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青空文庫呼びかけ人・富田倫生さんを偲んで/追悼イベントのお知らせ

2013年09月01日 23時22分 JST | 更新 2013年11月01日 18時12分 JST

青空文庫呼びかけ人の富田倫生さんが8月16日正午過ぎ、永眠されました。61歳という早すぎる死に、言葉もありません。

僕が富田さんと初めて出会ったのは2006年、弁護士の福井健策さんに誘われて「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議(現著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム、略称:think C)」を始めるときのことでした。福井さんと僕は、まず趣旨に共鳴してくれる発起人を20人程度集め、それが集まったら正式に立ち上げて記者会見を開き、12月に公開シンポジウムを開催して世論や文化庁に訴えかけるというプランを作りました。

発起人については福井さんと僕のお互いの人脈でいろいろな人を候補に選び、声がけを行いました。青空文庫の富田さんは2004年の時点で著作権保護期間延長に関する明確な反対声明( http://wayback.archive.org/web/20050108094327/http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/001717.html )を出しており、ぜひ一緒に行動できれば心強いと思い、連絡しました。

富田さんへの連絡は僕の担当でした。2006年10月16日に僕はこんなメールを送っていました。

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青空文庫 富田倫生様

はじめまして。ジャーナリストの津田大介と申します。

私は現在、文化審議会著作権分科会法制問題小委員会に、今年から新たに設け

られた「私的録音録画小委員会」の専門委員として参加している者です。

富田様の青空文庫での活動、また、

http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/001717.html

上記URLの記事を拝読し、失礼ながらメールさしあげた次第です。

単刀直入に用件を申し上げます。「著作権保護延長を考えるシンポジウム」の

発起人にお名前を連ねていただけないでしょうか。

著作権の死後70年保護への延長については、ご存知のとおり、全国紙も軒並み

大きく取りあげるようになり、かなり関心も高まってきた気がします。全般に

は、延長に疑問を投げかける報道が目だつ状態と言えるでしょうか。

知財振興や「通信と放送の融合」議論が注目される中、著作権の保護延長は、

私たちの文化や社会にとって、国民的な議論にふさわしい大きな問題になって

参りました。単に権利者団体と利用者団体の対立に矮小化されてしまったり、

エンドユーザーやクリエイターなど、本質的にこの問題に関係する人抜きで十

分な話し合われないままに延長が決まるとすれば、それは残念なことです。

そこで、各界を代表する方々に発起人になって頂き、様々な立場の団体に共催

を呼びかけて、年内に保護延長を考えるシンポジウムを開けないかと企画しま

した。

よろしければ添付の「お願い」をお読みいただき、ご多忙のところとは思いま

すが発起人にお名前を連ねることをご承諾頂けないでしょうか。まず第一弾と

して、クリエイター、事業者、研究者、法律家など数十名の方々にお声がけを

し、20名程度の方々からご賛同を頂けた段階で発足としたいと考えております。

文中にも書きましたが、発起人の方々に、実務でお手をわずらわせることはあ

りません。ただ、シンポジウムの運営にご意見などを頂ければ、大変ありがた

いと思います。また、当然のことながら著作権と関わりが深いご立場で延長問

題の是非そのものに対するご意見もおありでしょう。我々も「延長絶対反対」

というスタンスではなく、議論なしに決まっていくこの状況に一石を投じたい

という趣旨でシンポジウムを立ち上げようと思っております。

ぜひ、ご検討頂ければ幸いです。

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富田さんからはその日のうちに、シンプルで、力強い返信がきました。

(親書を公開するかたちになるので気が引ける部分もあるのですが、富田さんなら笑って許してくれると思いますので、転載します)

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> 単刀直入に用件を申し上げます。「著作権保護延長を考えるシンポジウム」の

> 発起人にお名前を連ねていただけないでしょうか。

承知しました。

青空文庫として、進めたいと考えていることもあります。

シンポジウムでやるべきことがあれば、動きます。

頂戴したメール、心励まされる思いで読みました。

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この返信を読んだときは、とてもうれしかったですね。

この瞬間からthink Cと富田さんは運命共同体になりました。富田さんの「心励まされる思いで読んだ」という表現はお世辞ではなく、本心からそう言っていたのだと思います。ずっと自分が手塩にかけて育てた青空文庫とともに、パブリックドメインの重要性を世に知らしめる文化活動を孤独に行ってきた富田さんにとって我々は初めて登場した「フォロワー」であり、援軍だったのでしょうから。

その後think Cプロジェクトは64人の発起人を集め、2006年11月8日に東京国際フォーラムでメディア向けの発足記者会見を行いました。

●クリエイターら、著作権保護期間延長の議論を呼びかける国民会議発足

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/11/08/13870.html

●「著作権保護期間の延長、議論を尽くせ」――クリエイターや弁護士が団体発足

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0611/08/news103.html

この記者会見で初めてお目にかかった富田さんは、とても顔色が悪い状態でした。このときはまだ僕は富田さんが抱えている病気について知りませんでした。

発足したthink Cは2006年12月11日に東京ウィメンズプラザで第1回公開シンポジウムを開催します。もちろん富田さんにも登壇していただきました。

●著作権保護期間は延長すべきか 賛否めぐり議論白熱

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/12/news063.html

●ネット時代の著作権保護期間延長問題~公開シンポジウム開催

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2006/12/11/14206.html

●著作権保護期間、死後50年から70年への延長を巡って賛成・反対両派が議論

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2006/12/12/14210.html

この討論のなかで富田さんは芥川龍之介の「後世」の文章「けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を」を引用し、「作品が将来にわたって残り、誰かの目と心に触れることこそが作家にとって重要」と語りました。多くの聴衆の心をつかむ力強いメッセージでした。

この第1回シンポジウム、僕は完全に裏方で自分の持ち時間を超えてしゃべる人がいたときに討論テーブルの上においたフラッシュライトを点灯する係をステージ脇でやっていたのです。熱く語る富田さんは勢い持ち時間を超えて語ることも多く、僕も苦渋の思いでフラッシュライトを何度か点灯させました。

芥川龍之介の話が熱く展開しているときだったでしょうか。フラッシュライトの点灯を横目で見た富田さんはおもむろに「えいっ!」と言って、手でそのフラッシュライトを覆い隠しました。「持ち時間がどうとかじゃなく、今大事な話してるんだからもっと話させてくれよ」というメッセージでした。冗談っぽく笑いながらフラッシュライトを隠す富田さんの姿を見て、会場からは笑いが漏れ、一気に緊張した場の空気が和らぎました。僕はフラッシュライトの点灯を消し、富田さんの話に耳を傾けました。富田さんは間違いなくこの日の議論におけるMVPだったと思います。

シンポジウム終了後、富田さんからお礼と謝罪を言われました。「あのときフラッシュライト隠しちゃってごめんね。でも話させてくれてありがとう」と。富田さんはどんな状況に置かれてもユーモアを忘れない素敵な人でした。

程なく僕と福井さんは富田さんの病状を知ることになります。富田さんご本人も「恐らくもう長くは持たないだろう」と僕らに言いました。

福井さんは富田さんと同じ病気で父親を亡くしていたそうで、快復の見込みが非常に厳しいということを知っていました。「これが最後に世に訴えかけるメッセージになる」という強い覚悟があったからこそ、富田さんの発言は人の心を打っていたのだと思います。富田さんは文字通り命を賭けて発言していました。

think Cのシンポジウムは文化庁に大きな影響を与えました。翌2007年春からこの問題について話し合う審議会が新たに設けられ、そこに僕を含むthink Cのメンバーから3人を送り込むことができました。

著作権保護期間問題に希望の光が見え始めたことが、富田さんの生きる希望にもつながります。第1回シンポジウムを開催したあとも、何度か入退院を繰り返しつつthink Cの活動をさまざまなかたちでサポートしてくださいました。そして2008年6月、富田さんは新たな決断をします。一縷の望みをかけた臓器移植手術を行い、無事生還されました。

富田さんが移植という闘いをされているさなかの2008年9月18日、大手メディアが「延長見送り」と報じました。我々にとっては2年間の、富田さんにとっては4年間の長い戦いに1つの区切りがついたのです。「負け戦」だと思っていた戦争に正攻法で勝つことができた瞬間でした。

その後もthink Cは定期的に懇親会と称する飲み会を開催しました。移植から戻ってきた富田さんは以前より元気になり、じっくりと話す機会も増えました。ある飲み会で富田さんから「福井さんや津田さんたちと出会う前に死ななくて良かった。あなたがたと会えたから、いまこうして僕もここにいられるんだと思う。本当にありがとう」と言われ、照れくさくもうれしい気持ちになったことを今でも昨日のことのように思い出します。富田さんともっともっと著作権や文化、本の未来について話したかった――。

think Cで勝ち取った保護期間延長保留は、TPPという外圧によって危機に瀕しています。完全に政治的な判断によって議論を経ず物事が進むことに富田さんは心を痛めていました。そして保護期間をめぐる状況悪化とリンクするかのように富田さんの病状も再び悪化の一途をたどっていきました。

2013年6月29日に開催されたthinkTPPIPシンポジウム『日本はTPPをどう交渉すべきか ~「死後70年」「非親告罪化」は文化を豊かに、経済を強靭にするのか?』が、公開シンポジウムにおける富田さんの最後の出演機会になりました。

http://www.youtube.com/watch?v=OsmeGmy0WuU

このとき、富田さんの体調はかなり悪くなっていたようです。恐らく2006年12月11日の第1回think C公開シンポジウムに出演したときと体調的にも「ラストメッセージを伝えたい」という覚悟の意味でもほとんど同じだったのではないでしょうか。ぜひ皆さんお時間のあるときに動画を見ていただき、富田さんからの最後の言葉を受け取ってもらえればと思います。

第1回目のシンポジウムで僕はフラッシュライトの点灯係でした。今回のシンポジウムでは僕が司会を務めました。途中、富田さんが「津田さん、もっとしゃべらせてもらっていい?」と尋ねる場面があり、僕は司会をしながら「あれ? これってなんかデジャブ感があるぞ」と思いながら存分に富田さんに話してもらいました。今思えば、あれが富田さんの覚悟だったんだなということがよくわかります。

富田さんから我々が受け取ったものはあまりにも多くありすぎて、はかりしれません。文化を守る戦いがいかに厳しいものかということも富田さんから教えてもらいました。トップランナーとして走り続けてきた富田さんは、第一走者としての役割を終え、自分より下の世代である我々にバトンを渡したのでしょう。我々がしなければならないのは、受け継いだバトンを落とさないように戦い続け、「富田倫生というすごい第一走者がいたんだよ」ということを第三走者以降の「後世」に伝えていくことなんだと思います。

まずはその一歩目として、生前の彼の足跡を振り返り、遺志を継ぐべく9月25日(水)東京會舘で『富田倫生追悼イベント』を開催いたします。最後のお別れとなる会ですし、できるだけ多くの方にご参集いただければありがたいです。

●富田倫生追悼イベントと「本の未来基金」創設のお知らせ

http://www.voyager.co.jp/aozora

富田さん、お疲れさまでした。これからも天国から我々の活動を見続け、時には発破をかけてくださいね。いつになるかはわかりませんが、またお会いできる日まで僕も頑張ります。

MIAUメルマガvol.2、津田大介メルマガ号外に掲載された記事の転載です)