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生存率4%の世界を訪ねて--アルビノ(白肌症)の僕とハッピーの出会い

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生まれてから死ぬまで、一体どれほどの人と出会うか考えたことがありますか?

同じクラス、同じ部活、同じ職場、はたまた駅のホーム、歩道橋、旅行先・・・と出会いの瞬間は多種多様です。「出会い」と一言でいってもそれは、すれ違いざまの一瞬であったり、長い時間を共にしたりすることもあります。

一説によると人は平均しておおよそ30,000もの人となんらかの接点を持つと言われています。

そしてその中で同じ学校、職場や近所の人が3,000人、
親しく会話を持つ人が300人、
友人と呼べる人が30人、
一生親友と呼べる人が3人、
とも言われています。

グローバル化が進む昨今、日本を訪れる外国人観光客は2000万人を突破しました。そして2020年に日本でオリンピック・パラリンピックが開催することもあって異文化理解、多文化共生という言葉をよく耳にします。

私たちはこのような出会いの瞬間に数多くの「他者との違い」を目の当たりにすることがより多くなりました。目に見える違い・目に見えない違いが当たり前に混じり合うようになったのです。他者との違いは、国籍、言語、文化の違いだけでなく、肌の色や髪の毛の色、身体・精神障がいなど様々です。それぞれの違いは、それぞれの個性。しかし、時としてこのような違いは「マイノリティ」というくくりで周囲や当事者自身が捉えてしまうとコンプレックスや負い目に感じてしまうこともあります。

私自身も2万人に1人という治療法のない遺伝性の疾患をもって生まれました。黒髪が "ふつう" とされるこの日本という国で、金髪であるという見た目のマイノリティを自ら意識し、コンプレックスを抱え、これまで過ごしてきました。

全身のメラニン色素を作れない、またはわずかしか作ることができない常染色体劣勢の遺伝性疾患を「アルビノ」と言います。アルビノの人たちは、一般の人よりも色素が少ないために紫外線に弱い白い肌と明るい髪の毛を呈し、視覚障害を伴います。

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-写真は日本人のアルビノである私と2人のタンザニアのアルビノの女性(左から3人目と右端)、一人は髪の毛を黒染めしている-

明るい髪の毛と白い肌による外見の違いに注目して私が生まれてきたときの両親の話とアルビノの割合が多いと言われているタンザニアで出会ったアルビノの子供を持つ母親のお話をしたいと思います。

■ 1992年4月14日――私は両親と全く異なる容姿で生まれる――

私の両親は2人とも純粋な日本人で2人の家系も外国人の血は入っていません。しかし、僕を含め2人の弟と妹は2人の両親と異なる髪の毛の色と肌の色をして生まれてきました。

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-女性の皆さん想像できますか?

あなた自身とパートナーも日本人で黒い髪であるにもかかわらず、命を懸けて生まれてきた子供は髪の毛も色も肌の色も2人と全く異なるのです。とても不安に思いますか、それとも怖く思いますか。

-男性の皆さん想像できますか?

自分が愛するパートナーが命を懸けて産んだ子供が自分達と全く異なる髪の毛と肌の色で生まれてきたら、その子をあなたの子供とすぐに信じることができますか?

-私の両親は、私が生まれたときにどんなことを思ったのだろう?

24歳になった今、中学校の同級生は結婚し子供を産んだという連絡が増えてきました。(私の結婚はまだまだ先(笑))周囲から結婚、出産という話が出てきてこんなことを考えるようになりました。

私の場合は生まれたときは健康そのものだったようなので、両親も嬉しかっただろうし、幸せに感じたに違いありませんがそれでも手放しで喜ぶことはなかったはずです。

「この子をきちんと育てることができるだろうか」

「長生きしてくれるだろうか」

「保育園や学校に行ってちゃんと友達ができるだろうか」

喜びと幸せと同時に多くの不安も持っていたと思います。
私が生まれた1992年は、インターネットが一般に普及し始めた頃で家にパソコンもありませんでした。そして産婦人科医の間でもアルビノについての知識の差もありました。アルビノは、2万人に1人という非常に珍しい疾患なので産婦人科でもアルビノの出産に立ち会った人はそれほど多くいないでしょう。産婦人科医もアルビノをよく知らない中で周囲にアルビノ当事者もアルビノの子供を持つ親がいたわけでもなかったため、私の両親は行き場のないどうしようもない不安を抱えていたのだろうと思います。

結局、私の両親は私が生まれてしばらくは毎日欠かさず近所の神社に行き「目が見えますように。健康に育ちますように」とお願いをしていたそうです。そして、自分たちで専門書や医学書を読んで勉強をし、それでもわからない多くのことは実際の子育ての中で試行錯誤の繰り返しだったといいます。

私は幸運なことに、日本という世界的にみても豊かな国に生まれました。そして両親のこれ以上ない愛情と子育ての努力によってすくすく育ち保育園に行き、通常の学校に通い大学院にまで進学することができました。ただ髪の毛が金髪ということもあり、街中や人混みの中で意図せずにとても目立ってしまいます。そして周囲から注がれる好奇な視線を煩わしく思ったり、居心地が悪い気持ちになったりすることも多々あります。

「目立ちたくないぁ、みんなの目線を気にしたくないなぁ」という思いで、気づけば誰も私のことを知らない土地、誰も私のことを気にしない街を求めて定期的に海外を放浪する癖がついてしまいました。

そして昨年の冬、ついに私はアルビノの人にとって「死の大陸」と言われているアフリカを訪れました。

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2015年12月にタンザニアのアルビノ支援団体で活動していた時に出会った生後6ヶ月のアルビノの赤ちゃんとその母親は私とは比較にならないほどの困難に立ち向かっていました。
私は当時、タンザニアのアリューシャという第三の都市を中心に活動する「Albino peacemaker」というホームページもないとても小さなアルビノ支援団体でインターンをしていました。

ある日、インターンでお世話になっていた人に「近所の孤児院にアルビノの赤ちゃんが預けられているから会いに行こう」と言われ Neema Baby Home という孤児院を訪れました。

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ここは、生後間もなくして親に捨てられたあるいは何らかの理由で親と一緒に暮らせない、AIDSやその他の感染症に感染するリスクが高い乳児から幼児までを保護する施設でした。アメリカ人によって運営されており約50人の子供達がそこで生活をしていました。
タンザニアはアフリカの中でも比較的経済も発達し、治安も安定してる方ですが、まだまだ孤児の問題は深刻です。孤児の多くは、無造作に道路の脇、森、教会の門などに捨てられ親の顔を知らないままに一生を生きていかなければいけません。

子供達の中に一人、まだ生後6ヶ月の肌も髪の毛も白いアルビノの赤ちゃんがいました。

彼女の名はクリスティーナ。

多くの赤ちゃんが元気に寝返りをうったり泣いたりしている中で、蚊帳の中でぐずりもせず静かに眠っていました。そして、その横に彼女の寝顔を優しく見つめる15歳の少女がいました。

彼女の名はハッピー。このアルビノの赤ちゃんの母親でした。

彼女は一日中家政婦として働き、週末だけ娘に会いにこの孤児院に長い時間をかけて会いに来ていました。日本であれば15歳の時はほとんどの女性がまだ中学校か高校に通って勉強している年頃です。

しかし、タンザニアで会ったこの10代の少女は、18歳の彼女のパートナーにも見捨てられ、家族にも見放され、自分の手ひとつでサポートを受けながら子育てをする生き方を選んでいました。

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ショックを受けました。

その光景と彼女の瞳は、かわいそう、男性や社会、国に対する不信感をも感じさせる悲観的な表現だけで表せるものではなく、女性の強さ、したたかさ、というのも強く感じるものがありました。
どうして彼女が、夫にも家族にも見放されてしまったのか。そこにはアフリカに未だに残る呪術の文化とアルビノの問題があります。

タンザニアなどの東アフリカ地域の農村部では魔女と呼ばれる人たちが呪術を使って村民の病気を治療したり、農業の豊作を祈る行為を行っています。そして、アルビノの人は「悪魔」として考えられていて薬の生成やお守りを作るための「材料」として高値で取引をされています。

このような習慣が未だに根強く残っている地域では、アルビノの人が襲撃され殺されたり、体の一部を切断されたりする「アルビノ狩り」が問題になっています。最悪の場合、親や親類がアルビノの子供をお金目当てで殺してしまう、家族全員が襲撃され殺されてしまう、一族が全て村から追い出されてしまうということが起こっています。

そして、彼らの多くは紫外線に弱いこともあり幼いうちに皮膚がんが発症してしまい若くして亡くなってしまうことがほとんどです。アフリカでは、アルビノの人は約96%がアルビノ狩りと皮膚がんが原因で、30歳までに亡くなってしまいます。

多くのアフリカ人の心の中には、アルビノに対して「異なる外見」、「視力障害」だけでなく「短命」、「危険」、「呪い」といった暗いイメージが今も存在しています。

ハッピーも例外ではありませんでした。

彼女のパートナーである18歳の少年は「自分と髪の毛も肌の色も違うこんな子が、僕の娘であるはずがない」と言い放ち、彼女たちの前から姿を消しました。そして、彼女の家族は「そんな子供を家に置いておくと全員が襲われてしまう」という理由で母娘を村から追い出しました。
そんな彼女たちを私のインターン先の団体が見つけ出しアルーシャに連れてきて母親の仕事先を紹介し、クリスティーナの子育てを孤児院の人と一緒に行っています。

今は、クリスティーナは高い塀に囲まれたガードマンが常に在住している孤児院に預けられており、元気に健やかに育っています。そして母親も安心して日々の仕事に集中することができ技能を磨くことができているようでした。

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私の母が感じた不安とハッピーが感じた不安の程度や置かれていた状況は違えど、共通している部分があります。

それは、
「自分の子供をどう育てればいいのか。どうすればこの子の存在を社会に認められてもらえるだろうか?」
ということです。
そして、そのような問題を作る一番大きな要因は日本、タンザニアにかかわらず多くの人が「アルビノ」という言葉を聞いたことがなく、それ自体もよく知らない、わからないからでしょう。
もし、子供が生まれる前にアルビノについて両親が知っていれば、医者が知っていれば、生まれてすぐに医者はアルビノについての正しい知識と子育ての適切なアドバイスをすることができるでしょう。母親がどうしようもなく誰に助けを求めていいかわからない不安を感じることは少なくなるはずです。父親が、外見が自分と異なっていても我が子と素直に認められることができるはずです。

「知らない」というだけで、大きな不安や逃げ場のない苦しみに苛まれることもあれば「知っている」だけで、誰かを守ってあげることもできる。

そして知った事実や自分の考えを周りと共有するだけで彼らの悩みや苦しみが少し軽くなることもあります。
アルビノの当事者として、そして2人の母の姿を見てそう強く感じました。

最後はハッピーが別れ際に寝起きでご機嫌斜めなクリスティーナを抱きながら笑顔でこう言いました。

「ダイスケ、私は今とても幸せよ。孤児院や団体の人に見守られ、サポートを受けながら働くことができいて、娘との何にも変えられない時間を過ごすことができているわ。今は、2人で生きていくために、娘を立派に育て上げるために頑張ることができる。この子を産んで本当に良かった。この子に出会えて本当に良かった。クリスには、私よりももっと素敵なママになってほしい。そのためにまずは彼女が学校に行くための貯金をしなきゃいけないの。それで彼女が立派な大人になったら今度は私が学校に行くわ。だって私、文字も計算もできないまま母親になってしまったんだもの。この子に負けてられないわ。」

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この記事を書くにあたって久しぶりに孤児院に連絡を取ってみました。二人とも元気にピンピンしていて、ハッピーは孤児院に近く、より給料のいい仕事を見つけることができ、クリスと過ごせる時間も増えたようです。

アフリカのアルビノ問題に関する報道の多くは襲撃などの暗いニュースであることがほとんどです。

確かに彼らは日本人の私たちが想像もできないような経験をし、困難に直面しています。しかし、そうだからといって困難な人生を歩むことに違いはありませんが、不幸な人生とは決して言えないはずです。

ハッピーとクリスティーナが互いに見せる笑顔は、日本人の親子の笑顔と何ら違いはありませんでした。その表情を見た瞬間に、私も思わず笑顔になりました。人種も文化もアルビノも超えた「人の美しさ、人間の尊さ」を垣間見た気がします。

「違い」の中から「共通」のものを見出していく、紡ぎだしていくことで喜びも悲しみも分かち合えていくのではないでしょうか。

そんな素敵な瞬間が味わえるのが、これからの時代かもしれません。