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サイボウズ式:「叱る」と「指導する」の決定的な違い

2015年02月21日 15時11分 JST | 更新 2015年04月21日 18時12分 JST

【サイボウズ式編集部より】この「ブロガーズ・コラム」は、著名ブロガーをサイボウズの外部から招いて、チームワークに関するコラムを執筆いただいています。今回ははせおやさいさんが考えるチームコミュニケーションについて。「怒る」「叱る」「指導する」の違いを考えます。

「怒る」も「叱る」もなんか違う

後輩や部下がミスをしたとき、つい感情的に怒ってしまってあとからウワーッと反省し、「部下 ミス 教える」みたいなので検索して「怒るのは自分のため、叱るのは相手のため」みたいな格言っぽいのを発見しホホーと思った時期もありましたが、正直、ここ最近はその格言っぽいものもピンとこなくなりました。

わたしが見た解説だと、「怒る」のは自分の感情をぶつけるだけで相手のことを考えていない、「叱る」のは相手のために強く言うことだ、だから良いのだ、みたいな主張だったんですが、職場において感情を強く表すのって意味あるのかなあと思っていて、これが子どもとかプライベートな付き合いだったら良いのかもしれないのですが、職場で毎回そんなエネルギーを消費するのって効果的だと思えなくなりました。

しかも、それって疲れませんか。

それに「叱る」は相手のためを思ってのこととか言いますが、それでも強く言われるのって、内容問わず、言われる側の精神にストレスがかかりますよね。

わたしはすごくそれが嫌で、他人に対してもなるべくしたくないと思うし、強く言って相手を萎縮させ、その場はコントロールしやすくなったとしても、トータルでプラスになることはないんじゃないかなと思ってます。

じゃあどうすればいいの?

「怒る」はありえない、「叱る」もイマイチ、じゃどうするの、と考えたとき、言葉でいうと「指導する」が一番近いんじゃないかなと思います。

怒ったり叱ったり、相手が自分の子どもや友人なら一生ものの付き合いになるからそういうのもアリなんでしょうけれども、部下や後輩は転職異動左遷に昇進、いろんなケースで縁が切れてしまうことがある。異動が多くしょっちゅう部下が変わるみたいなケースもありえるでしょうし、手塩にかけて育てた後輩がやっと仕上がってきたと思ったら辞めちゃったみたいなガッカリもよくあること。だったら毎回感情を揺らして強く言うよりも、もっとシンプルに、何度でも再現可能な感じで教えていきたい。

チームワークにおける「指導する」が、無駄に感情を揺らすことなく、相手に圧をかけることなく、誰にでも再現可能な方法を用いて、会社全体のゴールに向けてうまく相手を導くことだとしたら、その実現のためには、どんな方法があるでしょうか。

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まず、「これは指導せねば」と思ったとき、必ず何がしかの問題点があるはずです。

「これはアカン」と思ったのであれば、その問題点を自分の中で精査し、解決方法を「誰でも再現可能な粒度」にまで落としこむのが肝要かと思います。

たとえば、「AをもとにBにして」という依頼で想像したものが達成できないのであれば、どこかで躓いた理由があり、そこに指導する側の不足ポイントが見えてくると思います。

では、「Aの数値を参照してBという資料を作成して」という指示をして、こちらのイメージしたレベルで提出されなかったとしましょう。ならば、

「Aを見てBをやる理由はCというゴールを達成するためです。その際にはDという過去事例があるからそれを参考にして、項目を揃えるようにしてみてください。期限は金曜ですが、今回は初めての作業なので中間レビューの時間を水曜日までに30分で構わないので設けてください」くらいの細かさでオーダーしてみる。

なるべく細かく、やってもらいたい内容をマニュアル化して教えることで、最低納品ラインを達成できるように「指導」するイメージです。仕事をしていく中で迷うポイントっていくつかあって、そこで迷ったとき、相手がどっちの道を選ぶほうがベターかの判断基準をいかにたくさん渡しておけるかどうか、ここが勝負です。

逆に一番ダメなのは、「なんかちょっと違う」とか、マニュアル化できていないことを気まぐれに指示し、出てきたものを見てまたコロコロ変えること。あらかじめルートが確定していないのであれば他人に仕事を依頼できるレベルではなく、オーダーされる方もしんどいですし、何度もダメ出しをするのもしんどい。

任せた仕事がうまくいかないときって、だいたい頼んだ側にも問題があって、オーダーしたい内容がボンヤリとしか見えていなかったり、最終ゴールがフワッとしていたりするんじゃないでしょうか。その後ろめたさを払拭するために、「叱る」という手法を取ってごまかしてるんじゃないかな、と感じることが多々あります。

指導する側の粒度が整っていないうえ、さらに強い言葉で「叱る」をやられて、「あなたのためだから」なんて言われたら、指導される側はたまったものじゃないですよね。

上でもなく下でもなく、対等に働きたい

「指導する」「される」側の理想的な関係を考えてみたとき、指導する側の粒度をブラさず、される側もいちいち迷わず済むためには、まず最初に「ゴールのコンセンサス」を取ることが大前提です。

「わたしたちはなんのためにこの仕事をしているか」の合意形成とも言っていいと思いますが、ここの合意が漏れると、行き先が違う車なのにどの高速に乗るかで揉める、みたいな感じのよくわかんない状況になることが多い。また、自分自身では理解しているつもりの「絶対にここへたどり着かなければいけない理由」みたいなのを他人に言語化して伝えることで、ゴールを再確認できるメリットもあります。

そのゴールの設定もフワッとしていると見誤りがちになるので、「部署の業績をアップさせる」ではなく、「部署の業績を今四半期中に30%アップさせる、ただし人員増加は行わず、コストも現状維持とする」くらいの細かさで決めるとよいと思います。

個人的には、相手が新入社員であっても派遣社員であってもアルバイトであっても、まったく同じ言葉でゴールを共有するようにしているのですが、よっぽど微妙な相手でない限り、このほうが合意形成は取りやすい。もちろん内容を噛み砕いて伝えることはありますが、伝える内容はまったく同じレベルで伝えるようにしていて、そのことで相手に対しての信頼と期待を表明しているつもりなのですが、そういう姿勢は伝わるものですよね。

「怒る」も「叱る」も、わたしが嫌だなあと感じているのは、どうしても「上から下」になってしまうことで、そこが違和感として残ってしまう。ゴールがまだわたしにしか見えていないなら教えるけれど、お金をもらって仕事をしている者同士、プロフェッショナルとして一緒にゴールを目指しましょう。

もちろんスキルに差はあるけれど、あなたとわたしは対等ですよというメッセージを伝えることで、相手にも自信と責任感をもたせ、仕事のボトムアップを目指すのが、仕事におけるトータルの幸福量を増やす近道なのではないかなと思います。

今日はそんな感じです。

チャオ!

はせおやさいさんよりインターネットの備忘録」というブログを書いています。ブロガーズ・コラムでは、仕事を通じて他人とかかわることの楽しさ、おもしろさ、難しさみたいなことを書いていきたいと思います。今のところ唯一の女性なので、そのへんの視点も盛り込めるといいかなと思ってます。

(サイボウズ式 2014年8月25日の掲載記事「「怒る」「叱る」「指導する」の決定的な違い」より転載しました)

イラスト:マツナガエイコ