国や共同体の責任を個人はどこまで負うべきか

自分は反対してそれでも無理矢理国が突っ走って行ったことの場合、それでも個人は責任を負うのでしょうか、またその場合、どの程度負うべきなのでしょうか。そしてどの程度の年数でその責任は消えるのでしょうか。
Robert Churchill via Getty Images

シドニーから3大会連続で五輪に出場した元陸上選手と、一緒に考え、議論を深めます。議論は週刊誌AERAの連載で紹介します。いただいたコメントを抜粋・要約することもありますがご了承ください。

とあるA国という国があります。B国の資源が欲しかったため、B国に攻め入ります。A国は敗れてしまい、その後国際世論によって裁かれることになりました。100年後、A国の一人の少年がB国を旅していた時に突然B国の国民から罵られます"お前のせいでうちの実家は壊されたんだ"

人間は共同体に属しながら生きています。共同体として意思決定していくことがありますが、その結果の責任を個人個人はある程度負うのだと思います。ですが、自分は反対してそれでも無理矢理国が突っ走って行ったことの場合、それでも個人は責任を負うのでしょうか、またその場合、どの程度負うべきなのでしょうか。そしてどの程度の年数でその責任は消えるのでしょうか。

振り返ってみれば、ヨーロッパは戦いの歴史です。どの国も加害者になることもあれば被害者になることもある。また、国際結婚も頻繁に行われて、移民もよくあります。そうなってくると一人の中にたくさんの文脈があり、自分の先祖が加害者側でもあり被害者側でもあるということも起きえます。

同じようなことは、身近でも起こり得ます。例えば会社の場合はどうでしょうか。会社で不祥事が起きた場合、社員はそのことを他から責められることがありますが、それは許されるのでしょうか。親戚が犯罪を犯した場合はどうでしょうか? クラスは? 部活動は? オリンピックチームとしてはどうでしょうか?

連帯責任という制度は極めて体育会的だと言われますが、連帯責任が当たり前になっている共同体もあります。

共同体は複雑に幾層にも絡み合っていて、簡単ではありません。けれども、共同体の責任を全く取らないようであれば、共同体が無責任な意思決定をし始めたりその場限りの行動を取る可能性もあります。みんなが責任を取るからこそ共同体が抑制的になる側面もあると思います。

私たちはどの程度共同体としての責任を負っているのか。とても複雑な話ですが、自由に思ったことを話していただければと思います。

ご意見お待ちしています。

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