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改めて振り返るチェルノブイリ原発事故

2013年06月12日 00時47分 JST | 更新 2013年08月11日 18時12分 JST

4月上旬、作家、批評家の東浩紀さんのチームと一緒にチェルノブイリ原発に取材に行ってきました。取材した内容は長めのルポルタージュにまとめました。僕の作業は終わっていて、週明けに印刷所に行くので、その成果は7月初旬発売の『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』(ゲンロン)で読むことができます。

既にAmazonでは予約が始まっています。興味がある方はぜひ皆様予約していただければ幸いです。

で、この原稿、張り切って2万字のところ3万字書いたら「さすがに入らねえよバカ」と言われ、2万2000字くらいに刈り込まれてしまいました。

刈り込まれたのは冒頭の方の部分ですね。読者はチェルノブイリ原発事故のことをよくわかってない人が多いと思うので、チェルノブイリ事故がなぜ起きて、その後どのように推移していったのか、最初の方にそれを解説する原稿を数千字書いたんです。

かなり調べて細かく書いたので、そこが丸々カットされたのはもったいねえなぁと。せっかくなので、このブログでボツになった部分を掲載しようと思います。チェルノブイリ事故ってそんな事故だったんだ的なことを知ってもらったうえで『思想地図β4-1』を読んでもらうとより原稿を楽しんでいただけるんじゃないかなと。

<思想地図β4-1原稿「チェルノブイリから考える」ボツ部分>

ここで簡単にチェルノブイリ原発事故がどのようなものだったのか振り返っておく。

チェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年4月26日。事故発生時、完成からわずか3年という当時最新鋭の4号機で、外部電源が喪失された事態を想定した実験――いわゆる「ストレステスト」が行われていた。

4号機は外部電源が遮断されると40秒から50秒後に非常用ディーゼル発電機が稼働する設計になっていた。彼らは、その40~50秒の間に原子炉を冷やすための給水ポンプを動かし続けるだけの電力を、回転が落ちつつある原子炉の蒸気タービンの慣性だけで発電できるかどうか確認したかったのだ。

これは定期点検修理に入る前の停止作業の機会を利用した実験でもあった。当時の4号機は最新鋭だったものの、原子力政策を急ぐソ連の事情によって突貫工事で作られた原子炉であったため、細かく改良が加えられており、その成果を計測する必要があった。

しかし、このストレステストが思わぬ結果を招くことになる。責任者の操作ミスで原子炉出力が予定よりも低出力な状態で実験を開始してしまったのだ。4号機は低出力では不安定な運転になる設計になっていたため、本来ならばこの時点で実験を中止する必要があった。

この段階で操作ミスに加え、責任者の判断ミスが重なった。責任者は、異常な状況であったにも関わらず実験を強行。そのため原子炉出力が急激に上昇し、運転員がただちに制御棒を挿入する手動緊急停止用ボタンを押したものの、制御棒は正常に動作せず途中で止まってしまった。制御不能となった原子炉は臨界を起こし、4秒後に出力は定格出力の100倍となり、燃料が破壊。砕けた燃料が引き金となり、大爆発を引き起こした。

大爆発によって原子炉は粉砕され、原子炉内にあった核燃料が大気中に拡散された。爆発後に起きた火災は消火されるまで10日間を要した。火災の消火にあたった消防士のうち31名は急性放射性障害で死亡した。

ソ連政府はむき出しになった原子炉の活動を抑えるべく、ヘリコプターからホウ素を混入させた砂を投下。加えて、鉛や液体窒素を投入することで炉心内に残っている核燃料の活動の沈静化に成功した(ソ連政府によれば、5月6日までに「大規模な」放射性物質の漏出は止まったとされている)。

こうしてチェルノブイリ事故は収束に向け、次の段階に進む。5月17日、政府委員会のイワン・シラーエフ議長はモスクワのテレビ放送に出演し、「放射能を帯びた炉心を埋葬するため石棺を作る。これを作ることで事故全体がもたらした一切の放射性物質の残骸を完全に密閉管理することができる」と述べ、4号機を覆う「石棺」の建設計画を明らかにした。

石棺の建設は困難を極めた。爆発によって高濃度の放射能を帯びた黒鉛の塊や燃料自体の破片が発電所内に飛び散っていたからだ。まずそれらを取り除かなければ、建設を始めることができない。とりわけ厄介だったのは、4号機の隣にある3号機の屋根の上に散らばった高濃度の黒鉛の塊だった。ロボットを遠隔操作して黒鉛の塊を崩壊した4号機の原子炉の火口に落とすことができれば良かったのだが、当時の技術では不可能だった。結果、防護服を着たソ連の化学部隊の隊員たちが決死の覚悟で3号機の屋根に降り立ち、1~2分という限られた時間のなかで黒鉛の塊や燃料棒の破片をシャベルですくって火口に落とすという作業を繰り返した。日本では考えられない決死の人海戦術だった。

3号機の屋根が片付いた6月には石棺の建設が開始。分厚いコンクリートで4号機全体を覆う作業が急ピッチで進められ、ソ連政府は9月23日に石棺の事実上の完成を発表した。この石棺を作るために、のべ80万人もの労働者が動員された。

ソ連政府が石棺の完成を急いだ背景には、事故によるウクライナ地域の電力不足があった。石棺の完成を受け、同年10月1日には1号機が、11月5日には2号機が稼働を始め、翌87年には3号機も操業を再開した。

ソ連政府は石棺の完成とともに、事故の事故の一時的収束を宣言。しかし、この石棺は耐用年数が30年程度という、あくまで応急的な措置でしかなかった。実際に近年は老朽化が進み、2013年2月にはタービン建屋の屋根と壁の一部が約600平方メートルにわたって崩落する事故も起きている。ソ連崩壊後、同原発の管理を受け継いだウクライナ政府は4号機の隣に石棺とタービン建屋を丸ごと覆う鋼鉄製の「新石棺(シェルター)」を作るべく、1997年にチェルノブイリシェルター基金を設立したが、建設に莫大な費用がかかるため、思うように資金が集まらなかった。

状況が変わったのはその14年後となる2011年、皮肉にも福島第一原発事故が後押しとなって欧州を中心に一気に支援金が集まることとなり、2012年4月に新石棺が着工された(建設費は15億4000万ユーロ/約2000億円と言われている)。現在は2015年の完成を目指して建設が進められている。

しかし、この新石棺も耐用年数は100年程度。新石棺内で廃炉作業に取り組むものの、内部には核燃料がまだ2000トンも残る。特に溶け落ちた核燃料を取り出す技術は現状ではまったく存在しない。このままでは100年後にまた別の措置を講じなければならず、チェルノブイリ原発が本当の意味で「収束」するには、少なくとも100年以上時を経なければいけない、ということだ。福島第一原発事故と同様に、チェルノブイリ原発事故もいまだ現在進行形の事象なのである。

一連の事故でどれだけの人的被害があったのか。IAEA(国際原子力機関)や、WHO(世界保健機関)など国連関係8団体とウクライナ、ベラルーシ、ロシア政府の専門家で構成された「チェルノブイリ・フォーラム」が2005年に発表した報告書によれば、事故処理にあたった軍人や消防隊員のうち、作業で2200人が死亡したほか、「チェルノブイリ事故による放射線被曝にともなう死者の数は今後発生するであろうガン死も含めて全部で4000人」という数字が出ている。しかし、放射線被曝によるガン死亡者数のデータは諸説飛び交っており、約3万人といった予測から40万人に及ぶといった予測までさまざまだ。同事故の疫学的な評価は現在でもまだ定まっていないのが実情と言える。

以上がチェルノブイリ原発事故の概要だ。

ここのところ東浩紀さんは校了直前の作業で徹夜続きだったみたいですが、かなりこの本の内容には自信を持っているみたいです。以下ツイートを引用します。

いかがでしょうか。東さんの力の入れようが伝わってくる力強いツイートですね。

実際に僕も深く取材には関わっていますし、ゲラの内容も見ているので非常に面白い本に仕上がっていることは保証します。日本人が知っているようで知らないチェルノブイリ事故とチェルノブイリの現在を知ることで福島の未来を考えるヒントが生まれればと思っています。ぜひ7月の『思想地図β4-1』を楽しみにしていただければ!

(この記事は、2013年6月8日発行の有料メルマガ「津田大介の『メディアの現場』」vol.80の冒頭コラムを再編集したものです。同有料メルマガには、こちらからお申込みいただけます)