東京生まれ東京育ちの慶應生が青森の農家に飛び込んだら…。ショックの連続で世界の見え方が変わりました。

青森で出会った21歳の男子が、「意識高い系」大学院生の私に投げかけたもの

東京生まれ、東京育ち。いつも進むべき道は明確だった。

中学受験・大学受験を勝ち抜き、誰もが知っている企業に就職。”売れ残らない”うちに結婚して、子育てとキャリアを両立する。給料と社会的地位は、なくてはならないものだと思っていた。

そんな私が、最寄りのバス停まで歩いて30分もかかる、ど田舎の農家に10日間滞在した。そこには、今まで想像すらしたことのなかった「その日暮らし」の充実があった。

同じ国の中にいても、決して普段交わることのない人がいる。私の見たリアルを、紹介してみたい。

「田舎体験」を求めて青森の農家へ

5月、弘前駅から車で1時間ほど走ったところにある、シライさん(仮名)夫婦の経営する小さな農家にたどり着いた。元中学校教諭という旦那さんと、酪農家出身の奥さんの二人が経営し、人参やトマトなど多種多様な野菜を季節に合わせて栽培し、個別に販売している。10日ほど滞在し、朝5時半起きの農作業生活を共にした。夫婦は小学生になる二人の子供たちと一緒に、水道もガスも通らない家で、日々を暮らしている。

「WWOOF(ウーフ)」という、農家と滞在希望者をマッチングする仕組みを利用して探し当てたのがこのお家だ。これは世界で展開されているサービスで、日本人が他の国の農家に滞在しにいくこともできる。私が青森の農家に滞在していた時にも、フランスやオーストラリアから、日本観光の一部として、日本の生活を体験しにきている旅行者と一緒になった。

なぜ、私が青森での農業体験をすることになったか。

それは約2ヶ月にわたるインドのNPOでのインターン生活に起因している。

インドの中では、比較的保守的なエリアに滞在して、自らを「中流階級」と名乗る人たちと一緒に時間を過ごした。いわゆる日本の”高学歴エリート”とはまた違う、インドの中の裕福な人たち。同時に、圧倒的大多数の「そうではない人たち」の暮らしも目の当たりした。

インドという異国で、国内に横たわる多様性を目にした私は、「日本はどうだろう」と考え始めた。

私がみてきた「日本」というのは、都市部のごくごく一部だけなのではないか。

私は日本の「多様性」に気づけていないのではないか。

もっと日本の中にある、別の暮らしや価値観を見てみたい…そう思うようになった。

せっかく滞在するなら、できるだけ都市部から離れたところ・・・と思い、ウーファー(ウーフの利用者を「ウーファー」と呼ぶ)の受け入れ農家のリストをめくっていると、岩木山の山の麓に、いかにもハンドメイドな雰囲気の家が立っている写真を見つけた。夫婦が何もない状態から開墾したという農場は、いかにも“世間離れ”していて、私の希望にぴったりのように感じた。それがこの弘前の農家を選んだ理由だ。

弘前の農場
弘前の農場
著者撮影

「有識者」には見えていない世界がある。

私ができるだけ田舎に滞在してみたいと思った、もう一つのきっかけがある。それは、昨年20代の若手としてお声がけいただき委員として参加した、文部科学省の有識者会議で出た、ひとつの「問い」だった。

政府が提唱するIoTやAIの浸透により実現されるSociety5.0の時代に向けて、これからどんな教育をすべきなのかをざっくばらんに話し合う会議。

変化する時代に合わせて、教育はどう変わっていくべきなのかを検討していた。有識者には、大学の副総長や大企業の役員など錚々たるメンバーが名を連ね、いかにしてAI時代を牽引するエリートを育てるか、議論が白熱した。

ここで飛び出したのが、全ての人にこのような教育を提供すべきなのか? という問いだった。

本当に全ての人がAIを使いこなせる人材になるべきなのか?

全ての人がグローバルに戦えるスキルを身につけるべきなのか?

全ての人がAI時代に対応した”エリート人材”としてグローバルに活躍せずとも、生まれ育った地域で、安定した暮らしを送るという選択肢もまた尊重すべきであろう、と。

「エリート人材」のイメージ写真
「エリート人材」のイメージ写真
edhar via Getty Images

会議では、地域に根ざした人材に関する項目も付け加えられた。「Society 5.0 に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~ 」の報告書の中では、「地域の良さを学びコミュニティを支える人材の育成」という項目が加えられている。

正直私はここで指している「コミュニティを支える人材」というのがピンとこなかった。本当にその地域だけにとどまっていて満足できるのか、もっともっと給料のいい仕事を求めたり、新しい人との出会いを求めて外に出たくなったりはしないのだろうか。地域の良さを学べと言われても、なんだかその土地に貼り付けられているような、窮屈さを感じたりはしないのだろうか。

私が知っているのは、東京で小学生の時からせっせと塾に通い、早慶東大を目指し、少しでも良い就職先にいくために努力する人生だった。社会の流れを敏感に感じ取り、最先端の情報を学んで、旅行や転職で軽やかに居場所を変えてこそ、自分の納得のいく生き方に近づけると思っていた。

この議論で上がっている人たちの生き方が、完全に私の想像を超えていることにもどかしさと恥ずかしさを覚えた。

会議の委員として、少しでもこの国に暮らす人たちの人生に影響を与えうる意思決定に関わる上で、全く地方のことを知らずに意見することの危うさを次第に強く感じるようになった。

ちょうどそのあと、先ほど触れた2ヵ月のインド滞在があり、その思いはますます強くなった。帰国してすぐにウーファーのサイトを訪れ、グーグルカレンダーで空いている日程を確保し、10日間滞在する農家探しが始まった。

「キャリア教育」の言葉にポカーンとされてハッとする。

農業体験の様子
農業体験の様子
著者撮影

10日間の滞在は私の想像を超える日々だった。私が知らなかった日本の“顔”に出会う日々。

滞在先の農家には、夫婦の他に修行農(いつか自分の農場を保つために、しばらく他の農家で修行する人たち)として毎日の農作業を手伝っている30代の男性と、高校を中退し農家と酒造を手伝いながら趣味の三味線に没頭している21歳の青年、そして、昨年頃から一年近くウーファーとして各地を転々としているという40代の男性がいた。

そこに「教育を学んでいる大学院生」としての私が加わった。

実際の私は、若い世代に結婚や子育てについて考えてもらうライフデザインプログラムを提供している小さな会社を経営しながら、その事業を題材にした研究をしているけれど、、そんな自己紹介は冗長だし、もし「意識高い系?」と引かれてしまったら…と怖くて、「教育関係」ということにさせてもらった。

しかし、私の作戦は、ほぼ無意味だった。

受け入れ初日、修行農としてここに滞在する男性になんの研究をしているのかと聞かれたので「キャリア教育みたいなものです」と曖昧に返事をした。すると「キャリア教育!?」とポカーンとされてしまったのだ。8年前、私が高校1年生だった時から東京ではホットワードだったのにと思いながら、最初のカルチャーショックを感じた瞬間だった。

一方でみんな原発や年金への意識は高い。ちょうど私が滞在していたタイミングで、老後2000万円問題が噴出していたが、みんなその話題で持ちきりで、「やっぱり政府なんて信頼できないよなあ」なんて、口々に話していた。

考えているのは、今日と明日のことだけ

多くの衝撃を経験したが、高校を中退して農家で働いているという21歳の青年との出会いは、もっとも印象的だったことのひとつだ。同じように高校を休みがちになったお兄さんも同じ農家でしばらく過ごしていたことがあったようで、弟である彼も、次第に学校に通う意味が見い出せなくなり、学校の代わりにこの個人農家で時間を過ごすようになる。

今では、倉庫の一部が彼の部屋になり、朝5時半から農作業にあたり、三食この家で食べている。津軽三味線にハマり、週に数回は夕方の農作業が終わると三味線の稽古に出かける。小さなマツダの車が彼の愛車だ。

今は、他の酒造でも仕事をもらっているようで、津軽三味線の稽古をしながら、農家と酒造で働く代わりに、家や食事を提供してもらっているようだった。労働し、金銭を対価としてもらうという常識さえも通用しない環境に衝撃を覚えた。

これまで私は、たくさん稼いでたくさんの選択肢をもつことが豊かに暮らすことと思っていたが、金銭のやりとりもなく、なんとなく支え合っているようだ。

最近「レンタルなんもしない人」という男性がTwitterで話題だと聞いた。TwitterのDMで彼に連絡すると、なんにもせずに一緒にいてくれる。労働ではなく存在自体に価値があるという「存在給」をいう価値観を検証しているらしい。三味線の彼は、きちんと労働しているので、またちょっと違うのだけど、金銭価値だけではない何かで、生きている姿に少し重なるものを感じた。

人間というのはもしかすると、本来的にはお金や地位に固執しているばかりではなく、もっとなんとなく、持ちつ持たれつ生きているのかもしれない。そしてそれも心地よいものだよなあと考えさせられる。

さて、そんな21歳男子に、私は愚問だとわかりながらも「これからどうするの」と思わず聞かずにはいられない。

「今日と明日のことしか考えられないからなあ・・・」。

これが彼の返答だ。

「日南恵ちゃんにはまた全然違う人生があるんだよなあ」と、バス停まで送ってくれる車の中で呟くように言われたことが、いつまでも心に残っている。

バス停までの道のり
バス停までの道のり
著者撮影

知らない世界があることを忘れないこと

私が大学一年生で立ち上げた会社は1月、5年目に突入した。大学院卒業を間近に控え、20代の残りの5年をどう使ったら良いのかと悶々とする日々だが、彼が見ているのは、今日のことだけだ。

これまで私はずっと、小学生の時は中学受験に向けて頑張り、高校生の時はいい大学に行くために、大学生になってからはいいキャリアを積むために、いつも未来をみて努力してきた。日々漠然とした未来をクリアにしようと、一生懸命チャレンジを続けてきた。

しかし、彼と話していると5年後のことを見ることが偉いのかわからなくなってしまう。そんな先のことを考えて生きている人ばかりじゃないのだ。別に見なくたっていいのかもしれない。

サラリーマンの父の元でぬくぬくと育ち、生まれてこのかた東京を出たことのない私にはカルチャーショックの連続の10日間だった。こんな風に暮らしている人がいることを、知らないでいろんなことを口に出したり、色んなことを決めたりしていたことがとても怖い気持ちになった。

誰かを傷つけてはいなかっただろうか、いろんな生き方をしている人がいることを前提に、もっとできることはあったんじゃないだろうか。そんな思いが頭を駆け巡った。

知らないことは怖い。もっともっと、知らなかった人の暮らしを、私の知らない大事な価値観を知りたいと思うようになった。日本だけではなく、世界中に知らないことが溢れているのだと思う。

一方で、きっとどんなに日本中を這いずり回っても、世界中を飛び回っても、知っても知っても、この短い人生で色んなことを十分に知ったことにはならないだろうと果てしない気持ちにもなった。

永遠に十分に他人を理解する日は来ないのだと思う。それでも、いつまでも十分に知ったことにならないことを知り、少しでも知る努力をすること、知らないことを忘れないことが何よりも大事なんだと胸に刻んだ、10日間の冒険だった。

(文:新居 日南恵(におり・ひなえ) @N_Hinae/ 編集:南 麻理江 @scmariesc

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