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日本には技術よりも科学的思考が必要

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日本人は様々な状況において、自国が成し遂げた最新の技術革新を誇ったりする。また、時には他の国が支配する技術をうらやましがったりもする。私はこの10年間、日本の研究機関と協業して、日本社会を監察してきた。その結果、日本における最も深刻な問題は技術不足ではなく、科学的思考の衰退だと確信が持てるようになった。

最新の自動車やロボットは日本人には何か奇跡的なものとして感じられるようである。このような感覚は技術的な成就に畏敬の念を吹き込むのだが、既存の思考に安住してしまい、批判的な分析能力を急速に低下させてしまう。スマートフォンが政府や経済にどのように作動するのか、その原理を理解しようと試みなければならない。

日本メディアの流すニュースに対しても、視聴者は面白くないものには興味を示さず、複雑なテーマも単純化して一行の文章に要約できると考えている。もちろん、短いプログラムを撮影して編集するのに使用する技術は最先端のものである。

卓越した広帯域サービスのおかげで、日本では最新のスマートフォンでプログラム(動画)を即時に視聴することができるようになった。脳の部位には思考を司る部位と感覚的な刺激に反応する部位とがあるが、前記したような状況において、エンジニアたちは前頭葉皮質を活用して、相当な思考の過程を経なければならない。しかし、メッセージが伝わる所は、感情的な反応を処理する、扁桃体に代表されるような原始的な機能を備えた脳の部位である。

日本の国民は教育、マスコミ、政策の決定が科学的方法で厳しく規制されることを強く要求しなければならない。それは日本社会の階級の下部に属する国民の利益の為に必要な規制だからである。

科学的方法論は身の回りの社会問題を慎重に監察して、仮説を設定することを要求できる。ある方法を用いて社会に働きかけた場合において、世の中がどのように作動するのかを説明するためである。その次に、仮説が一貫性を持って当てはまるのかどうかを調べる研究をして、仮説を検証する。仮説が検証されれば、物理的な世界、社会、経済が理解できる原理を樹立することができるのである。

しかし、マスコミは視聴者にあらかじめ作っておいた解釈を提示する。事案の複雑性に対する論理は取り扱わない。プログラムはあらかじめ決定した感情的な反応を得るために作られるのである。

仮に技術装置の使用手段がガバナンスや経済を理解するための科学的接近法としては国民の利益のための目的から遠ざかっていくのならば、コミュニケーション技術の使用法に制限を加える必要があるではないだろうか。国民が国の未来を真摯に討論して、いくつかの事案の複合性を最善を尽くして理解するためである。科学的方法論はさらに多くの技術開発をするよりは技術が社会に及ぼす影響を評価するために使用する必要があるのである。

しかし、このような主張に反対する人もいるであろう。とりわけ若者たちが面白がらないテーマや理解しがたいテーマに興味を向けさせるのは不可能だと主張するであろう。日本人には複雑なテキストを読んだり、深い討論をする忍耐心はないというのである。

習慣は変えられないとか主要なイシューについて合理的な討論が可能でない時代に生きていると断定することは非倫理的である。

仮に合理的な思考の欠如が問題だと認識するのならば、この問題に集中しなければならない。合理的な思考を奨励することは新型スマートフォンの発売よりも非常に重要である。

私にとっては地下鉄で新聞を販売しなくなったことや、乗客のほとんどが政策や経済に関する記事を読まなくなり、ゲームをしているという事実の方が衝撃的なことである。

このような危険な時代の流れは積極的に介入して立て直さなければならない。いや、可能である。義務的に複雑なテキストを読んで分析する教育関連法を制定することもできる。そうすれば、「注意持続時間」を各々に長時間維持させる事ができ、そうすることにより現事案に対して深い論議を導くことができるであろう。とりわけ若者たちのスマートフォン利用時間を制限する措置を取ることもできる。社会的教養を復活させて、科学的方法を政策決定過程の中心に据えるためである。

現在、新聞は権力を振るう政治家の写真や世論調査の結果で埋め尽くされている。このような報道はニュースではない。大衆が政策を理解する上では役に立たない。

国会で審議中の法案や法案をどのように施行するべきかについての詳しい説明は見えてこない。読者の中にはその分野には関心がないという人もいるだろう。もしよい政治を望むのならば、むしろ、どのようにすれば大衆の注意持続時間が増えるのか、また、政策の細かい事項にまで関心を持たせることができるのかを考えてみなければならない。

社会に対して関心がなく、現案についていくつかの解釈を想定して討論しなければ、そして、イメージではなくイシューに集中する解決策に至ることができなければ、うわべだけが英雄で、実際には卑怯な決定をする人を指導者にしてしまうことになり、技術の未来は暗いであろう。