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サイボウズ式:「本当はできるんだから、本気を出せ」は、むしろ本人のやる気をなくさせる──『嫌われる勇気』岸見一郎×サイボウズ 青野慶久

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大ベストセラー『嫌われる勇気』著者の岸見一郎先生とサイボウズ青野社長が、アドラー心理学とサイボウズの考え方の共通点について語り合う対談の第2回。

第1回では青野社長の著書『チームのことだけ、考えた。』に書かれている内容を引き合いに出しつつ、引きこもっている人でさえも皆、「目的に沿って生きている」ことや「子どもが勉強しない」という課題への親と子での課題の切り分け方などを中心に語り合いました。

この第2回では話はいよいよ、『嫌われる勇気』に書かれていることの中でも難易度が高いとされる「共同体感覚」へ。 サイボウズが掲げる「チームワーク」との共通項は、どこにあるのでしょうか?

さらに、「『世界一を目指す』は、実は危険な言葉ではないか?」という青野社長の悩みに、岸見先生はどのように回答するのか? 自身の所属する組織やチームに思いを巡らせながら、読み進めていきましょう。

「居場所がある」と感じられるだけでは不充分。その場所を変えていく責任も生まれる


青野:先ほど、子どもが勉強しないのはあくまで「子どもの課題」であり、親と子の課題を分離し、親が一切口出ししないことが最善の対応であると、伺いました。対人関係の入口がその「課題の分離」であるとすると、出口は「共同体感覚」であると書かれています。

自己の執着ではなく他者への関心に切り替えていく。他者に貢献することで「自分の居場所がある」と感じられることが共同体感覚である。「居場所がある」という感覚は自分の手で獲得していくものなんだと。これは結構難易度が高く感じられます。

岸見:確かにこれだけでは少し難しいですね。いくつかに分けて説明しましょう。

「居場所がある」「ここにいてもいいんだ」と感じられることはすごく大事です。人間にとって一番大きな欲求は「所属感」ですから。

ただし、「所属している」と感じられるだけでは不充分です。自分がその組織なり共同体なりの一員になったら、受動的に所属するだけでなく、その組織を変えていく責任もある。 「ここは自分の思っていた組織ではない」と感じたら、自ら変えていこうとすることが求められるわけです。

青野:確かに。

岸見:また、所属感は大事ですが、「自分が共同体の中心にいるわけでない」ということも常に意識しないといけません。「自分が思っていることは全て叶う」と考えるのもまた誤りです。

甘やかされて育った子どもはそうなりがちです。無理難題を言ったら大人は言うことをきく、となると、共同体の中心にいないと気が済まなくなります。

青野:「自己に執着するのではなく、仲間と共にいる」という感覚が、共同体感覚なんですかね。

岸見:英語では共同体感覚を"social interest"と言います。自己への関心という意味の"self interest"の対義語ですね。

なぜ他者に関心を持たなくてはならないかというと、他者に関心がない人は他者と関わろうとしないからです。

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岸見一郎(きしみ・いちろう)さん。哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。世界各国でベストセラーとなり、アドラー心理学の新しい古典となった前作『嫌われる勇気』出版後は、アドラーが生前そうであったように、世界をより善いところとするため、国内外で多くの"青年"に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。訳書にアドラーの『人生の意味の心理学』『個人心理学講義』、著書に『アドラー心理学入門』など。『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』では原案を担当

青野:自分だけの世界で完結してしまう。

岸見:ええ。でも我々は、本当のところは絶えず他者に関心を持ちたいし、人間はひとりでは生きられません。

アドラーは「あらゆる悩みは対人関係から来る」と言い切っています。なぜかというと、他者と関われば少なからず摩擦が起きたり、傷つけられたりするからです。

「そんな経験をするくらいなら初めから誰とも関わりたくない」と決意する人がいてもおかしくはありません。しかし一方で、「生きる喜び」や「幸福」も、対人関係からしか得られないものなのです。

青野:そうでしょうね。

岸見:「自分は他者の役に立つ」、すなわち「他者に貢献できる」と思えた時にこそ自分に価値があると感じられます。

他者が敵であると考えていたら、その人に貢献しようなどとは思わないので、「他者は仲間だ」と信頼できなくてはなりません。

ウソをつく部下がいるのなら、上司は自分がそうさせていると思わなくてはいけない


青野:これはサイボウズ的に言うと「チームワーク」という言葉になりますね。チームの基本は「あの人を助けたい」「顧客に感動的な体験を提供したい」といった他者への関心で、そういう強い想いに人は集まってくる。

そうしてできるチームにはいろいろな個性があってもよく、チームはあらゆる個性を活かす舞台となります。多様な個性がお互いに貢献しあうからこそ楽しいし、それによって良いチームが生まれるんです。

岸見:なるほど。

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青野:ただ、そのようなチームを実現し、多様性を維持向上させていくには、2つの要素が必要だと考えます。それは「公明正大」と「自立」です。

サイボウズでは「絶対にウソはついてはならない」となっていて、ついたらみんなに吊し上げられます(笑)。自立も強制していて、サイボウズの一員なんだからお前が変えていけよ、足りないと思うなら自分で提案しろよ、と押し付けています。

押し付けられるとみんな、自立せざるを得なくなり、それをしていると居場所ができてくる。アドラー心理学の話とかなり近いと思いますね。

岸見:そうですね。「公明正大」については、問題がある組織では、上司が部下にウソをつかせている面があるのかもしれません。

「この上司には本当のことを言ってはいけない」と思ったらウソをつく。もしウソをつく部下がいるのなら、上司は自分がそうさせていると思わなくてはいけません。

青野:不祥事を起こした企業は「部下が勝手にウソをついた」と言いますが、そんなわけないですよね。

岸見:賞罰教育の弊害だと思いますね。叱られて育った人は「失敗すると怒られる」と思うから過失を隠そうとします。それが組織ぐるみになる。

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青野 慶久(あおの よしひさ)。1971年生まれ。愛媛県今治市出身。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役社長に就任(現任)。社内のワークスタイル変革を推進し離職率を6分の1に低減するとともに、3児の父として3度の育児休暇を取得。2011年から事業のクラウド化を進める。総務省ワークスタイル変革プロジェクトの外部アドバイザーやCSAJ(一般社団法人コンピュータソフトウェア協会)の副会長を務める。著書に『ちょいデキ!』(文春新書)、『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)がある

青野:組織にウソをつかせる風土があるから社員がウソをつく。個人だけの問題ではないですよね。

サイボウズには「質問責任」「説明責任」というルールもあります。社員はみんな、なにかモヤモヤしたしたことがあるなら言わなくてはいけないし、上司は「いいから自分の言うとおりにやれ」と頭ごなしに命令するのではなく、納得いくように説明しなくてはならない。

岸見:自分にしか関心のない人は自己保身に走ります。上司の顔色をうかがって、自己保身に走ることは、組織を苦境に陥れる手助けをしているともいえます。

青野:やはりアドラー心理学とサイボウズの考え方は近いところがあるなあ。無意識に影響を受けてきたのかもしれません(笑)

サイボウズ社内では「みんな」は禁句


青野:もう1つ、「みんな」という言葉の捉え方についても、アドラー心理学とサイボウズには共通点があると思いました。

『嫌われる勇気』に、「神経症的なライフスタイルを持った人は、なにかと『みんな』『いつも』『すべて』といった言葉を使います」「もしあなたがこれら一般化の言葉を口癖としているようなら、注意が必要です」と書かれていますよね。実はサイボウズの社内でも「みんな」は禁句なんです。

「みんなってホンマか? 自分が思っているだけじゃないの?」と感じる。そういう事実じゃない言葉を使って人を押さえ込もうとするのを禁じています。

岸見:「みんな」といった時点で責任が曖昧になりますよね。アドラー心理学では「共同体」という言葉を使いますが、共同体の基本は「わたしとあなた」。

目に見える共同体が本来の単位です。目に見えない共同体はやはり怖い。「みんな」と言っているけどそこに私は含まれていない、ということも起こり得ますよね。

青野:よく「経営者は『私』でなく、『私たち』で語れ」なんていわれたりもするのですが、それはちょっと危ないかもしれませんね。

「世界一を目指す」は競争の原理に立った危険な言葉?


青野:『嫌われる勇気』を読んで、私が個人的にご意見を伺いたいなと思ったことについても質問させてください。

岸見:もちろん、どうぞ。

青野:サイボウズは「世界で一番使われるグループウエアのメーカーになる」ことを目標に掲げていて、社員も共感してくれていると思っています。

ただ、アドラー心理学の観点からすると、「世界一を目指す」というのは危ない考えなのかなと感じました。ある意味、「競争」の言葉じゃないですか? サイボウズ以外のメーカーを、敵とみなしてしまうのではないかと。これを残すべきかと悩んでいるんです。

岸見:競争は、精神的な健康を損なう最大の要因です。特に企業の人は、競争は当たり前と思っているかもしれませんが、それは生産性に自分の価値を見出しているからです。

「何かを成し遂げるから自分には価値がある」と思い込まされている。それは違うのでは? と思いますね。

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青野:どういうことでしょう?

岸見:「競争に勝って何かを成し遂げなくてはならないといけない」と考える人は、絶えず競争に負けることを恐れて、戦々恐々としています。

そうなると、「勝つためなら何をしてもいい」と思う人も出てくるし、その一方で、「どうせ勝てないから」と努力しなくなる人も出てくる。

「競争」よりも「協力」の原理に立つべきです。リーダーが「世界一を目指す」という時も、それは「競争」ではなく「協力」によって目指すということが認知されていればいいのではないでしょうか。

青野:なるほど。「競争によって目指す」となると、他社の足を引っ張ってでも、となって、疲弊感が生まれるかもしれませんよね。

岸見:組織の内部でも同じことです。職場にいる人には、知識や経験などいろいろな力の差がある。そうした中で競争するのではなく、みんなが助け合うことが大事です。

学校でも、よくできる子どもが成績の上がらない子どもに教えると、よくできる子にとっても学べることは多い。競争に慣らされていると「人に教えたら損。自分だけが勝てればそれでいい」となりがちですが、「自分の知っていることを他者と共有しよう」とみんなが思えると、面白い組織になります。

青野:それが「他者への貢献」にもつながりますよね。

岸見:力のない部下がいても、極端な話、「出社してきてくれただけでよかった」と思えばいい。実際、その人に休まれたら困るわけですから。

そうなると部下は「ここにいてもいいんだ」と居場所を見つけ、「ここで役に立てるように頑張ろう」となる。そういう援助をするのが上司の役目だと思います。

青野:かなり寛容な心がないと難しいですけどね(笑)

勇気を持つためには貢献感が必要、その援助として「ありがとう」という言葉を使う


青野:もう1つ、「人を勇気づけるコツ」についても教えていただきたいんです。『嫌われる勇気』では、「勇気」がキーワードとして使われますが、どういう語感で理解すればいいでしょう?

岸見:「勇気づけ」については誤解されることもあるかと思いますが、上司と部下の関係でいうと、決して「上司が部下に対して勇気を与える」わけではないのです。

部下が自分には避けて通れない課題に直面した時に、「その課題に向かっていく勇気を持てるよう援助する」のが勇気づけです。

青野:勇気は与えられるものではなく、自分で獲得するものということですね。それを援助すると。

岸見:そうです。アドラーは「人は『自分には価値がある』と思えた時だけ勇気を持てる」と言っています。

例えば、部下や子どもを勇気づけようとして「お前は本当はできるんだから、もっと本気を出して頑張れ」みたいなことを言う人がいますよね。それはまったくの逆効果で、本人はむしろ頑張らなくなります。

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青野:何故でしょう?

岸見:本気で頑張っていい成績が出なかった時に傷つくからです。「もし頑張ったらいい成績を出せる」という可能性の中に逃げ込んで生きるようになるんです。

青野:なるほど。

岸見:でも、結果が出ないと自分の実力がわからないですよね? そのためには結果を恐れずに現実に飛び込まなくてはならない。

対人関係もそうです。対人関係によって傷つけられるだけでなく、幸せも得られるのなら、そこに入って行く勇気を持たなくてはいけない。勇気を持つためには「自分に価値がある」と思えなくてはならないし、そのためには「貢献感」がなくてはならない

人が貢献感を持てるようにするには、援助として「ありがとう」という言葉を使います。 例えば、子どもが1時間、静かにしなくてならない場面でちゃんと待っていた時、親は何と言いますかね?

青野:「ありがとう」でしょうか?

岸見:それは今、私の話を聞いていたからでしょう?(笑) 多くの場合は「偉かったね」と言います。

青野:ああ、そうですね、確かに(笑)

岸見:しかし、この「偉かったね」という言葉は問題です。ほめ言葉ですから。ほめるというのは上の人が下の人に下す評価です。

そういうふうにほめられても、子どもは自分に価値があるとは思えない。そうではなく「ありがとう」と言うと、「ああ、自分は静かにしていることで役に立てた」という貢献感を持て、自分には価値があると思える。自分に価値があると思えると勇気を持てます。

青野:タテの関係ではなくヨコの関係を作るということですね。ヤバイですね、僕も結構、上から言っちゃってますね。これからは「ありがとう」と言うことにします(笑)

第3回に続く

文:荒濱 一/写真:すしぱく(PAKUTASO))/編集:小原 弓佳

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サイボウズ式」は、サイボウズ株式会社が運営する「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイトです。

本記事は、2017年4月 6日のサイボウズ式掲載記事「本当はできるんだから、本気を出せ」は、むしろ本人のやる気をなくさせる──『嫌われる勇気』岸見一郎×サイボウズ 青野慶久より転載しました。