デジタルにおける有料コンテンツの「価値」とは?:小学館デジタル担当役員 大西豊

「今のところ、デジタルの数字は順調に伸びています。しかし最悪あと2、3年でピークを迎えるのではないかと思っています」
DIGIDAY日本版

この10年、出版社の経営環境は急激に変化してきた。

Amazonが流通システムに激変を起こし、「面」を売ってきた従来の広告モデルは、デジタルでのユーザー体験に最適化したニューメディアの台頭や、「コンテンツは無料」というネットの常識の中で苦戦を強いられている。

そこで問われるデジタル時代の「コンテンツの価値」について、小学館取締役マーケティング局・デジタル事業局担当の大西豊氏に聞いた。以下、一問一答にて展開する。

女性ファッション誌畑を歩いてきたようですが?

1981年に小学館に入社して、女性週刊誌『女性セブン』を皮切りに、『CanCam』『プチセブン』などの雑誌編集を担当しました。ファッションが中心でしたが、美容、ライフスタイル系の読み物、エッセイ、グルメ、占いなどなんでもやりました。2001年に『CanCam』に戻ってきて編集長を務めました。

その後は、2007年に『AneCan』を創刊します。AneCanは創刊単年度で黒字化しましたが、いいスタッフが集まった結果です。『CanCam』編集長時代は、月間の最高実売68.5万部を達成できました。当時は、雑誌広告も好調で、1号あたり5億円くらいの広告売上がありました。『CanCam』は電話帳くらいの厚さでしたから。

デジタルとの出会いはいつ頃だったのですか?

一番最初は2000年。隔週刊誌「プチセブン」編集長時代です。i-mode全盛時代に、ガラ携で会員制サイトをスタートしました。プチセブン読者の女子高生たちがユーザーです。短期間でメチャクチャ盛り上がりましたが、2001年ボクが『CanCam』編集部へ異動を命じられてしまいゆるやかに閉鎖。

それから3年後の2004年頃、ちょうど『CanCam』が競合誌の『ViVi』の実売を抜いて、『JJ』をほぼ捉えるぞという勢いのときに、「CanCam.TV」をローンチしました。ブロードバンド環境が整いだした頃です。

2004年といえば、ちょうど日本ではmixiが流行りはじめた頃。SNSの黎明期といえます。

あとからわかったことですが、マーク・ザッカーバーグがfacebookを立ち上げた年でもあります。「雑誌ブランドを、インターネット上で表現するとしたら、単なる紙のデジタル化ではなく、まったく違うメディアになる必要性がある」、と仮説をたてました。紙の『CanCam』をそのままネットで見られるだけでは意味がない。『CanCam』のブランドで、なにか新しい試みができないか試行錯誤をはじめました。とりあえずの目標は、「ネットへ『CanCam』ブランドを移植する」、そんな実験をしようと決めました。編集長だから何でも決められます、大赤字にならなければ(笑)。

手始めに、社内でデジタルに精通している人間を探したところ、ひとりの社員に出会います。彼は花火大会の映像を撮って、その動画を配信する、そんな実験をしていました。もちろんお金になっていませんでしたが。その映像を見て直感ですが「これは使える」、と。

構想から3カ月、スマホもない時代に、携帯電話とPC向けの動画サイト「CanCam.TV」を立ち上げました。現在の「CanCam.TV」とはまるで違う、実験的なメディアでした。モデルが、読者が、プロたちが動画コンテンツの主人公です。

「CanCam.TV」、当初のビジネスモデルは?

まったく考えていませんでした。雑誌で充分な収益がありましたから、考える必要がなかった。動画での広告メニューの松竹梅をつくって、それを原資にコンテンツ制作にあてました。純粋に何が面白いか、「CanCam.TV」はどう進化できるのかのテストです。

当時の『CanCam』には、蛯原友里、押切もえ、山田優らの強力なトップモデルがいました。彼女たちが登場するコンテンツを中心に、「CanCam.TV」でのタイアップ広告のスポンサーを探しました。一方、技術力のある外部の会社をパートナーとして探し、「CanCam.TV」ではファッションショーをライブ配信することも実験しました。『CanCam』モデルが登場するファッションショーは、本誌が主催する無料の読者サービスです。その無料チケットはプラチナ化してしまう人気ぶりでした。当選確率は100倍以上でした。だったら、携帯電話、PC向けにファッションショーをライブ配信してしまえ、となったわけです。

その他にも、いろいろなコンテンツを実験しました。メーク動画、ヘアアレンジ動画、料理動画など。女子アナもいましたね、そういえば。今では当たり前のコンテンツですが、ガラケーという環境の中で、「CanCam.TV」はかなり前を歩いていたと思います。

実際に、自分でサイトを運営してみてわかったことですが、紙の場合「面」の制約がありますが、デジタルでは完全に自由です。これは、すごい時代がくると直感しました。

動画コンテンツは、自前で作っていましたからコストがかかります。UGC的なものはいつだってやれるとわかっていたので、あえて自前制作です。スポンサーにも恵まれたので、「CanCam.TV」は2年目に黒字転換しました。

2009年に取締役に就任されて、現在に至るまでデジタル事業局を担当されていますね。

「紙を離れ、デジタル事業に専念せよ」という社命により、2009年からデジタル事業が本業となります。営業セクションです。Amazonの本格的な上陸に備えよ、電子書籍市場への本格的な参入に備えよ、ということが自分に与えられたミッションです。

一方、編集部とは違う営業部隊を統括すること、つまり「CanCam.TV」での実験からの引退も意味します。出版社特有の縦割り組織の弊害ですね。また、「雑誌は編集長のもの」、という不問律もある。ボクは関与ができなくなったわけです。渋谷界隈のITベンチャー系の会社人には、まあ理解不能でしょう(笑)。経済合理性にあわないですから。

デジタル事業局での主な仕事は、出版社が作っている紙の書籍をデジタル化し、電子書店で売ることです。稼ぎ頭はコミックです。出版社のデジタルビジネスはコミックなしでは現状語れません。しかし実際には、リアル書店で売られる紙のコミックスのほうが売れているのも事実なのですが。

今のところ、デジタルの数字は順調に伸びています。しかし最悪あと2、3年でピークを迎えるのではないかと思っています。配信可能な旧作は、ほぼほぼ世の中に出尽くしました。あとは、新作に期待するしかない。そのタイムラグ含めての予想ですから、2,3年なのか5年なのかは誰もわかりません。もしかすると、まるで違うビジネスモデルが出現して、ボクの予想なんかぶっ飛んでしまうことだってありうる。

紙メディアとデジタルメディアでは、あまりにも違い過ぎて比較できませんね。比較することがナンセンスです。フィロソフィ―が違うし、テクノロジーが違う。そしてコストが違う。スピードが違う。会社のあり方そのものが違う。既存の出版社、新聞社含めてですが、デジタルシフトする難しさは、そこにあるわけです。

ですが、デジタル化が進んでいくと、紙のパッケージ商品が消えるかというと、ボクは最近そう思わなくなりました。

なぜ紙はなくならないと思ったのですか?

2009年にデジタル事業局を担当してから、昨年、紙のマーケティング局を兼任で担当するまでの6年間、ボクは紙の書籍を一切買わないことを自分に課しました。仕事の一環と思って、紙の本を一切買わず、全部デジタルで読んでいました。慣れるのにちょっと時間がかかりますが、別に不自由は感じませんでした。昨年、紙の販売の部署も担当することになって、久しぶりに紙の本を買いました。

昔読んだ村上春樹さんの文庫本を一気に10冊ほど買ってみました。久しぶりに紙の本を読んだら、読書体験として、とてもすばらしかった。そのときに「紙を読む人は、デジタルが普及しても紙を読む」。例えば小説のジャンルですが「紙で読んだ方がしっくりいく」と気づいたのです。別感覚ですね。新鮮でした。

「紙は紙、デジタルはデジタルで読む」というすみ分けの先にあるものとは?

今の出版ビジネスは、デジタル化の波に破壊されつつあります。正確には、ちゃんと対応できていない。出版社の流儀に、デジタルをあわせようとするからです。そこが根本的な間違いなわけです。

デジタル化が進んだ今、読者の読書環境の変化、ライフスタイルの変化、もっと言うと「読者」が「オーディエンス」という名に変わってしまったことへの出版社側の対応です。

そうした変化の中で、デジタル化に関わる技術力を理解しない出版社は、「編プロ」になっていくのではないかと危惧します。デジタル技術を駆使して「編集」をするのか、それとも、依頼された原稿を「つくる」だけを提供するのか、その岐路に立つ可能性があると思います。

もう一つ心配があります。出版社にとってデジタル化された書籍は「電子書籍」と呼ぶことが一般的です。しかし、これは出版社側からみた呼び名であって、読者、ユーザー、オーディエンス側にとっては「デジタルコンテンツ」のone of themでしかない。決して特別なコンテンツではない。このギャップこそ、「レガシーメディア側の悲劇の始まり」です。

アメリカの新聞社でも、技術者が占める割合が高まっていると聞きます。

パブリッシャーという言葉は、「出版元」という意味の他に、デジタルの世界では「一次コンテンツの保有者」という意味で使われることが多いです。その意味では、新聞社もパブリッシャーですし、当たり前ですが、技術力が背景にある前提で、きちんとした論評や発信ができない既存メディアは取り残され、どんどん苦しくなっていくでしょう。

たとえば、Yahoo! JAPANは、プラットフォームとして、これまでメディアからニュースを調達して配信していました。BuzzFeedと合弁したことは、ヤフーは一方でパブリッシャーを指向していることになる。ヤフーの心変わりではなく、それはヤフーの進化だと思います。プラットフォームが技術力を背景に、コンテンツを自前で持つという流れは不可逆的にどんどん進んでいくでしょう。

そうなると、レガシーメディアとしては、ますますコンテンツの「価値」をどこに見出すかが重要になってきますね?

幻冬舎の『天才』が売れているという新聞広告を見て、本を買いに行こうと思いました。そのとき、電子版が出てないだろうかと思って探してみたら、たまたま半額セールをしていたのを見つけて。それを見た瞬間に、「本屋さんごめんなさい」、とポチッと押してしまいました。

購読者レビューの中に、「さっと2時間で読めた」というのがあって、本当かと思って読み出したら、レビューどおり2時間で読了しました。そこで気づいたことは、ユーザーの読書体験として、読み物系電子書籍の売れるパッケージは「2時間ぐらいが目安(人によっては限界)」ということです。つまり、新書程度の内容ですね。

問題は、それまで「定価1500円」で提供してきた紙のパッケージの「価値」を、読者側がデジタルの世界でどう見出してくれるか、ということです。

デジタルの世界は「コンテンツは基本無料」という認識があります。

紙の書籍は、これまでのビジネスの歴史で長い時間をかけて確立されてきたフォーマットがあり、ユーザーの中にも「この程度の厚い本なら価格はこれぐらい」という共通理解があります。書店で紙の本の実物をみたら、一目瞭然です。

紙の書籍をデジタル化し電子書籍になったときに、出版社の理屈としては、できるだけ紙と同価格で読んで欲しいわけです。一方で、読む人の立場で考えると、上述のように「半額」でないと、購入の動機づけにならないことだって不思議ではない。

ですから、コンテンツの「価値」については、レガシーメディアの人間はみんな悩んでいます。

パッケージの仕方、ディストリビューション方法、表現など、既存の価値を見直す必要があるということでしょうか。

雑誌は広告モデルで、紙の「面」で広告を売って来たビジネスモデルです。本来は今こそ雑誌はチャンスなのです。というのも、紙の雑誌はみんな苦しいんだけど、人と違うことに特化して、誰よりも読者ニーズを掴んだ突出したコンテンツを作ればいい。広告はその雑誌に集中するはずです。編集といより、「発明に近い作業だ」と、ある方が言ってましたが、まさにそう。しかし、その雑誌をそのままデジタルに移行しても、ユーザー的には「そんなのタダでしょう」となってしまう。しかもデジタルは広告単価が安すぎる。

出版社では、紙の雑誌はビジネスとしてシュリンクしつつあります。たとえば、『週刊少年ジャンプ』も最盛期には600万部くらいあった部数が、今は200万部くらいに落ちています。その分、ユーザーはアプリで無料マンガを見ています。無料マンガも諸刃の剣で、一旦、無料に流れたユーザーを有料に戻してくるのはなかなか難しいです。

ということは、ますます「お金を払って読む価値のあるコンテンツ」とはどういうものなのかを、突き詰めて考えないといけない。あるいは無料大歓迎で進むか。解決策は、会社の組織改革とかそういう次元の問題では済まされないと思います。

ネットで成功しているデジタルファーストメディアは、アナログのものをデジタルに持ち込むという発想ではなく、最初からデジタル環境を想定したコンテンツと流通システムを構築しています。

モバイルと動画を中心としたニューメディアの領域で、レガシーメディアは何も通用するものを持っていません。女性向けのキュレーションメディアの「MERY」は、たくさんの女子大生ライター群をかかえ、普通にSEOライティングやっていて、SEO専門のチームが記事をまとめています。それに対し雑誌側サイトのほとんどは、ライターに書いてもらって、それをアップするだけ。入稿して校了したらおしまい。既存の出版社のやり方です。これでは対抗できるはずがない。

デジタル時代のコンテンツビジネスは、メディアの設計段階からユーザー体験を設計しているのが当たり前です。技術が常に進化し、ルールも刻々と変わっています。ボクはそれにむかって、これからもメディアビジネスを全うしたいです。もしその変化を自分自身で理解できなくなったら、ボク自身も当然引退だと思っています。

▼大西 豊

小学館 取締役 マーケティング局・デジタル事業局担当

1981年入社。女性週刊誌『女性セブン』を皮切りに、『CanCam』をはじめ女性ファッション誌を中心に編集畑を歩む。『CanCam』編集長時代、山田優、押切もえ、蛯原友里らを発掘、スタッフとともに月間最高実売68.5万部を達成し、2007年に『AneCan』を創刊した。2009年に取締役就任、デジタル事業局担当。2015年5月にマーケティング局担当となり現在に至る。

Written by 阿部 欽一

Interviewed by 谷古宇浩司

Photo by 合田和弘

(2016年6月8日「DIGIDAY [日本版] 」より転載)

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