようになったことですね。1度ですべて学びきろう、と心がけるようになりました。

ここ(Virtus)の何十倍もの広さの店でしたが、1度教えてもらったら、何がどこに置いてあるのかも、覚えきるようにしていました。例えば、シェフに「◯◯どこにある?」と聞かれたら、「◯◯は△△にあります」と即答できるように。

永井:ほかのスタッフはどうでしたか?

神崎:目的のものがどこにあるか完ぺきには覚えていなくて、時間をロスする人は多かったと思います。

永井:ほかにはどんなことを気をつけていたのですか?

神崎:シェフが盛りつけを始めようとするときに、何も言われなくても横にぽんぽんと付け合せや使う道具を置いていく。シェフの様子を見て、喉が乾いていそうだなと感じたら、さっとお水を手渡す。

そういうことに気づいて行動できるのも、自分が日本人であり、さらには女性だから、というのが大きいのかなと思います。

永井:女性ならではの細やかさですね。シェフに尽くしたい、という気持ちもあるんでしょうか?

神崎:それはあります。やっぱり喜ばれたい。シェフのアシスタントとして、相手のタイミングに合わせて、リズムよく使う物を出していき、一緒にいい仕事ができる――それが自分にとっても喜びになります。

今後、女性のスーシェフは増えていくと思いますよ。

永井:相手の次の行動を先回りして予測して行動する......そういうアシスタント力はいろいろな場で生きる、重要な力ですよね。

神崎:もうひとつ、顧客リストを作って管理していたのも、日本人であり女性であるということと大きく関係していたと思います。

日本で働いていた時のシェフは、同じお客様に対して二度と同じ料理を出さない主義を貫いていました。ただ、リストは作らず、予約帳に全部記録していたんです。

永井:それは素晴らしいですね。

神崎:シェフの背中を見ていて、いつか自分がシェフになったら、顧客リストを作ろうと決めました。

そこで、スーシェフになったときに、自ら提案して作ったんです。みんなにはやり過ぎだと嫌がられたりしましたが(笑)

シェフが不在のときに、何度か来てくださっているお客様の来店履歴や料理の履歴をスーシェフが把握できていないと、お客様に失礼な対応をしてしまう可能性がありますよね。

永井:たしかに。

神崎:だから、提供した全メニューを記録し、2回目の来店からはお客様のお名前でリストを作って、「◯年前に△△を召し上がりましたよね」と思い出を共有したり、「豚が好きだ」と言われたらメモしておいて、次回の来店時に豚を使った料理を提供したり。

そんなことを何年も続けていたら、お客様ご自身が予習してこられるようにもなって。

永井:お客様が予習して店にいく、って初めて聞きました。

神崎:「あのときは◯◯を食べた。それなら今回、千帆はどうしてくるかな」みたいな(笑)。

信用を積み重ね続けたいから、誰に対しても正直に、誠実に

Virtusの店内。建築家のオーナーのコレクションであるアンティークのランプや花瓶が並ぶ明るい雰囲気
Virtusの店内。建築家のオーナーのコレクションであるアンティークのランプや花瓶が並ぶ明るい雰囲気
virtus

永井:お客様との信頼関係ができてますね。

お客様とのやりとりのなかで、とくに記憶に残っていることはありますか?

神崎:納得のいかない火入れをした料理を出してしまったことがありました。

そのときは、お客様のお言葉を書き留めておき、駐車場まで謝りにいきました。火を入れたのは別のスタッフでしたが、スーシェフだった自分が責任者なので。

永井:駐車場まで謝りにいくなんて初めて聞きました。

神崎:シェフがいないときでした。でも、シェフの店でお客様にネガティブな思い出を作ってもらいたくなくて。

だからお客様には謝り、シェフにもすべて報告しました。

永井:ネガティブなことも一切包み隠さずに。

神崎:はい。◯月◯日にいらっしゃったお客様に提供した料理でこんなミスをして、お客様からはこんなことを言われた......と状況を詳しく伝えます。全員がそろうミーティングで全員に共有するんです。

そのときはシェフも嫌な気持ちになるでしょうが、二度と同じ失敗をしないように、その場で技術を教えてもらったり、指導してもらったりすることで、次回お客様が来てくださったときには、よりよい料理を提供できると思うんです。

私たちが正直、誠実でいることで、結果的にお客様に誠意が伝わるのかなと。

永井:弱い部分を素直に見せられる......そういう人って強い。わたしはそう思います。

神崎:うーん、ただ本当に、隠したくなかっただけです。

「千帆、あんなこと隠してたんだよ」って、後からバレるとカッコ悪くないですか(笑)。

永井:そこは共感します(笑)。

神崎:自分が今までがんばって積み上げてきた信用は、1度きりの嘘で簡単に崩れます。

それなら正直に報告して、怒られるほうがはるかにいいかなと。

永井:人として信頼できるって、やっぱり大切ですよね。

「女性であること」を強みにするのは難しくない

「Virtus」でソムリエとして活躍するアルゼンチン人のパズ (Paz Levinson)さん。世界ソムリエコンクール 4位、南アメリカでは1位の実力を持つ
「Virtus」でソムリエとして活躍するアルゼンチン人のパズ (Paz Levinson)さん。世界ソムリエコンクール 4位、南アメリカでは1位の実力を持つ
神崎千帆さん、パズさん

永井:今、女性シェフとして活躍していて、ご自身が女性であることをメリットだと感じたことはありますか?

神崎:女性はお客様から覚えてもらいやすい。それはメリットだと思います。私の場合、女性だというだけでなく、日本人という特徴もついてくる。

Mirazur時代も、スーシェフが女性で日本人だというだけで、それを目当てに来店してくださるお客様もいました。今は女性の活躍が世界的に叫ばれているので、その波にのらないともったいない。

例えば、世界から一流シェフを数人集めようとすると、男性だとすでに知名度の高いシェフが多いので、選ばれるとしても1/10000(人)くらいの確率だと思うんです。

永井:それが女性だとどれくらいでしょう?

神崎:1/100(人)くらいだと思います。チャンスが巡ってくる可能性が男性よりもはるかに高い。そういう点では女性である、というのはとてもラッキーなこと。

たとえ私のように昔仕事ができなくて、下積み時代が長くても、地道にやっていれば、必ず報われるときがくると思うんです。だから腐っちゃいけないなと。

永井:神崎さんのお話を聞いていると、「地道のレベルが違う」と感じます。シェフや上の人のことを思い、工夫し続けられる人って、なかなかいないと思うんです。

神崎:気の使いよう、なのかなと。後進にアドバイスする場合、本当は「女性だから」という言葉をつけたくないですが、それでも「女性だから」となってしまうんです。

過去にわたしがコツコツやってきたことって、高度なテクニックが必要なわけじゃないですよね。ただ、自分から「気がつく」ということをアピールしないと伝わらない。先回りして、シェフの横に使う素材や道具を置いていく――ただ、それだけのことですから、できるでしょうと。

男性には力では敵いませんから、ほかのことでアピールしないと。と、なるわけです。

永井:女性であるのを強みとして使おう、ということですね。

ところで、女性活躍の話に関連して伺いたいんですが、フランスでは妊婦さんも調理場で働いているんでしょうか?

神崎:わたしが部門シェフをしていたとき、ある二つ星レストランで、お腹の大きいスーシェフが働いていたのを見たことがあります。純粋に、「すごいな」と心から感動しました。

もし自分がスーシェフになったら、こんなに大きなお腹で、チームをまとめられるだろうか、と考えました。

永井:現在はスーシェフを超えて、シェフとして活躍されています。どんな気持ちで仕事と向き合っている感覚があるか、今後どんな仕事をしていきたいか、最後に教えていただけますか。

神崎:若い頃は自分と周りとを比べて、「あの人はすごく仕事できる」「自分は遅れをとっているんじゃないか」みたいに焦っていました。

でも、ある程度歳を重ねるうちに、比較するのをやめました。今は、そのときどきの自分ができること、今の神崎千帆だからできることをしたい。心からそう思っています。

永井:ありがとうございました。

文・ 池田園子/撮影・井田純代/企画編集・永井友里奈

」は、サイボウズ株式会社が運営する「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイトです。 本記事は、2017年9月14日のサイボウズ式掲載記事
より転載しました。

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