本田圭佑不在時に迷走していたザックジャパン。ぶっつけ本番だった長谷部誠のトップ下起用

ザックジャパンは苦しんでいた。本田が怪我で離脱し、その代役探しは長期間にわたって続いた。長谷部もその一人。なんとW杯3次予選のウズベキスタン戦ではトップ下で起用されたのだった。

ザックジャパンは苦しんでいた。本田が怪我で離脱し、その代役探しは長期間にわたって続いた。長谷部もその一人。なんとW杯3次予選のウズベキスタン戦ではトップ下で起用されたのだった。

■過酷な状況だったウズベキスタン戦

2011年8月末の本田圭佑の右ひざ半月板損傷によって、トップ下不在になってしまった日本代表。ザッケローニ監督は2014年ブラジルW杯アジア3次予選の初戦・北朝鮮戦で思い切って柏木陽介を抜擢したが、その策は不発に終わった。

吉田麻也の終了間際の劇的ヘディングシュートで何とか勝ち点3を手に入れたものの、次のゲームは4日後に迫っている。ウズベキスタンのタシケントは移動時間が欧州へ行くくらいかかるうえ、日本とは環境が全く異なる。

2010年南アフリカW杯出場権を獲得した2009年6月のウズベキスタン戦の際には、内田篤人が試合当日に体調不良を起こして欠場。同行したメディア関係者にも発熱や腹痛を起こす人が続出し、過酷な条件下のゲームには他ならなかった。

ソウル経由で2日前に現地入りしたザックジャパンに与えられた準備時間はわずか1日。ザック監督もトップ下問題には頭を抱えただろう。自信を失った柏木を使えないとなれば、別の方法を考えるしかない。

香川真司を真ん中に動かすという方法が最も現実的ではないかと思われたが、当時の指揮官は「香川はデルピエロのように左から中へ切れ込んだ方が相手にとって脅威になる」という考え方を頑なに抱いており、その選択肢はなかった。

キャプテン・長谷部誠はザックジャパン発足後、最初の大きな壁に直面し、気持ちを奮い立たせていた。

■まさかの長谷部トップ下

「ウズベキスタン戦は北朝鮮戦とは違う戦いになる。今回も絶対に勝ち点3を取らないといけないけど、戦い方は違ってくると思うんで、その中で自分がやるべきことを考えながら試合で出していければいいですね。

圭佑が予選の残り全部ダメってわけじゃないだろうし、もちろん早く帰ってきてくれることに越したことはないけど、僕らが今、やらなきゃいけないのは試合に集中すること。彼が帰ってくる場所がないくらいのプレーを他の選手たちができるようにしないといけない。

僕もキャプテンとしてチームを前へ前へっていう意識にすることをやんなきゃいけないと感じてます。こういう厳しい環境を経験することで、自分がもう1つ上にいけるんじゃないかっていう思いもあるから、そういう部分では予選を楽しんでいる部分はあるのかもしれないです。

まあ、そんなに気負ってるわけではないし。ドイツももう開幕してますし、コンディションはいいんで」と自信を持って3次予選で最も難易度の高いゲームに挑もうとしていた。

迎えた当日。メディアに配られたメンバーリストは意外なものだった。GK川島永嗣、内田、吉田、今野泰幸、駒野友一の最終ラインと、右FW岡崎慎司、左FW香川、1トップ・李忠成の前線は北朝鮮戦と同じだったが、中盤の構成は全く違っていた。

ザックジャパン発足後はほとんど出場機会のなかった阿部勇樹をアンカーに置き、長谷部と遠藤保仁をその前に配置するという4-1-4-1に近い布陣を採ったのだ。攻撃時は長谷部がトップ下に上がり、完全にアタッカーとしてプレーすることになった。ザック監督はボルフスブルクで彼がこの位置で起用されたのを見ていたのかもしれない。

■「トップ下は練習ではやってません」

ところが相手の開始早々の猛攻にひるんだ日本は開始早々の8分にジェパロフに先制点を許してしまう。これでシナリオが大きく狂い、日本は攻めに出なければならなくなる。駒野のクロスを李がフリーで外し、前半終了間際には李のシュートが右ポストを直撃するなど、どうしても1点が遠い。

本田不在の中盤は北朝鮮戦同様、連動性を欠いた。後半に入ると同時にザック監督は阿部を下げ、清武弘嗣を投入。香川をトップ下に置く4-2-3-1へと変更する。長谷部も本来のボランチに戻ってやりやすくなったのだろう。

後半は明らかにリズムが生まれた。そして後半20分、長谷部のパスを受けた内田のクロスにファーサイドから飛び込んだ岡崎のダイビングヘッドがさく裂。ようやく同点に追いついた。1-1のドローというのはこの日のザックジャパンにとって御の字の結果だった。

「トップ下は練習ではやってません。昨日軽く言われただけですね。ただ、チームでも今シーズンは1~2回やっているんで、イメージという意味では問題なかった。誰が入っても同じようにやろうと思ってましたし、ゴールに絡むプレーをしたかった。

ただ、もうちょっと頭を使ってゲームの動きを読んでやれたらよかったなというのはあります」と長谷部は不慣れなトップ下でプレーした複雑な心境をのぞかせた。

■「何とか引き分けて帰れるのはよかったと思います」

ザック監督は「長谷部は少し高い位置にいて、ゴールを背負ってのプレーになれていないところがあった。長谷部を遠藤の近くでプレーさせ、距離感を近づけるために阿部を下げて清武を入れた」と交代理由を説明したが、長谷部自身は前半45分間のパフォーマンスには満足できなかったに違いない。

本田というフィジカルとスキル、創造性を併せ持ったレフティの穴を埋めるのがいかに難しいかを指揮官も選手たちも改めて痛感したはずだ。

それでも、チームが勝ち点を取れたことに長谷部は安堵感をのぞかせた。

「どちらかというとウチの方がチャンスが多かったと思いますけどね。でも決めるところを決めないと。それはいつもそう。決めるところを決めないと苦しいゲームになるし、逆に相手にも数回危ないチャンスを作られているから。

3次予選6試合ある中で、このアウェー戦が一番難しい試合だと思ってましたけど、その通りだった。何とか引き分けて帰れるのはよかったと思います」

後から振り返ると、このタシケントの試合に勝っていなければ、日本の3次予選はかなり苦しいものになっていた可能性もある。それだけウズベキスタンという国は難敵だった。実際にホームでは敗れている。

ザックジャパンの停滞と本田の不在は重なる。そしてトップ下の代役探しに奔走することになる。長谷部にまでその役を任せたのだ。今振り返れば、混迷の時期であり、また本田の不在が最終予選ではなく、3次予選であったのは不幸中の幸いだったと言える。

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