「倫理局長」も辞任! トランプ政権で進む米社会の「非倫理」「秩序混乱」--大西睦子

国内社会では「非倫理」「非道徳」の風潮が広がる危険性が高まり、国際的には孤立化の不安に苛まれる。

1972年のウォーターゲート事件後、米議会によって設立された米政府倫理局。政府関係者による利益相反の回避をするため、各機関の倫理担当者と協力して政府で働く人の監視などをしています。

7月6日、トランプ政権の利益相反に関する問題を繰り返し指摘してきたウォルター・ショーブ倫理局局長が、来年1月の任期満了を待たず、7月19日付で辞任する意向を表明し、同日辞任しました。

ショーブ局長は、辞任に際してトランプ大統領に宛てた短い手紙に、「倫理局で働く人は、国民の信頼の下に成り立つという原則を守ること。私的な利益より、憲法、法律、そして倫理的原則に忠誠を払う必要がある」と記しました。

ただ、『ニューヨーク・タイムズ(NYT)』の取材に対し、

「現在の状況を考えると、政府の倫理局で達成できることはそれほど多くない。局の最近の経験から、倫理プログラムを強化する必要があることが明らかになった。新しいポジションでは、そのような変化に対して自由に主張することができる」

と、辞任はトランプ政権に強いられたわけではないと答えています。

今後、ワシントンを拠点に活動する超党派グループ「キャンペーン法律センター」で、倫理シニアディレクターとして政府外部から倫理改革に取り組む予定だそうです。

それはともかく、この倫理局長の後任者はトランプ大統領が指名します。そうなると、新しい局長は自らを選んだ大統領の意に反する行為はできないでしょうから、トランプ政権の利益相反などに対して倫理的な問題を指摘できなくなるでしょう。

実際、ジョージ・W・ブッシュ政権下でホワイトハウスの倫理顧問を務めていたリチャード・W・ペインター氏がNYT紙に対し、「ウォルターの後任者は、彼のような方法で公にホワイトハウスに挑戦するつもりはないと思う。これは大きな損失だ」と指摘しています。

【Government Ethics Chief Resigns, Casting Uncertainty Over Agency, The New York Times, July 6】

暴力やいじめは道徳的に問題なし!?

最近米国では、大統領の行動を通じて、非倫理的、非道徳的なことが当たり前となりつつあることが懸念されています。トランプ大統領のツイッター好きは有名です。

ツイッターは、大統領自身が「不正直」「フェイク・ニュース」とみなすメディアに依存していないため、一般の人々にメッセージを伝える良い方法だと主張しています。

6月16日号の『ニューズウィーク』によると、就任後133日間で、トランプ大統領は618回ツイッターを利用しています。1日あたり平均4.6回、最大で1日14回に上っていました。

大統領のツイートに批判的な人たちは、ツイッターの真の目的は、重要な政治的問題から国民の目を逸らすことだと言っています。テキサス州の共和党上院議員ジョン・コルニン氏は、「大統領のツイッター癖は、大統領自ら問題を生み出した」と批難します。

確かに選挙キャンペーン中から、トランプ氏はツイッターを通じて数々の暴言を発し、物議を醸してきました。

たとえば最近のツイッターでは、トランプ大統領がプロレスのリングで『CNN』記者を殴り倒す(と見える)動画(7月2日)や、テレビ局『MSNBC』の番組女性キャスター、ミカ・ブレジンスキーさんに対する「IQが低い」「顔のシワ取り美容手術で出血していた」というツイート(6月29日)などに対して、全米から批判が殺到しました。

しかし、大統領がジャーナリストを攻撃すれば、国民の中には「ジャーナリストを攻撃することは、道徳的に問題ない」と思う人も出てくるでしょう。弱い者いじめをすれば、国民の中にはいじめを許容する人が出てくるでしょう。

このような、大統領の「倫理」が社会的に多大な影響を及ぼし、その行動が問われる中、メンタルヘルスの専門家らが、本来なら専門家としては「非倫理的」とされる、ある行動を起こしました。

【WHENEVER TRUMP TWEETS, HIS POPULARITY PLUMMETS, Newsweek, June 16】

「ゴールドウォーター・ルール」誕生秘話

世間から注目されている人物や、メディアを通じて情報を開示した人物についての意見を求められた時に、米国の精神科医は、直接診察することなく、また本人の同意なしに、専門家としての意見を提供することを「非倫理的」であるとします。

これは、米精神医学会(APA)倫理規程第7.3節、いわゆる「ゴールドウォーター・ルール」という呼称で知られる条項による判断です。1964年の共和党大統領候補者だったバリー・ゴールドウォーター・アリゾナ州元上院議員にちなんで名付けられました。

ゴールドウォーター氏は、当時、精神衰弱という噂が流れていました。

そこで1964年、『Fact Magazine』誌は、当時1万2356人のAPAの会員すべてに、「バリー・ゴールドウォーター候補者は、米国の大統領として精神的に適していると思いますか?」というアンケート調査を行いました。結果、2400人のみが回答し、約半数が、「ゴールドウォーター氏は適している」あるいは「判断するほどの情報がない」と答えました。

このアンケート調査に対し、ゴールドウォーター氏は、『Fact Magazine』誌を名誉棄損で訴えました。そして同誌は敗訴し、7万5000ドル(当時のレートで2700万円)の懲罰的損害賠償金支払いを命じられ、3年後の1967年に廃刊しました。

こうした一連の問題を受け、1973年、APAは前述した第7.3節を倫理規定に採択し、ゴールドウォーター氏の名前を冠することになったのです。

【Court Allows Goldwater Judgment to Stand, The New York Times, Jan.27.1970】

【Psychiatry's "Goldwater Rule" has never met a test like Donald Trump, Vox, May 25】

「トランプ大統領は世界に対する脅威」

ところが最近、トランプ大統領の「非倫理的」な言動を受け、ゴールドウォーター・ルールを厳格に守るべきだと考えてきた精神科医の中からも、

「精神障害者によって人々が危険にさらされる可能性がある場合、このルールは適用されない」

「医療倫理において、精神科医は人々に警告する義務を担うべき」などと発言する人が相次ぎ、論争が巻き起こっています。

米心理学系雑誌『今日の心理学(Psychology Today)』(2017年2月号)によると、現在までに、2万6000人以上の心理学者、精神科医、その他のメンタルヘルス専門家が誓願書に署名し、トランプ大統領の不安定な精神状態とその危険性を警告しているのです。

たとえば、元ジョンズ・ホプキンス大学医学部精神科のジョン・ガートナー博士は、「トランプ大統領は、反社会的行動やパラノイアなどの『悪性のナルシスム』の兆候を示している」と、米紙『U.S.ニュース』で警告しています。

また、元ハーバード大学医学部精神医学臨床のランス・ドズ博士は、『MSNBCニュース』の取材に対し、「繰り返し危険な物事についての嘘をつくことは、大統領に不適格で、精神病の一種である。トランプ大統領の考えは現実に基づいていない。大統領は自分の要望を満たすために、現実を作り上げている」と指摘しています。

さらにドズ博士は『U.S.ニュース』の中でも、「大統領としてまともに働くことができない。トランプ大統領は、アメリカ人と世界に対する脅威となっている」とも警告しています。

【The Elephant in the Room : It's time we talked openly about Donald Trump's mental health, Psychology Today, Feb.28】

【An Ethical Dilemma : Donald Trump's presidency has some in the mental health community re-evaluating their role, U.S.News, Apr.21】

【Trump has a dangerous disability - George F. Will interview , MSNBC, May 6】

「独裁政権の仕組み」

トランプ大統領の出現によって、非倫理・非道徳的なことが当たり前となっていく危険性を孕むようになってしまった米国社会――。いったいこの先、どうなってしまうのでしょうか。

先のガートナー博士は、「異常なことが当たり前となる、それが独裁政権の仕組み」とも警告を発します。

いま多くの米国人は、他国が米国と距離を置くようになることを懸念しています。とりわけトランプ政権の外交・貿易政策は「アメリカ第1主義」のスローガンのもとに展開されつつありますから、他国との関係を考慮する点で消極的であることが懸念されています。

実際、7月7~8日にドイツのハンブルグで開催されたG20首脳会議では、気候変動や自由貿易のような重要な問題で他国と対立し、米国の「孤立化」が目立っていました。

国内社会では、「非倫理」「非道徳」の風潮が広がる危険性が高まり、国際的には孤立化の不安に苛まれる――。多くの米国人は、トランプ政権の誕生によってもたらされたこの秩序の混乱は、まだ当分続くだろうと悲観的です。

しかし、ルールに厳格な精神科医や専門家らも声を上げ始めました。こうした議論を専門家らにまかせるのではなく、米国社会全体で深めていくことでしか打開の方策は見いだせないのではないでしょうか。

【Donald Trump puts US in a club of one, CNN, July 8】

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大西睦子

内科医師、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ在住、医学博士。1970年、愛知県生まれ。東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年4月からボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。2008年4月から2013年12月末まで、ハーバード大学で、肥満や老化などに関する研究に従事。ハーバード大学学部長賞を2度受賞。現在、星槎グループ医療・教育未来創生研究所ボストン支部の研究員として、日米共同研究を進めている。著書に『カロリーゼロにだまされるな――本当は怖い人工甘味料の裏側』(ダイヤモンド社)。『「カロリーゼロ」はかえって太る!』(講談社+α新書)。『健康でいたければ「それ」は食べるな』(朝日新聞出版)などがある。

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(2017年7月25日フォーサイトより転載)

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