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真の安全保障上の脅威とは何か 平和憲法の現代性と気候変動への対応

2015年11月12日 00時31分 JST | 更新 2015年11月16日 22時03分 JST

日本国憲法の空洞化とアメリカ

過去三〇年の間、アメリカ合衆国は、日本に対して軍事費を増大し、地球規模で米軍を支援する役割を果たすよう促してきた。しかし、日本防衛への「ただ乗り」をやめろという、ワシントンから東京への要求によってもたらされた、日本再軍備への衝動は、結果として東アジアを大いに不安定化させている。

日本の軍拡による不安定化は、安倍政権のもとでその勢いを増している。中国や韓国などの国々は日本の軍国主義復活を深く憂慮している。北朝鮮の核問題とともに、軍拡競争の主たるリスク要因をここに見出すことができる。憲法九条に象徴される日本の軍事的規制が全面的に解除されることになれば、アジアはもちろん、世界の不安定を増大させる要因となる可能性が高い。

日本の安倍政権は九条の解釈改憲を推し進め、安保法制を転換させている。安倍政権は、日本とは直接かかわりのない海外の紛争に「自衛隊」を派遣するための口実として集団的自衛の行使容認を行ない、憲法を改正することなく九条の根本的な解釈変更を進めている。その説明のために「積極的平和主義」というわかりにくい用語を造っている。

東アジアで日本再軍備への深い不信感が続くなか、この地域の緊張緩和と外交・軍事・経済分野における日韓の緊密なパートナーシップを実現するため、アメリカが数々の外交的努力にのり出している。だが、日本の平和憲法放棄を推進するにあたって大きな役割を果たしてきたのがアメリカ自身であるために、アメリカの取り組みにはそもそも説得力があまりない。

いわゆるパシフィック・ピボット戦略(アジア太平洋重視戦略)においてアメリカは、同盟国である日本と韓国の軍事能力増強を奨励する結果として、日・韓・中の間の軍事競争を培っている。アメリカが外交の次元で日韓の間の緊張を緩和しようとするというのは飾り物にすぎない。このジレンマから抜け出す方法があるようには思えない。

だが、これはアメリカには関係のない問題であり得るだろうか? アメリカは、平和憲法から遠ざかるように日本に促すよりもむしろ、九条の誕生と深いかかわりのある国として、国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇または武力の行使を放棄する精神と論理を受け入れなければならないのではないか。そして、自らの憲法においてこのような改正を行なうべきではないか。

実効性を増す日本国憲法の思想

日本国憲法は第二次世界大戦による破壊への深い反省から生まれた。アメリカ側ではオールド・リベラリストたちが、将来の破滅的な紛争を回避する手段として一九二八年に締結された不戦条約の文言の一部を新憲法に盛り込むことを望んだ。同時に、一九四六年一一月に憲法が公布された時には、広島・長崎の原爆使用による恐ろしい破壊が日米双方の心に焼きついていた。

当時、将来の国際関係についての議論を牽引していた物理学者のアルバート・アインシュタインは、この時、「原子力の使用はあらゆることについての私たちの考え方を一変させました。そして、これが私たちを未曾有の大惨事へと向かわせているのです」と論評した。

テクノロジーの進化が、戦争を、国際問題を解決する手段としてもはや行使しえないほどに破壊的なものにしており、新しいシステムが必要だとアインシュタインは主張した。彼は日本の憲法起草に直接関与はしていないが、彼の著作と思想は国連の設立に先立つ議論に大いに影響を与えた。

かろうじて、私たちはどうにかこの七〇年の間、核兵器のさらなる使用を回避することができたが、アインシュタインの懸念は今日においてより重要なものである。技術はムーアの法則として指摘されるように幾何学的な加速度で発展し、そのため人類にとってより危険な技術が次々に開発され、コンパクトな核兵器、無人爆撃機のような非人道的な兵器などのコストは低下し、国家だけではなく武装グループや個人さえも、それを入手することが不可能でなくなる日も遠くないだろう。このような兵器に軍事的に対抗することは難しい。唯一の対抗策は、製作を全面的に禁じることしかない。

大規模な武器備蓄は、テロへの対応として、警察の行動と比較してもあまり効果がないことは明らかである。イラク戦争以来のアメリカの軍事作戦が、かえって周辺諸国とアメリカの安全と治安を害しているという認識にも間違いはない。

世界最大の軍事大国アメリカは、他のすべての国家の軍事費の合計を上回る軍事費を支出している。しかし、アメリカは歳入減少のときを迎えている。

伝統的な形の軍事力の使用が従来の安全保障上の懸念を解決するのに効果がないことが証明され、イラク、アフガニスタン、リビア、シリアへの武力行使は比類のない惨禍を生み出した。問題は軍事戦略が間違っている、ということではなく、グローバル化し、相互につながりあったこの世界にあって、紛争を軍事作戦という手段によって解決するのは不可能だということだ。この状況のもとで、日本国憲法の思想は実効性を増している。

アメリカが平和憲法を採用することによって、世界中で緊張は減少するだけでなく、さらに根本的な問題であるアメリカの経済システムの中心的な歪みに対処することで、世界経済を変えることもできる。すなわち、経済活動を発生させる手段としての軍事の使用のことである。

私たちは今、根本的に優先順位をあらため、気候変動への対応をすべての経済および安全保障計画における主要な関心事とする必要がある。そうしなければ、人類は大量絶滅というリスクに直面する。

私たちが存続していくためには、次の認識を共有することは必要である。すなわち、個人や団体による誤った暴力への効果的な対応は警察力と司法によるものであるということ。そして、これまで軍備などに用いられてきたものも含めて、その他のすべての資源を気候変動の緩和とこれへの適応に捧げなければならないということだ。将来起きるかもしれない紛争の可能性のために巨大な空母や新型兵器を製造し、膨大なエネルギーを用いてそれらを維持していくような贅沢は、もはや私たちには無意味なことなのだ。その点で、日本の憲法九条は素朴な平和主義ではない。現在の国際社会の現実に則した現実的な選択肢なのである。

ちょうど六〇年前、バートランド・ラッセル博士とアルバート・アインシュタイン博士をはじめとした指導的知識人たちが、共産主義陣営と反共産主義陣営による世界戦争へと向かう歩みを非難する宣言を作成し、これに署名するためにロンドンに集まった。この宣言の署名者の中にはノーベル賞受賞者の湯川秀樹とライナス・ポーリングも含まれていた。

彼らは当時、アメリカとソ連を席巻していた核兵器使用についての無謀な議論、そして戦争へと向かって突き進むことが全人類の脅威であると主張することを躊躇しなかった。そして、宣言の中に技術の進歩、すなわち原子爆弾の開発が人類の歴史を変えたと記したのである。

「ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、おそらく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?」

最近の動きをみれば、それよりも危ない政治情勢にもなっている。いまこそ行動する時である。

アメリカが平和憲法を採用するということは、現実的な課題であり、ノーム・チョムスキー博士の言う「覇権と生存の選択肢(hegemony or survival)」である。

早期に議論の転換を

今後二〇年の間に、人類の活動を気候変動に焦点をあてたものに変えていく必要についての諸合意があるであろう。しかし、私たちがそこにたどり着くまでの合意プロセスの進行が遅すぎるならば、悲劇的な事態は避けられない。

気候変動こそ、最大の安全保障上の脅威である。私たちは今、存続のためには、安全保障のためのきわめて合理的なアプローチを推進するよりほかない。アメリカが平和憲法の価値を認めることは、その一歩となろう。

最大の障害は、経済的かつ政治的にパワーを持つ軍需産業の存在である。特にアメリカではその傾向が深刻であるが、日本などの国々ではそのアメリカの影響が大きい。

アメリカ経済の歪みは深刻であり、国際的なアメリカの軍事的関与は逆効果をもたらしている。

現在のシステムを受け入れている人びとに対し、気候変動の脅威が、選択の余地がないほど大きい問題であることを説得力をもって主張する必要がある。既存の政治的対立を超えて議論を進めていく必要がある。

大きくなりすぎた軍隊は軍自身にとっても恐ろしい脅威であり、少なくない兵士や将校が、自分たちが制御不能の怪物のような状況に置かれていると感じている。軍内部には、気候変動が最も重要な安全保障上の脅威であることを認識している専門家も少なくない。そうした専門家を交えて、国家が重大な危機状態に達した時に採用されるべき軍の機能と構造の根本的な変更への提案を検討する必要があろう(軍からすべての資金を取り上げ、これを別の機関に与えることは、とりわけアメリカにおいては政治的次元では非現実的である)。そして同時に、そのような転換を実行することができない人びとに対して有効な議論をしていく必要がある。

たとえば、私たちは、将校たちが精通している専門用語と論理を使って、今アメリカ国防省が公表している四年毎の国防計画の見直し(Quadrennial Defense Review)への代案を提示し、具体的に軍事予算をどのように気候変動に対する対応と予防に使うのかを詳細に検討するべきだ。

そこでは軍隊の旧来の伝統的な存在様式についても根本的に再検討がなされなければならない。気候変動への対応が最優先の課題であることを考えれば、海軍が持つべきは巨大な空母や艦載機ではなく、最新鋭の海洋調査船である。気候変動の海洋生態系への影響がどのようなものであるか、その知的空白の部分は、アメリカの海軍が用いている膨大な資金とエネルギーとをそれに振り向ければ、速やかに埋められていくであろう。

こうした提案が、まさに安全保障問題についての議論であることを、旧来の枠組みにもとづく議論に慣れた人々にも納得してもらわなければならない。

軍の真の役割

平和憲法は私たちに軍の役割について深く考え直すよう要求する。それは個人や小さなグループによって成し得るものではないが、むしろそれは結果ではなく、プロセスでなくてはならない。気候変動が最大の危機であることが常識になるまでに多くの努力が必要である。人類の生存の脅威に焦点をあてた、地球規模の軍事システムの新たなビジョンを示すための創造性が必要である。

軍隊の存在する目的を、人びとを殺害することだけに限定することはない。軍は、人々の利益のために自分を犠牲にする献身的な個人の規律化された集団である。重要なことは、何を目的として献身するのか、という点である。

気候変動への対応には、まさにそのような献身的でパワーのある集団を必要とする。

一九五五年四月一八日に死去する数日前、アルバート・アインシュタインは哲学者のバートランド・ラッセルとともに、「ラッセル-アインシュタイン宣言」として知られるようになった文書に署名した。六〇周年を迎えたこの注目すべき文書には、単純な平和主義は説かれていない。その内容は、安全保障問題の原因究明に専念するあらゆる思慮深い軍人にも完全に理解できるものである。

この宣言には今日においてもなお当時と変わらない重要性をもつ、以下のようなメッセージがある。

私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか? 私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

これをもって、アメリカの平和憲法、そして新たな文明の到来を告げるための出発点としようではないか。


この記事は『世界』(岩波書店)2015年12月号に掲載された原稿を、著者の許諾を得て転載しました。