叩いて忘れる社会

小保方氏の博士号が取り消され、「嵐は過ぎ去った」と思う研究者は多い。しかし、STAP細胞事件を「小保方事件」として片づけるだけで終結させてよいのだろうか。

2015年11月2日、早稲田大学は小保方晴子氏の博士号を取り消すことを発表した1)。その一年前、小保方氏の博士号は取り消されたが、再提出された論文が水準を満たしていたら博士号が維持されるという条件を付けられていた2)。論文は再提出されたようだが、水準は満たしていなかったという。

9月下旬には、Nature誌がSTAP細胞の存在を検証した二つの論文(といっても、短報の欄であったが)が掲載された3-1,2)。STAP細胞はES細胞由来であり、また、取り消された当初の論文のやり方ではSTAP細胞は作成されなかったのだ。

Nature誌自身は反省しないのか、という厳しい批判もあったものの4)、これでSTAP細胞に関する「事件」はほぼ終結したと言われる5)。STAP細胞(あるいはSTAP現象なるもの)の存在はほぼないと言ってよいだろう。もちろん、「無いことの証明」はほぼ不可能なので、STAP細胞は闇の勢力によってなかったものとされたなどとという陰謀論を唱える人は出てくるだろうが、科学界、あるいはまともな科学リテラシーを持つ人たちには相手にされないだろう。

うつろいやすい世間の関心は、佐野研二郎氏に移った。東京オリンピックのエンブレムの類似性が指摘されて以来、あたかも魔女刈りのように佐野氏の作品が暴かれ、佐野氏はサンドバックのように叩かれまくった。ターゲットを決め、「フルボッコ」するスタイルは、もはやお馴染みの光景であり、既視感にあふれている。

1年前佐野氏の「役割」を果たしていたのは小保方晴子氏だった。1年半前まで遡れば、佐村河内守氏の顔が目に浮かぶ。

その佐野氏の話題でさえ、今や下火だ。そのうち第2の佐野氏、つまり第3の小保方氏、第4の佐村河内氏が現れ、人びとの目はさらに移ろっていく。その時ターゲットになるのは誰だろう...

こうしたなか、「嵐は過ぎ去った、せいせいした」と思う研究者は多い。こうした研究者は、事件のせいで規制が増えて、とんだとばっちりだ、と嘆く。日本人のノーベル賞受賞に際して「STAP細胞で落ちた日本の科学のイメージを払拭してくれた」などというコメントが研究者や政府関係者から出てくる。

先日研究者対象のアンケート調査を拝見させてもらったが、かなりの割合の研究者は、あの事件は小保方氏個人の問題と考えており、研究体制を何も変える必要はない、と書いた研究者も相当数いた。

そして、身を潜めていた者たちが動き出す。

理化学研究所の平成27年度の予算は515億8500億円6)。これは当初の概算要求より120億円減らされての金額だが、平成28年度の概算要求は600億4600億円と、今年の予算より84億6千万円の増額となる。毎日新聞の報道によれば7)、文科省は「昨年は理研のガバナンス(組織統治)が問われたが、今年は既に理研の改革計画(アクションプラン)達成に見通しがついた」からだという。

STAP細胞論文の研究不正に責任があるとされた若山照彦山梨大学教授は、2011年度からの科研費を継続して受け取り、研究に邁進している8)。岡野光夫東京女子医科大学名誉教授は、再生医療の第一人者として、かわりなくインタビューを受けている9)

しかし、ほんとうにSTAP細胞事件を「小保方事件」として片づけるだけで終結させてよいのだろうか。

STAP細胞の事件を小保方氏個人の資質だけの問題として決着させ、嵐が過ぎ去るのを待ったほうが、自分がペナルティを受けることもなく、変わらなくて済む。得しかない。しかし、あの事件は理化学研究所のガバナンスの問題でもあり、また、生命科学研究の構造の問題でもあった。早稲田大学には、小保方氏以上に博士論文を「コピペ」した者もいた。「事件」としてのSTAP細胞問題が終わっても、研究体制、構造の問題はすぐには解決しない。研究倫理教育を強化する文科省の新方針だけでは、問題は解決しない。

STAP細胞をきっかけに、一部で改革の機運が生まれたが、大きくは育っていない。メディアや世間の注目が落ちている今だからこそ、地に足を付けて改革に取り組めるはずだというのに。

医療関係者なら、ハインリッヒの法則10)やスイスチーズモデル11)はご存知だろう。医療事故と同じように、STAP細胞事件は、小保方氏自身の問題だけでなく、小保方氏の問題を見抜けず、小保方氏の成果を利用した理研、早稲田大学、東京女子医科大学、競争的な研究環境等の「穴」があわさって発生した。STAP細胞の問題の背後には、未遂に終わったり、あるいは注目されなかったりした多数の事例がある。

STAP細胞事件を世界三大不正事件などという人もいるが、少なくとも不正論文の数では、STAP細胞など比ではない事件は多い。藤井善隆氏(元東邦大学麻酔科)のケースでは、172報もの論文にねつ造があったことが明らかになっている12)

そして、研究不正は今年も発生し続けている。

医療事故を個人の問題に落とし込むことがいかに問題解決を遠ざけるかは、医療関係者なら痛いほど知っているだろう。なぜ研究不正でそれができないのか。

断言しよう。研究者がSTAP細胞事件を「一人の不届き者のせいでいい迷惑だ」と思っている限り、また、研究不正の問題を自分たちの問題として考え、どうしたら研究不正を少なくすることができるのかを考え、「身銭」を切って行動しない限り、研究不正は減らないだろう。

そして、メディアで取り上げられるような事件が発生するたびに、規制が強化されていく。それは「自業自得」なのではないか。

叩いて忘れることほど無意味なことはない。そうならないためには、STAP細胞事件をここで終わらせることなく、科学コミュニティが自らの責任で検証を続けていくことが必要だ。

そして、STAP細胞事件を本当に終わらせ、今後への教訓とするためには、小保方氏が正直に語ることが不可欠だ。

誤解ないように言っておくが、私は小保方氏を「免罪」しろなどというつもりは一切ない。ルールに従い、ペナルティを受けるべきだ。問題なのは、そのペナルティが恣意的なことだ。同じようなことをやっているにも関わらずペナルティを受けず、あるいはそうした人たちにペナルティを与えず、かつ反省しようとも思わない輩だ。

百歩譲って、小保方氏を「いけにえ」にせざるを得なかったとしても、科学コミュニティはその「いけにえ」を有効に生かし、研究不正の少ない研究環境を目指さなければならない。研究不正で損をするのは、研究費を負担する一般の国民(納税者)やまじめな研究者だ。正直者が馬鹿を見るような社会はお断りだ。

(2015年11月10日発行「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)

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