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「ぼっち飯」なんて気にしない。人生を豊かにしてくれる3つの理由。

2017年06月13日 23時24分 JST

あなたはひとりで食事をするのに耐えられない人でしょうか。「ひとりご飯」に気詰まりを感じる、「ひとりご飯」を避けるために試行錯誤をしている、はたまた「ひとりご飯」を病気のように恐れている、なんてことはありませんか。

そうした人たちは、マリ・シュニーガン氏が発案したランチアプリケーション「Never Eat Alone」に関心を持っているかもしれません。

このアプリはその名の通り、同僚同士のランチタイムを企画し、もう「ひとりご飯」をしなくて済むように、手助けしてくれるというものです。こうしたアプリは、社内間の交流促進という点で間違いなくメリットを生んでいるのでしょうが、それでもわたしは「食事は必ず複数人でとるべきだ」という固定観念に疑問を投じたいと思います。

■「誰かと食べる」が普通。ときには必須条件に

同僚とのランチタイムは、たしかに数多くの利点があります。

最近の調査によれば、フランス人の56%がランチタイムを「リラックスのひと時」と捉えていて、また80%が同僚とランチに行くと答えています。

ランチの平均時間は52分でした。お互いをよく知るための、肩の凝らない時間。複数人で食事をとることの利点はこんなところにもあります。驚くことはありません。なぜなら食べることは、生物的欲求(栄養を取る)だけでなく、心理的欲求(楽しむ)や社会的欲求(集まる)も満たすからです。

このように他人と一緒に食事をするのは、私たちが自らの社会的な部分に誇りを持つことを可能にしてくれます。食に関する文化地理学の専門家ジル・フュメイ氏の言葉を借りれば、それは「とりわけ社会的な行為」でさえあるのです。同僚と食事をすることは何かしら人を安心させるものがあります。なぜならそれは、

・「社会と交わっている、グループの一員である」という考えの中で私たちを強くし、またそこで私たちは「溶け込んでいる、含まれている、囲まれている」という感じを抱くから。

・「何も失敗していない」「そのコミュニティの中で言われ意図されていることをコントロールしている/コントロール下にある」という感覚(あるいは幻想?)を私たちに与えるから。

■ひとりで食べることの難しさ

ひとりで食べるということは、良くて「変わっている」、ひどいと「惨めで悲しい」と思われがちです。

上司が同僚との食事を熱心に勧めることもあります。彼らは「ランチタイムを生産性向上のため使うように」と促します。

こうして見ると、また「人間は社会的な生き物である」という原則からすれば、ひとりで食事をするということは、「成功している」人がランチタイムにとる習慣ではないということになりますね。

さらに集合的無意識のなかで、食べるという行為は必然的に複数人でするものとなっています。

また多くの伝統で、「ひとりで食べることは強い異常性を暗示することさえある」とまでされ、まるで孤食者は共生の枠組みから排除されているかのようです。少なくとも哲学者のジャン=セバスチャン・フィリパール氏はひとりで食事をする人の3つのタイプを挙げています。「隠者、未開人、狂人」。いやはやこれだけとは!

■多くの人がひとりで食事をとることを心配し恐れている、また彼らは…

・孤独を埋め、平静を装い、あるいは自分自身から目を背けるために、普段からさまざまな逃げ口(テレビ、タブレット、携帯電話、あるいは本)に頼る。

・「ソーシャル・イーティング」(自分の食事中の姿をSNSで投稿したり、動画配信したりする最近のトレンド)を試みることも。

・一緒に行く人がいない時には、レストランに行くのを避ける。これは他のお客さんたちが、ひとりで食事をとっとている人を見て戸惑い、憐れみや不可解のまなざしを投げてしまうからだ。

■「ひとり」か「気詰まりな他人と」か

とはいえ、どこでもそうですが、ひとりで食べることは誰かと食事をして気まずい思いをするよりずっといいのです。

日常生活で、とりわけ勤務中、ランチタイムが非公式の会議の場となり、食事の席に仕事が持ち込まれることは珍しくありません。また時には、同僚と食事を一緒にしたくない、あるいは単に他人と会話する義務から離れてひとりになりたい、ということもあるでしょう。

幸いにも、私たちはひとりで食べることができます。

わたしはこの点について美食批評家の フランソワ・シモン氏の考えに100%賛成です。

いわく、「あなたが楽しく過ごすのを妨げる対面者のことで、頭を悩ませるより悪いことはありません。かたやひとりであれば、あらゆる感覚が倍増します。お皿が運ばれるのを見る、観察する、詳細をメモする。その一時を、思う存分生きることができるのです」。

■ひとりで食べることの利点

もしあなたが付き合いの悪い人間と見なされ、社会不適合者とレッテルを貼られるのを恐れている(ああ、何と他人の目を気にしなければいけないことか!)のであれば、ひとりの食事には、こんなにも利点があるということを知っておいて下さい。

・試飲・試食をゆっくり楽しみ、料理の味を十分に味わい、自分の満腹具合を気遣うことが簡単にできる。

もちろん誰かと一緒にいてこうしたことが不可能なわけではありませんが、会話の気晴らしや楽しさは、料理を味わうことから私たちを背けてしまいがち。ひとりであれば、私たちは食に対する感覚や食べる喜びに集中し、注意深くなることができます。自分ひとりだけで「食」を楽しめるようになるということ(自分で食事を準備する手間を厭わなかったり、自分だけのために盛り付けにこだわったり)は、私たちが自分自身という同伴者を尊重し、自分が自分であることとうまく付き合えている印なのです。

・自分のために時間をかけ、身の回りで起こっていることに対するスピード感覚を緩め、しばしばそれらを観察することを可能にする(ちょうど劇場の中の観客になったように)。

自分自身に立ち返る必要があるとき、グループから一旦出ること、ひとりで食べることは有効になることがあります。

・自己理解を深める。

アメリカのジャーナリスト、シムラン・セティ氏の体験がその証拠です。彼女はその著書『パン、ワイン、チョコレート』のなかで、ひとりの食事から学んだことがいかにして彼女の人生を変えたかを述べています

セティ氏はそれまでレストランで一人で食事をすることを許していなかった自分に気づきました。なぜなら独身の身だと、気がつかないうちに、それをするために「2人である」という状態を待ってしまっていたからです(「一緒に食事をしてくれる誰かを待ち続けていたせいで、食を本当に味わうという機会をわたしは自ら奪っていました」)。

ところがひとりでの食事を実践してからは、「自分の人生を歩んでいるという実感を持ち、他者に自分を示すことができるようになり、ありのままの自分とうまく付き合えるようになった」、つまりは単純に、自分を大切にできるようになったと彼女は言っています。

このように、ひとりで食べるということは、欠点や罰ではないということをぜひ覚えておいてください。

それは単純に、十分に保証され、ときには喜びに満ちた一つの選択肢なのであり、私たちが自分自身と結んでいる絆の質を証言するものなのです。

もちろん、気の合う仲間と食卓を囲み、ともに飲み食いする喜びを分かち合うこともまた素晴らしいものに違いありません。

常にそうであるように、結局のところ大切なのは、自分の欲求に耳を澄ますこと、自分に立ち返る時間を確保し、現時点で自分にとって正当だと思えるものを感じられるようにすることです。

他人の言うことや、他人の期待に順応するよう私たちにしつこく課される必要性といったものに、大した意味はありません。要するに自己の解放が求められているのです。

ハフポスト・フランス版より翻訳・加筆しました。