女のコンプレックス、実は社会のバグかも。 ジェーン・スーと脳科学者・中野信子の本音

「私達はコンプレックスへの刺激によって、社会に動かされている」
(左から)コラムニストのジェーン・スーさんと脳科学者の中野信子さん
(左から)コラムニストのジェーン・スーさんと脳科学者の中野信子さん
ERIKO KAJI

「自分に自信が持てるようになったのは、37歳くらいのとき」

「なぜならそこでようやく『女らしさ』という社会規範から降りることができたから」

コラムニストのジェーン・スーさんと脳科学者の中野信子さんは、対談集『女に生まれてモヤってる!』のなかで、そう口を揃える。

今抱えているコンプレックスは、本当に「あなた」のせい?

もしかしたら無駄な初期設定=社会のバグのせいでは?

女とコンプレックスの本当の関係とは? どうすればコンプレックスを前へ進むエンジンに変えられるのか…。実は、ただ「待つ」のがコンプレックス解消に有効なのはなぜか。

パーソナルなものと思われがちなコンプレックスが、社会とどのように結びついているのか、スーさんと中野さんが語り合った。

ジェーン・スー

1973年、東京都生まれ。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』で第31回講談社エッセイ賞受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』『私がオバさんになったよ』など。

中野信子(なかの・のぶこ)

1975年、東京都生まれ。脳科学者、医学博士、横浜市立大学客員准教授。東京大学工学部を卒業後、東京大学大学院医学系博士課程を修了。フランス国立研究所ニューロスピンで博士研究員として2年間勤務後、現在は脳科学の研究と執筆活動を行う。著書に『脳内麻薬』『サイコパス』『メタル脳』『キレる!』など。

悩みやコンプレックスにはパターンがある

ジェーン・スーさん
ジェーン・スーさん
ERIKO KAJI

ジェーン・スー(以下、スー):私がパーソナリティをつとめているラジオ番組には「お悩み相談コーナー」があるんですが、リスナーからのいろんな悩みを聞いているうちに、悩みやコンプレックスのパターンって、実はそう多くはないんだと気付きました。突き詰めていくと、わりと分類できてしまう。

「悩みではなく、問題。つまり、しかるべき機関に頼って解決しなきゃいけないこと」「リスクをとって状況を脱け出す勇気が満たない状態」「わがままと悩みを取り違えている案件」とか。

中野信子(以下、中野):背中を押してほしいんでしょうね。

スー:それそれ。悩んでいるうちは、ひとりでコストを背負う勇気が、まだないんだと思います。あと、いくつかの要因が複雑に絡み合っている状態、というのも多い。それに対して、私は具体的な解決策を提案するわけではないんですね。

基本的には交通整理を心がけています。だって、悩んでいるときに「超・建設的な解決策」を、さも簡単なことのように提案されるのって嫌じゃないですか? だから共感できるポイントを探して、相手の気持ちに寄り添うようにしています。

中野:でも悩みやコンプレックスって、年齢を重ねると意外に楽に処理できるようになっていきますよね。

『女に生まれてモヤってる!』でも話していますが、ライフサイクルのうちで人間は10~20代の脳はあまり自信を持たせない仕組みになっているんです。おそらく不安な感情が高いほうが、圧倒的に学習効率がいいという理由からでしょう。

スー:自信満々だと、学べないってことですね。

中野信子さん
中野信子さん
ERIKO KAJI

中野:10代と40代の脳は違うんです。10代の脳では不安を増幅させるような回路があるんです。40歳前後ではもうその機能はない。すると、たいていの人は自然と落ち着いてくるし、コンプレックスで悩むことも減ってくる。

スー:ラジオでよく「執着筋」という言い方をするんですけど、年齢を重ねるごとに、ものごとに執着する筋力って弱くなっていくと思うんですよ。執着筋が弱くなると、自然とコンプレックスの数も減ってくる。だから無理して「コンプレックスを乗り越えよう!」なんて頑張らなくてもいんじゃないかな。

もちろん、乗り越えようとする努力は尊いと思いますよ。乗り越えられた経験は、自信にもなるし。でも、私の場合は「自分のこういうところが駄目だ、嫌だ」とブツブツ言いながらも放置していたタイプのコンプレックスは、37を過ぎた頃から、自然と減って楽になってきた。全滅はしていませんが、だいぶ減った。

中野:私も同じですね。それまでは「自分が周囲から浮いている」ことが良いことなのかどうか、悶々としていた。悶々としながらも、今やるべきことをやるしかないと自分に言い聞かせながら、なんとかやり過ごしていました。

解消しようと足掻くこともひとつの手です。けれど、その局面をやりすごす、「待つ」という選択肢もあることは知っておいてほしい。

スー:本当にそう。悩みの渦中にいるときは「待つしかないのかよ!」と焦ってしまう苦しさがあるのも理解できるけど。

中野:もちろん有効な手段があるのなら、実行していけばいい。ただ、期待するほど効果のあるものはあまりないんですよね。

スー:誰かのわかりやすいアドバイスぐらいで、簡単には変わらないですよ。考え方って生活習慣だから。

「ダイエットしたいなら魚と野菜中心の食事にするといいよ」「コミュ力が低いならどんどん話しかけていこう」ってさぞ簡単なことのように語られても、「お前はできるかもしれないけどな!」という話でしょ。食の嗜好やコミュニケーションの仕方なんて、長年培ってきたものだから。

「女はこうあるべきだ」の初期設定は、社会のバグ

スー:「みんなと一緒じゃないと不安」というのも、私が抱えていたコンプレックスのひとつでした。学生時代って、周りと同じものを持っていたほうが楽だったじゃないですか。で、無理して合わせていると、どんどんつらくなってくる。

私が子どもの頃に言われた「そんなんじゃお嫁にいけないよ」は、女らしさと言われるものに対するコンプレックスの生みの親ですね。お嫁にいけない=女として価値がない、という刷り込み

でも、「みんなと同じじゃなきゃ」も「女らしくなきゃ」も、根拠のない刷り込みを取っ払っちゃえば、「はあ???」で済ませられることでもありました。

たとえば、料理が上手い女性に「料理が上手だね」と言えばそれで終わりですが、「いい奥さんになるね」と続けられると、それを聞いていた別の女性が「ああ、料理が下手な私は、いい奥さんになれないのか」とコンプレックスに感じてしまう。逆に、たんに料理が好きでやっているだけなのに、“いい奥さん”と評価されてしまうことに違和感を覚える人もいるわけで。

そういった刷り込みや、「女の幸せってこうだよね」「女はこうあるべきだ」と言われているような設定は、社会のバグみたいなものですから。全部ポンポンポンッて引き抜いていけたらいいですよね。それは男性も同じです。

軽やかに次々とポーズと決めるおふたり
軽やかに次々とポーズと決めるおふたり
ERIKO KAJI
ERIKO KAJI
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コンプレックスは他人に利用されやすい

スー:コンプレックスはパーソナルな問題だからこそ、他者から非常に利用されやすいものでもありますよね。

たとえば、コンプレックス商法がそうです。世間には「そのままのあなたで、大丈夫?」というような、脅しのプロモーションが、男女問わずたくさんある。

中野:コンプレックスによって、大衆を操作しようとする人もいます。(ナチス・ドイツの)アドルフ・ヒトラーは、ホロコースト(ナチスによるユダヤ人大量虐殺)という人類史上消えない汚点を残しました。それは彼自身の(生い立ちや弱々しかった外見など)根深いコンプレックスに起因していると指摘する人がいます。個人のコンプレックスは、多くの人を犠牲にする大事件を引き起こす原因になることがあり得るという端的な例でしょう。

スー:コンプレックスをバネにして、まっとうに頑張る人ばかりじゃないということですね。コンプレックスを刺激すれば、人の心をくすぐったり煽ったり動かしたりするのは簡単。自発的に動いたつもりが、実は外部からコンプレックスを意図的に刺激されただけだった、ということもありうる。

私達はコンプレックスへの刺激によって、社会に動かされている、とも言えますね。その構造自体は変えられなくても「そういうこともある」と自覚はしておいたほうがいいなとは思います。

中野:「自分はここを弱みだと認知している」ということは自覚しておく必要がありますね。そうでないと、簡単に誰かに操作されてしまう。

自分の思い通りに他人を操作しようとする人と、あるコミュニティで一緒になったことがあります。その人は私の心に入り込もうとして、こんな風に近づいてきましたね。「あなたは普通の人には理解されないでしょう?」って。

スー:うわ、きた。詐欺師の常套句だ。

中野:「でも僕なら、あなたの気持ちがよくわかる」「僕もずっと孤独でした」「あなたにはきっと僕が必要だ」ってメッセージが延々と送られてくるのね。

最初のうちはもちろん本気にしませんよ。でもいくら「もうこういうのやめてください」と返しても「認めると崩れてしまいそうになるのはわかります。あなたと僕はよく似ている。あなたにはきっと僕が必要でしょう。僕もです」と追い打ちをかけてくる。

そしてその人は私の興味や関心をよく調べていて、話題を私の水準に合わせて来られるだけの、知能の高さも持ち合わせている。

ゾッとしましたね。何が怖かったというと、心が動きそうになる自分を知覚できてしまったことが一番怖かった。確かにそれだけの知性の持ち主にはなかなかお目にかかれるものではないし、2週間も3週間も、毎日のように言い続けられると、だんだん「もしかしてそうなのかな」って思ってしまう自分が出てくるんですよ。

スー:「あなたはこうだ」と繰り返されると、信じたくなってくる心理ですよね。そもそも、切羽詰まったコンプレックスを、あっという間に「ないもの」にしてくれる、もしくは価値のあるものに転換してくれる人なんていないのに。

コンプレックスは、誰かをコントロールする手綱にも、自分を上手く走らせるための燃料にもなりうる。すごく着火しやすい火薬だから便利なんだけど、暴発することもある。取り扱いに注意が必要ですね。

中野:もしこの記事を読んで同じように連絡を取ってくる人がいると困るので念のため言っておきますが、そのあと私へのメッセージは全部マネージャーさんに流れるようにしましたからね。直接、私が読むことはありません。

スー:あることないこと言って印象を操作したり、誰かを焚き付けたりするのがうまい人って、どこにでもひとりはいるでしょう。そうやって他者をコントロールしたがる人たちに、(自分の)コンプレックスを利用させないようにしないといけないですね。

中野:あえて相手に食わせる、という手もアリだと私は思いますけどね。契約関係の駆け引きに近いけど、うまく生存戦略をデザインできるかどうかはその人の知性だったりする。コンプレックスのうまい飼いならし方、扱い方を私達は学んでもいいんじゃないでしょうか。

そのためには、自分のコンプレックスを言語化できるようになっておいたほうがいいかな。

「変えようがないもの」もある

ERIKO KAJI

中野:一般的なコンプレックスって容姿にまつわるものが多いですよね。容姿そのものは可変、意外と努力が実る領域ではあるんですね。ダイエットが成功するとか。それはまあ一時的なものかもしれないけれど。

ただ、もっと変えようのないものがある。例えば、その民族に生まれた、親が自分の納得できない宗教をやっている、家族に犯罪者がいる、など。

スー:性別もそうですよね。女に生まれること、男に生まれること。どちらも自分では選べない。「女である」ことがコンプレックスの根源になっている場合もあるし。

中野:そういった、努力で変えようのないことはどうしたらいいのか、という問題についても長らく語られてきましたね。変えようがないことに対する悩みやコンプレックスは、簡単に消えるものではない。

でも、そのことによってもたらされた苦しみやきしみによって、可能性が花開くということもある。

たとえば、異能や天才と呼ばれた科学者やアーティストには、「きしみ」があったからこそそれを何とかしようとモチベーションを上げることのできたフェーズがある。ネガティブなものがあったからこそ、才能を輝かせることができたといってもいいかもしれない。それはどの領域にも共通することです。

人生にモヤれるのは幸せなこと

対談集『女に生まれてモヤってる!』
対談集『女に生まれてモヤってる!
ERIKO KAJI

中野:人間の一生なんてたかだか数十年、長生きできて100年でしょう。46億年の地球の歴史から見たら、100年なんてほんの一瞬、そういう話を一度は聞いたことが誰にでもあるんじゃないでしょうか? そんな短期的な評価軸の中で、同時代の人だけにしか騒がれない「勝ち組」になっても、ねえ……。

スー:「自分の人生100年間のうち、1分も損をしたくない」という考え方も、もちろんわからんでもないですが。同時に、視点を変えれば、中野さんのように、「100年は一瞬」という俯瞰の目で人生を捉えることもできるんだと思うんですね。

ただ、私も中野さんからそういう視点や知識を教えてもらってから、少し肩の荷がおりた部分もあるんです。門外漢だと敬遠しがちなジャンルの知識ほど、コンプレックスを別の視点から見るきっかけにもなるんだと知りました。

中野:そういう活かし方ができるようになったらいいですよね。知識は、コンプレックスを力にするための触媒のようなものだから。

スー:(コンプレックスが)絶対になくならないバグなんだとしたら、他人に簡単には使わせない、自分で上手く使う、という方向に持っていったほうがやっぱりいいでしょうね。

中野:そういう社会のバグについてスーさんと私で語り合ったのが、まさに『女に生まれてモヤってる!』ですが、この「モヤってる」は「よかったね」という意味でもありますからね。

スー:というと?

中野:お花畑のような幸せではない。でも悩むことができたこと。その喜びの作用という意味での「モヤることができてよかったね」です。ちょっとパラドキシカルなのが面白いでしょう。

走りはじめると思ったら...
走りはじめると思ったら...
ERIKO KAJI
おふたり揃って、左手を掲げてくれました。
おふたり揃って、左手を掲げてくれました。
ERIKO KAJI

(取材・文:阿部花恵 写真:加治枝里子 編集:笹川かおり)

コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。
コンプレックスを突きつけられるような場所、人から逃げる人。
自分の一部として「愛そう」と努力する人。
お金を使って「解決」する人…。

それぞれの人がコンプレックスとちょうどいい距離感を築けたなら…。そんな願いを込めて、「コンプレックスと私の距離」という企画をはじめます。

ぜひ、皆さんの「コンプレックスとの距離」を教えてください。

現在、ハフポスト日本版では「コンプレックス」にまつわるアンケートを実施中です。ご協力お願いします。

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