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努力だけしかできない人はチームに必要ない

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日野瑛太郎です。普段は「脱社畜ブログ」というブログで、日本人の働き方の記事を書いています。このブロガーズ・コラムでは、チームワークという観点から働き方について新たな視点を提供できればと思っています。

先日、大学時代の同級生と久々に会う機会がありました。

卒業してからだいぶ時間がたっていますので、多くの人はもう会社で「後輩」を指導する立場になっているようです。後輩の指導は、上司や先輩とよい関係を築いたり、あるいは自分自身の仕事を推進する場合とはまた違った苦労があると聞きます。実際、色んな人から「うちには、こんな困った後輩がいる」という話を聞きました。

その中でも、とあるIT系の会社に就職した友人が指導することになった後輩の話は、聞いていて思わずめまいがするような話でした。

今日はそんな「困った後輩」の話からはじめたいと思います。

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一緒に仕事をするとかならず残業になる後輩の話

友人が指導することになった後輩は、別に人格が破綻しているであるとか、サボり癖があるだとかそういうことは全然ないそうです。

むしろ、彼は大変な努力家で、成長意欲も高く、仕事はサボるどころか人の何倍も率先してこなそうとしているとのことです。そういう「やる気」に満ち満ちた姿勢のおかげか、チームの外には彼を肯定的に評価している人も少なくありません。

もっとも、友人を含めて彼と同じチームの人は、みんな彼には困っているそうです。

「彼と一緒に仕事をすると、かならず残業になり、最悪の場合休日出勤までする羽目になる」

と友人は疲れた顔で語りました。

例えば、とある資料の作成をその後輩に任せたとします。

仕事を任せられた後輩は、毎日遅くまで会社に残って「頑張って」資料を作成します。

それですばらしい資料を作ってもらえるというのであれば問題ないのですが、実際に出てくる資料はページ数ばかりが多く冗長で、しかも肝心な部分が抜けていたりします。「作るのに時間がかかってそう」なことは伝わってくるものの、読んだだけでは何を言いたいのかもよくわかりません。そのままではとても使えそうにないので、最終的には指導役である友人がほとんど作り直したりすることになります。

自分の仕事に加えてこのようなフォローまでしなければならないため、友人の帰宅時間はどんどん遅くなります。一度、厳しく指導しなければならないとは思うものの、毎日遅くまで「頑張っている」姿勢を見せつけられると、辛辣な言葉を投げかけるわけにもいかなくなり、いつも困っているそうです。

なぜ、こんなことになってしまうのでしょうか。

問題の根本は、その後輩が「大変な努力家」であるところにあるように僕には思えます。

成長を焦るあまり、努力が目的化する

一般的に、「努力する人」は立派な人だと思われる傾向にあります。一方で、「努力しない人」は残念な人だと思われます。

たしかに、努力は大事なことです。どんな分野であれ、偉大な業績を残す人はみんなどこかでは必ず努力をしているものです。努力する人が立派だと思われること自体は全然悪いことではありません。

もっとも、中にはこれを勘違いして「努力すること」自体が目的化してしまっている人がいます。何のためにやっているのかはあまり考えずに、とにかく努力さえすれば成長できると考えて、非効率なやり方で何時間も頑張ってしまう――前述の友人の後輩のケースも、実はこれに該当するのではないかと考えられます。

友人が指導することになった後輩は、毎日ものすごく頑張って遅くまで働いている割に、仕事の進捗は芳しくありません。

任せた仕事が終わるのがあまりにも遅いので状況を確認すると、やらなくてもいいことや重要でない部分に時間をかけすぎていたということも多いといいます。

一方で、成長意欲はとても高く、日頃から「成長したい」と口癖のように呟き、残業や休日出勤をすること自体には何の抵抗もないようです。むしろ、残業や休日出勤は率先してやっている気配すらあるそうです。どうやら、彼は典型的な「努力すること」自体が目的化してしまった人のように思えます。

一番不幸なのは、こういった非効率な働き方に巻き込まれて、一緒に残業や休日出勤をする羽目になってしまう彼と同じチームの仲間です。

友人は、この後輩に効率的な働き方を教えようと奮闘しているようですが、チームの外には彼を肯定的に評価している人もいるがゆえに、なかなか指導がしづらいと嘆いていました。こういうタイプの人が「ウケる人にはウケてしまう」のも、問題を難しくしています。

「努力それ自体」はまったく評価に値しない

このような困った後輩が出てきてしまうのは、結局のところ「努力それ自体」が評価されてしまっているからです。

本来、努力はあくまで手段に過ぎません。

何か達成したい目標(ゴール)が前提としてあり、その目標達成のために必要になってはじめて努力をするのです。仮に、その努力が目標達成にほとんど貢献しないようなものだったら、そんなものは評価をするに値しません。あくまで、仕事の評価は「努力それ自体」ではなく「目標達成への貢献度」によって判定すべきです。

前述の後輩のケースで言えば、「努力それ自体」は評価に値しないことを周囲・本人ともにしっかり認知する必要があります。毎日毎日、遅くまで会社に残っている姿を遠目で眺めて「あいつはいつも頑張っているなぁ。えらいなぁ」で済ませては絶対にいけないのです。

「徹夜で20ページの使えない資料を作るよりも、5ページの実際に使える資料を作って定時に帰るほうが何百倍もチームに貢献している」

と、一度本人にはっきり言わなければなりません。

印象ベースの評価をさせない仕組みをつくれ

メンバーが「努力それ自体」ではなく「目標達成への貢献度」で評価されるようにするためには、前提としてチームの目標そのものも見直す必要があります。

あくまでチームの目標は定量的で達成度の客観的な判定が可能なものを設定しなければなりません。例えば、「ユーザー継続率X%向上」なら定量的ですが、「ブランド価値の向上」では不十分です。

定量的でない目標では、達成度を判定することができません。

達成度の判定が客観的にできないようでは、評価はどうしても印象ベースになります。つまり、「頑張っている人」が評価されるようになってしまうわけです。

テキパキと仕事を済ませてさっさと帰る人よりも、非効率な方法で残業や休日出勤をする人が評価されるようなチームが、果たして健全だと言えるでしょうか?

過激な言い方をすれば、努力「だけ」しかできずに、チームの目標達成に一切貢献できないような人は、チームにいても意味がないということになります。そういう人を評価してしまうことは、チームにとって本当に必要な人を害することにもつながります。

努力をするなら、チームの目標達成に貢献できる形で努力しなければなりません。目標達成に貢献しない努力は、単なる自己満足でしかないのです。

(サイボウズ式 2014年4月9日の掲載記事「努力だけしかできない人はチームに必要ない」より転載しました)

イラスト:マツナガエイコ

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